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考えているつもりになっていた話(前編)【思考と表現1/7】 #5

『教育学って何するの?』の記事の最後で、私は教育や人間について関心をもち、読書などをしながら自分なりの考えをつくったり吟味したりして過ごしている、と書きました。
要は「普段から頭を使って考えています」ということなのですが、実際のところ、頭を動かしているわりに、なんだか空回りをしているような感覚があります。
確かに頭の中であれこれ考えてはいるのだけれども、「結局はどういうこと?」と問われると、「よく分からない」と答えるしかなくなってしまうのです。
今回は、なぜこのような空回り状態に陥ってしまっていたのか、そして、この空回り状態を回避していく方法について模索していきます。
このテーマは記事を全7回に分けて投稿していきます。
途中までは私の個人的なエピソードが続きますが、最終的な結論は普遍的なものになっていると思います。
今回のテーマの最終的な結論に至るまでの思考を記述していますので、私の個人的なエピソードにもお付き合いいただけたらと思います。

伝わらない私の考え

私は教育や人間についてよく考えています。
それも、興味や好奇心があるゆえに考えています。
私の中で、考えるという行為はわりと好きなものです。

偶に研修会や飲み会など機会に恵まれて、誰かと教育などについてお話しすることがあります。
さあ、こういう時こそが、普段から考えを巡らしてきた成果が発揮されるべき瞬間です。
しかしどうも、私の考えをうまく相手に伝えることができません。
そして家に帰った後に落ち込むのです。
「本当に言いたかったことはもっと別のことなのに…」
普段から沢山考えているはずなのに、どうしてそれをうまく伝えられないのでしょう。
考えることがまだ足りていないのでしょうか。
はたまた、考え過ぎているのでしょうか。

なぜ伝わらなかったのか

ある時、ふと思いました。
私は、自分の考えを相手にしっかりと“伝えよう”とする意識が低かった気がします。
自分の考えが相手にうまく伝わりそうにない時、こんなことを言ってしまいがちです。
「これをうまく説明するのは難しいのですが、〜」
「これを理解してもらうのは難しいかもしれませんが、〜」
難しいからしょうがないと、言い訳をしたり、相手の理解力のせいにして、“伝える”ことから逃げていたかもしれません。

このことに気づくと、もう一歩先のことにも気づきます。
それは、そもそも私は何を考えていたのか、相手に何を伝えたいのかについて、自分でもよく分かっていなかったということです。
自分が何を考えているのか分かっていないのであれば、相手に伝えることが難しいのも、自然なことです。

それにしても、どうして自分でもよく分かっていないという状態に、長い間自分で気づくことができなかったのでしょうか。

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