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コロナ下、江戸入り顛末

こんにちは、明石白です。
noteのメンバーの中には、海外から参加している方もいらっしゃるが、やはり大多数は日本在住の方々だろう。

早速なんだがこの投稿の文字、いつもより濃い感じで見えていやしないだろうか?
なんとなく普段よりフォントが大きいとか、そういえばいつもより太字に見える、とか。

そう思ったら、それはあなたの気のせいではない。
ふふふ。
普段マドリッドに住んでいる自分であるが、今はぐぐっと近いところからnoteを書かせて頂いているのだ。そのせいに違いない。

近いっちゅーか、今、私がいるのは江戸(わかるよね、東京です)なのだ。

■絶賛蟄居(ちっきょ)閉門中

数日前に、はるか南蛮のエスパーニャ(単にスペインということです)からアビオン(単に飛行機という意味です)に乗り江戸入りした。

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そして、私は現在絶賛蟄居閉門中、いや正確には自主隔離中なのであーる。

皆さんも聞き及んでいることとは思うが、コロナパンデミック下においては海外から日本に入国する時には、たとえその人が邦人であろうが2週間の隔離生活をすることが求められている。

例外が許されるのはIOCのバッハ会長をはじめとするオリンピック貴族くらいでしょ。
足軽以下の小者である明石白はきっちし2週間の隔離を求められた。

で、今回はその顛末を書いてみようと思ったのだ。
(少々長めで、誰かの役に立つ自信もないけど・・・)

■なんで今帰国なのか。

コロナのおかげで日本帰国はひどく困難なものとなった。
「なんでこんな難しい時期にわざわざ日本帰国を考えるのか? コロナはおさまっていないし、オリンピックまで開催されようとするそんな夏に」
と多くの人は思うことだろう。それは理解している。
だが、昨年も帰国できなかった私には、実家の両親のことなど家族の問題やいろいろな書類手続きなども溜まり、帰国しなければならない事情があった。じゃなかったら、誰が好んで今の時期に帰国するものか。
国をまたいでの移動中にコロナに感染するリスクもある。
だから、私は家族を伴わず1人で帰国することにした。

ワクチン接種はすでにスペインで済ませた。

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これでも最大限の注意を払って帰国しようとする努力はしているのだ。

■コロナ陰性手形がなければ関所突破は無理。絶対。

だけど、この帰国手続きはいつものような具合にはいかない。
日本入国のために用意せねばならない書類関係を揃えるのがやっかいなのだ。日本政府が要請するアプリもスマホにダウンロードしてスタンバイさせておかなければならない。

現在は、スペインから日本への直行便がストップされている。
私の場合、イギリスのヒースロー空港で飛行機を乗り換えて帰国するため、日本の書類に加え、イギリスのルールに従った書類も用意しなくちゃならなかった。
イギリスはブレグジットやっちゃって、以前より国境では外国人に対して厳しいイメージがある。要注意だ。

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しょーもないことはダラダラ書くのが得意な自分だが、公式書類の類いを書くのは超苦手だ。絶対に1度で正解を書けたためしがない。

・市役所などの見本書類を見ながら自分の氏名欄に「日本太郎」と書く
・提出日の日付に自分の生年月日を記入する
・続柄を書くと、いつの間にか自分が娘の娘になっている

上記のような事故をしょっちゅう。何枚も失敗して書類をムダにする。
書類とは気が合わない。書類に嫌われている。

そんな私が絶対に絶対に揃えなければならなかったのが、「日本政府用書式に従ったPCR陰性証明書」だった。
こいつですわ。⇓

陰性証明

幕府(いや、日本政府)はこのフォーマットを求めている。
異国でPCR検査が実施されるとき、通常テストを行うクリニックは独自のフォーマットで陰性証明書を発行する。
幕府はそれを100%拒否はしないものの、必要要素が1つでも欠けていたら入国拒否するし、チェックする人に内容をきちんと理解させられなければダメだ。しかも、その書類のチェックはマドリッドの空港の飛行機のチェックインカウンターから始まる。カウンターのお姉さんを納得させなくちゃ飛行機に搭乗できない。

ヤバいやん、俺。心がざわつく。

テストを行ったマドリッドのクリニックのスタッフは、スペイン語フォーマットの陰性証明書があればよいと思っている。
せいぜい英語のフォーマットがあれば十分親切だと思い込んでいる。
いや、あかんのですわ、それじゃ。
日本式フォーマット通りに書く気のないスタッフに理由を理解してもらい、さらに医者にも書類にサインしてもらい、スタンプを押してもらわなくちゃならなかった。彼らを脅したり、すかしたり、お願い倒したりして私はやっと「日本式陰性証明書」を勝ち取ったのである。

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出発前72時間以内のテストだけが有効だから、証明書を前もって用意することもできない。週末の土日が含まれる非常に厳しいスケジュールの中、ようやく手に入れた証明書だった。

■チェックイン、そしてロンドンへ

マドリッドの空港、チェックインカウンター。
そこのスペイン女性スタッフは日本式の陰性証明書についてちっとも理解していなかった。英語で書かれてある言葉も理解しない。
なんとか私の説得が通じ、ようやく搭乗にこぎつけた。

マドリッド-ロンドン間の機内はなかなかの混み具合だった。
みっちり座席が埋まった機内では覚悟を決めるしかない。乗客にはスペインでバカンスを終えたばかりの浮かれたイギリス人観光客も少なくなかった。お互いマスク着用で数時間同じ空気を多くの人々とシェアしながら旅をするのを覚悟するしかなかった。

飛行機が離陸してからも数時間後のイギリスでの乗り継ぎのことを考える。飛行機を乗り換える際には、日本式陰性証明書と共にイギリスの規則に従った「Passenger Locator Form」とかいう書類も必要だと言われていた。

■閑散としたロンドンのヒースロー空港

ヒースロー空港に到着して飛行機から降りた私は、自分のイギリスでのトランジットは「Air Side」と呼ばれるものらしいことがわかった。
つまり、イギリスに入国しないまま飛行機を乗り換えることができるものだ。

同便に搭乗していた人々はほとんどがイギリスに入国し、私1人がとぼとぼとトランジット用のカウンターを探して歩く。

するとJALの乗り継ぎカウンターの女性スタッフが声を掛けてくださった。私はもちろん日本式の陰性証明書を差し出す。

「よかった。日本式証明書だったらスムーズ対応できます。持っていない方は、一度イギリスの入国審査をしていただいて入国したのちに再度出国して手続きをすることがあるんです」

そう言われて、ほっとした。やっぱちゃんと書類を用意しておいてよかった。イギリスの入国、出国のプロセスも同時に避けられて助かった。何も悪いことはしてないけれど、入国審査とかって時間かかるし気が重いやん。

そののち搭乗ゲートに向かうときに気づいた。空港は閑散としていた。

帰国記録写真

Duty Free以外の店もほとんど閉まっていた。
やっぱりパッセンジャーは少ないのだろう。
ゲート付近には搭乗を待っている日本人もちらほら。
赤ちゃん連れなど、この時期に帰国は大変だなーと思った。

やがて日本便に乗り込む私。

■こんな日本便乗ったことない

スペインからイギリスへ向かう飛行機はほぼ満席だったが、イギリスから出発した日本行の便はガラガラだった。

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ファーストクラスもビジネスクラスにもほとんど人はいない。
エコノミークラスは横に3・3・3という具合に並んでいる座席だったが、乗客1人に対して座席3つが割り当てられている様子。
これならビジネスクラスよりも広く使える。
フライト時間は約12時間だが、眠ろうと思ったら、3つの座席を使って横になることもできた。
さすがにこれほどガラガラな便に乗ったことはない。
トイレも混み合わず、食事の配布も迅速。飛行中はとても快適だった。

■日本入国。関所の突破。そして隔離へ

快適な空の旅は終了して羽田空港に到着した。
飛行機を降りて歩き出した途端に、青いTシャツを着たオリンピック専用の係員がいろんなところに立っているのに出くわした。
あ。本当に東京オリンピックやるんだな。

その後の入国と検疫は、日本式陰性証明書を持っている私は非常にスムーズに進んだ。しかし、時間はかかる。なんせストップしてチェックする書類や項目が沢山ある。また空港内を延々と歩かなくてはならない。ファイルからさまざまな書類を出し入れしながら説明を受け、書類を審査される。

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再度の唾液によるコロナ感染のテストもされた。
結果が出るまでに結構時間がかかり、全てのポイントでのチェックを終えてスーツケースを受け取った頃には2時間以上は経過していた。

係の人々は非常に丁寧で親切だった。

■江戸、3泊4日の絶賛蟄居(ちっきょ)閉門

チェックは終了しても、私に自由はない。
コロナ感染でヤバい南蛮、しかも状況は日本よりかなりアブナイっぽいイスパーニャ(だからスペイン)からの渡来者だということで、私は幕府により3泊4日の蟄居(強制隔離)を命じられ、横浜の旅籠(いや、ホテル)に滞在することとなった。それは分かっていたので覚悟はできていた。

普段から引きこもりがちな生活をしている自分にとっては、隔離生活は全く苦痛ではない。一体どんな生活になるのか。こっそりウキウキしながら同様の処遇となった人々と共にバスで横浜まで移動した。

ホテルにおける私の部屋は31階があてがわれた。31階だ。

聞こえはシャレオツだが、窓を開ければほぼ壁しか見えない状態である。
港を望むヴューなどない。
しかし、文句は言うまい。
一歩も部屋を出ることは許されない生活だが、空調の効いた清潔なホテルの一室を与えられ、毎日おいしいお弁当を3食幕府から与えられるのだ。
ありがたくこの3日間の蟄居を受け入れよう、そう思った。

以下がいただいた食事の一部だ。左下は朝食。

帰国記録写真2

実際、部屋から出られないこと(←この点、個人的にはOK)以外は非常に快適。1日一度検温したり、アプリに連絡がくるコールやメールに対応したりしながら、楽な生活を送らせて頂き、最後に唾液によるテストの結果も無事陰性だったので退所。3泊4日の滞在はあっという間に過ぎた。

■江戸での自主隔離

元々私は日本で2週間の隔離生活を送ることが求められていた。最初の3泊4日は幕府から供給されたホテルで生活したから、どこかで人との接触を避けながら残りの11泊12日を送らなければならなかった。
東京に親戚も友人も山ほどいるが、自分がコロナに感染している可能性を考えると私は彼らの世話になる気はしなかった。
残念ながら実家も地方なので自力で東京に宿泊施設の手配をし、自主隔離するのである。

誰かの家で世話になるより1人のほうが気楽だ。
羽田空港から専用ハイヤー(料金めっちゃ高いけど、公共交通機関を使えないから仕方ない)で宿泊所へ到着した。
アパートは清潔で近代的。とても快適だ。

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いや、これはアッパーカット。

滞在するアパートには、自炊できるキッチンも洗濯機もバストイレももちろん完備。
チェックインの時もスタッフに一度も対面することなく、部屋にアクセスするためのコードをもらって出入りする。

ホテルでの強制隔離と違い、近所のコンビニやスーパーなどに食料品などを買い物にいくくらいの自由はある。
中には友人と会ったりする猛者もいるらしい。
私は暑いのであまり出歩かず、本読んだり映画や「青天を衝け」を観たり。
1日に数度、現在地を確認されたり、ビデオコールがあるのでそれに対応したりもする。そろそろ仕事も再開しなければ。

Wifiさえあれば生活は大丈夫だ。

そういえば、先日noteでニューノマンさんのこの記事を読んだ。

記事に書かれているあんずボーというのがなんなのかよくわからなかったけれど、あんずという名前につられて興味を持った。
そしたら、現在の宿泊アパートの近所のスーパーに売られていたのだ、この「あんずボー」がっ!

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さすが江戸である。
早速購入した私は、ニューノマンさんのインストラクションに従って冷凍庫で凍らせている。
写真のあんずボーが少し曇っているように見えるのは、冷凍庫から出したところを撮影したからだ。

あれ、私は一体何をこの記事で書こうとしていたのか。
とにかく、私はそんな緊迫感とか全くない蟄居閉門(自主隔離生活)をしていたわけだ。

で、今どうしているかというと、やっぱりまだ江戸で自主隔離中なのである。

ははは。長いわ。