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「やるべきこと」と「やりたいこと」

「やるべきこと」と「やりたいこと」は違うことが多い。そして、「やるべきこと」よりも「やりたいこと」をする傾向にある。そりゃそうだ、やりたいことなのだから。
目的達成のためには「やるべきこと」、今を充実させるためには「やりたいこと」をするといった感じになるだろう。


一般的に言えることかどうかは分からないが、少なくとも私の場合はこうだ。
目標を達成するために必要なことは、ある程度分かっている。でもその「やるべきこと」はやや苦手。だから好きなこと、つまり「やりたいこと」をしよう。
人間は楽な方を好むという話を聞くが、これもちょっと当てはまる気がする。

フィギュアスケートに打ち込んでいた学生時代を思い出す。小学生以来7年ぶりに再開したフィギュアスケート。(再開のきっかけや、思い出話はまた別の機会に(笑)。)もともと怪我は幼少期でもあったが、大人になってからの頻度や大きさは異常に思えた。もちろん、長いブランクも影響していたかもしれない。でも、怪我をしやすいと気付いた時点で、もう少し予防を重視できてもよかったのではないか。
振り返ってみると、私は基礎が苦手だった。競技だけでなく、勉強とかあらゆる面で。もう少し正確にいうと、基礎を徹底し継続すること、である。出来るようになってくると、さらに高いところを目指したくなってしまう。心意気だけはいいかもしれないが、基礎は怠ってはいけない。
私に必要だった競技における基礎は、トレーニング。「やるべきこと」である。健康な体でなければ、「やりたい」競技を全うできるはずもない。それなのに私は、時間さえあればとにかくリンクに行って練習したい一心だった。練習って必要じゃん?練習が嫌いな人がいるなかでそれが好きっていいことじゃん?と思われるかもしれない。
「やるべきこと」がありながら、それを無視して「やりたいこと」に没頭する。そのことに後ろめたさを感じながらも、見て見ぬふりをしていた。

私には競技生活において目標があった。
練習は大事。でも怪我をして何もできなくなってしまっては元も子もない。苦手なトレーニングよりもやりたい練習を優先させてしまったのには理由がある。まず、ブランクによる不安。自分の納得のいくところまで技術を取り戻すには、練習を多く積むしかない、と思っていた。そして、練習が好きだったために、体への負担もさほど考えずに熱中。気合で乗り切ってしまうところがあった。練習している自分に酔っていた部分もあるかもしれない(今思うと本当にダサい(笑)。)怪我をしては休み、復帰したら体が大丈夫なうちに沢山練習し、また怪我をして休み、、、の繰り返し。目先の充実感を追い求めた結果といえる。本来、やるべきトレーニングを日頃から行い体づくりをしたうえで練習することに意味がある。日頃の少しの忍耐を継続することが、成功につながるはずだ。
結局のところ、目標は達成できないまま競技生活を終えた。達成できそうなところまできている実感があっただけに、悔しかった。

書いていてもう一つ思い出したことがある。
「やるべきこと」と「やりたいこと」をバランスよくこなす必要があると気付いていながら、なぜそれができなかったのか。その答えは自分の自信の無さにある。ラストシーズン、追い込みの時期。引退までに目標を達成できるかできないかぎりぎりのライン。達成すれば、ある意味では前代未聞。一方で未達成となれば、あーやっぱり厳しかったね、という反応が予想される。達成したい・できると思いながらも、心のどこかでは現実的ではないかもしれない、と弱気だった。そんな自分にはもしも駄目だったときの保険が欲しかったのだろう。怪我で度々休んで練習ができなかったことは、失敗の言い訳になる。いわば好材料だった。だから、軌道修正をすることもなく、最後まで「やりたいこと」を貫いた。

こうした経験を踏まえ、今後物事を達成するためにはどうしていけばよいか。
それは、
自分を信じること。自分に自信を持つこと。
「やりたいこと」をするには「やるべきこと」を把握してこなす必要があるということ。

目先の利益に固執すると、あとあと苦しむことになる。このことは肝に銘じておきたい。

「やるべきこと」と「やりたいこと」が発生したら、学生時代の苦い経験を思い出そう。そしてあの時とは別の選択をしよう。


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