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つれづれ雑記 *小柄組か背高組か、の話*

 私の身長は、今現在、154センチくらいと思われる。(最近、あまりちゃんと測ったことがないのであやふやで申し訳ない)
 
 日本の成人女性の平均身長は158〜159センチくらいだそうだから、それより少し(?)足りない。
 年齢から考えて、これから先、身長が伸びる可能性は限りなくゼロに近いし、むしろ縮むことのほうが多いと思われるので、おそらくずっとこのままだろう。
 決して高いほうではない。どちらかと言えば小柄組の部類に入る。
 高校生の頃から社会人、そして今現在に至るまで、私は「小柄」のイメージの中で生活してきた。
 
 小柄組であるということには、当然ながらメリットデメリットの両方があって。

 まず小柄だと、だいたいの場合、幼く見える(ことが多い)。
 これをメリット、と言っていいものかどうか。この『幼く見える』ことは、いわゆる『若く見える』ということと、全く同じではないが、割と近い関係性がある、と思われる。
 …うーん、回りくどい言い回しは面倒なので、もうサラッと書いてしまおうか、つまり、身長だけで見た場合、小柄なほうが若く見えがちなのだ。
 若く見えることの何がメリットなのか、などという意見はこの際置いておく。(いや、置かせてください)とにかく、そういうことだ。

 しかし、この『若く』『幼く』見える、ということは、いいことばかりでない。
 実際の歳よりも若く幼く見える、ということは、別の見方をすれば、頼りなく見える、結果、ともすればナメられる、ということだ。
 たとえば、私は列に並んでいて割り込みをされることが結構あったし、今もある。面倒くさいのでいちいち目くじらは立てないが、もし私が大柄でそこそこ貫禄があったら割り込まれることはもっと少ないのでないかなと思ったりもする。

 それから、衣類のサイズ、のこと。
 どちらかといえば小柄組のほうが服や靴のサイズが探しやすい傾向がある。ただ、これはもしかすると、今ではあまり当てはまらないかもしれない。
 ちょっと前、そう40年くらい前かな(ちょっとじゃないやん)、店舗に並ぶ女性の靴は23、服は9号、11号、もしくはMサイズが1番多かった。まあ、そのサイズが当てはまる女性が大多数を占めていた、ということなのだろう。
 なので、小柄だと「この形と色、すっごく気に入ったんだけど、ちょうどのサイズの在庫がない」ということが少なかった、ように思われる。
 
 しかしながら小柄だと、着てみたくてもあまり似合わない洋服があって。
 マーメイドラインのロングスカートやパンツスーツ、それから大胆な大きな柄の服、そういう大人っぽいデザインの服、が何だか、決まらない。
 そんなこと言わずに好きな服を着たらいいじゃないかとか、着こなし次第で何とでもなるだろうとか、ご意見もおありかと思うが、やはり、そういった種類の洋服はスラリと背の高い人のほうがピタリとハマるのでは、と思う。
 
 そして、これが一番わかりやすいのだけど。
 小柄だと物理的に手が届かないことが多い。書店で自宅で会社で、高いところに置いてあるものを取るのに、人に頼むか、何が台になるものを探してこなければならないことがよくあって少し不便だ。
 逆に小柄だと狭いところに入りやすいか、とか、地面に近いから物が拾いやすいか、とか問われても、それについてはあまりよくわからない。

 ここまでは小柄組のあれこれを並べてきたけど。
 実は私はこの反対の立場、背が高い、ということも、体験したことがある。

 私の今のこの身長。
 小学6年生からほとんど変わっていない。
 つまり、その頃の私は背高組に属していたことになる。
 現在では154センチ(当時は156センチくらいあったはずなのだけど、縮んだのかな)はそこまで高いか?、と思われるかもしれないが、私が小6だった(気が遠くなるほどの)昔は、156センチはその年齢の女子としては高いほうだったのだ。
 
 実際、その頃の私はクラスの女子で背の順に並ぶと、後ろから3番目だった。
 私の通っていた小学校は児童数が多く、ひとクラス40人以上でその約半分20人が女子。その中で3番目に背が高いということは、1学年は6クラスあったから、単純計算で学年全体の女子約120人のうちのベスト18人には入るわけだ。そして小学生の頃というのは、往々にして男子よりも成長の早い女子のほうが背が高い傾向がある。
 ものすごく大雑把な、この計算を根拠にすれば、私は学年でも、まあまあの背高組だったことになる。

 現在ではあり得ないと思うのだけど、昭和の後半に入るくらいの頃はまだ、女性の背が特に高いことはあまり喜ばれない傾向があった。
 有名な漫画「エースをねらえ」の中で、背が飛び抜けて高い少女がそれを気にして必要以上に引っ込み思案になっていたところ、ある人物にテニスを習い、その恵まれた身長を活かしてみるみる名選手になる、というエピソードがある。
 今なら何てことない話だが、当時はそれがストーリーの鍵になるようなこと、だったのだ。

 なので、私の背が高いことを、母、それに親戚の女性陣たちは気にしていた。背があまりに高くなり過ぎると、可愛い服が似合わないとか、大人になってから着る服が無くなるとか、貰い手がなくなる(⁉︎)とか冗談にせよ、今思えば、結構なことを言っていたように思う。

 しかし、そんな母たちの心配(?)は杞憂に終わる。
 私のnoteを早くから読んでくださっている方には周知のことだが、私は中学時代、父の仕事の都合でシンガポールに住んでいた。
 小学生の頃は、毎年びっくりするほど伸びていた私の身長は中学生になってからほとんど変わらず、どんどん同級生たちに抜かれていった。
 転校してきたばかりのときはクラスの女子の中で2番目くらいに背が高かった私は、3年過ぎて日本に帰国する頃には、クラスで背の順に並ぶと前から数えて5番目くらいになっていた。
 帰国後、元々住んでいた住所に帰ってきて転入した中学校で小学生時代の知り合いに会うと、必ず驚かれた。
 転校する前まで私が見下ろしていた同級生たちはみんな私より背が高くなっていたのだ。
 「〇〇ちゃん、なんか縮んだ?」などとほざく、いや、からかう男子もいた。(いや、アンタが伸びたんやろ)
 
 小学生のときの背高の私を知っている中学の同級生たちは最初は少し戸惑っていたようだが、だんだんに慣れた。
 高校に入学すると、周りは最初から私を「あのちっこい子」と見なすようになり、昔の知り合いも私が背が高かったことなどいつしか忘れてしまった。
 
 昔、あんなに私の背が伸び過ぎることを心配していた(ように見えた)母は、今頃になってときどき、「もっと伸びると思ってたけどねえ」などと言っている。勝手なものだ。
 
 何にせよ、小柄組と背高組、どちらの立場も体験できたことは、それはそれでよかったと思っている。
 …結果、どっちだって、いいやん。

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ここに書いたことは、あくまで私の個人的な感想です。
今は、身長の高い低いなど、外見で人を、子どものことも、ああでもないこうでもないと決めつけたり判断することはよくないと言われますし、むしろ、みんなあまり気にしなくなりました。
いいことだと、思います。

#日々のこと #エッセイ
#身長 #高くても低くてもいいじゃん