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つれづれ雑記*本当のこと、の話*

 人の世では、正直に言ってはいけないとき、言わないほうがいいとき、があるのだと私が初めて知ったのは、ごく幼い頃、そう、私がまだ幼稚園児だったある日のこと。

 その日、家族3人で父の会社の同僚が新築したばかりの家を訪問した。
 よく覚えていないが、近くに越してきたので遊びに来てくださいね、とか言われ、新築祝いか何かを持って行ったのではなかったか。

 当時、我が家には車はなかったのでバスと歩きで行った。家を出るときから少し曇っていたのだが、やはり途中から雨が降ってきた。
 家の住所は予め、父が聞いていたのだったが、あまりちゃんと聞いてなかったのか、教え方が雑かったのか、道がわかりにくくて迷ってしまった。
 
 雨足がどんどん強くなり、足も服もびしょ濡れになりながら散々探し回って、やっと目当ての家を見つけた頃には母はものすごく不機嫌になっていた。
 元々、母はその父の同僚のことをあまりよく思っていなかったこともあり、新しいお宅訪問も気が進んでいなかった。
 母は道々、「もう2度と来ないから」と父に愚痴をこぼしていた。
 
 やっと着いたお宅でお祝いを渡してお茶やお菓子をご馳走になる頃には、皆、人心地がついて、まあ、それなりに和やかな時間を過ごした。
 やがて雨も上がり、帰り際の挨拶をしているとき、父の同僚の奥様が「また来てくださいね」と行ったのに対し、母は「ありがとうございます。また寄させていただきますね」と答えた。
 
 その頃の私は、相当に小生意気で小賢しい子どもだった。そのくせ、社交辞令などという言葉は全く知らなかった。
 すかさず「お母さん、もう来ないって言うてたやん」と言い放った。
 しかも、ものすごく得意げに。(あはは)

 そのあと、どうなったかはまるで覚えていないが、さぞかし、場は恐ろしい勢いで凍りついたことだろう。
 もちろん、帰り道で母にとんでもなく叱られたことは間違いない。
 ただ、そのときは叱られたということが不思議で、何だかよくわからなかった。叱られている理由も理解できなかったし。

 ただ、今、思い出してみるに、父はあまり怒っていなかった。
 たぶん、それは私の言ったことが嘘ではなかったからだろう。そして、いくら機嫌が悪かったとは言え、融通の効かない小さな子どもの前で余計なことを言った母にも責めがある、と思っていたのだと思う。
 母にもそれはわかっていて、だからこそ、余計に腹が立ったのかもしれない。

 この事件(?)は、私の幼い心に結構な爪痕を残した。
 本当のことを言ったのに、怒られた。
 嘘を言ったら怒られるけど、本当のことを言っても怒られることがある。
 そのことが、ショックだったというより、新しい発見、だった。

 本当のことを言うことが『正しくない』こともある。
 本当のことを言わないことが『正しい』こともある。
 そしてどうやらそれは、いわゆる『嘘』や『虚偽』とは別物、らしいぞ。
 
 なんて、そんなふうに分析できるようになったのは、もう少し大きくなってからのことで、この頃はぼんやりと意識していただけだけど。

 そしてそれに関連して、もうひとつ気がついたことがあって。
 それは、本当のことを言うと、そしてそれが本当であればあるほど、人は怒る、ということだ。
 みんながそうだとは言わないが、怒るというか少なくとも、ムッとする人がいる、ように思う。(私も含めて)
 もちろん、それはいつも、というわけではなくて状況にもよるだろうけど。

 ただ、自分が全く知らなかった、思いもしなかった本当のことを言われたときに怒る人は意外に少ない。

 それよりも。
 知っていたけど、認めたくなくて知らないふりをしていた、本当のことを言われて。
 または、もっと事情は複雑で、自分では知らないはずだったけど、実は何となく気づいていて、でもそうと認めたくないがために知らないと自分で自分に暗示をかけていたことを、他人から指摘されて。(ややこしいな)

 あと、これは大いにその人間の器の大きさによると思うが、自分より格下だと思っていた相手に、何かを指摘されると怒る人がいる。
 生意気、言ってんじゃねえよ、お前に何がわかる、みたいな。

 これらは、もちろん、私の単なる主観であって、当てはまらないこともたくさんあるとは思うけど。

 嘘はダメだ。
 事実を隠すのもよくないだろう。
 でも、何が何でも本当のことを指摘すればいい、というものではないということも、あの日、幼稚園児だった私はリアルに体験し、さらにその後の幾星霜の間にさまざまな経験を経て、ある程度、多くを理解した。

 人には感情がある。プライドがある。意地がある。性格もある。立場もある。
 もちろん、それは人それぞれによって多種多様であろうし、事によったら、そんなの知ったこっちゃねえよ的な得手勝手な理由もある。
 それに対していちいち配慮なんて出来ないけど。
 そんなことで真実の重みは何も変わらないよ、とのお叱りも受けるかもしれないけど。

 でも、真実と本当のこととは違うと思うのだ。
 言われた相手が怒ろうが傷つこうが『言わなければならない真実』はもちろん厳然として存在する。
 それは絶対に間違いないことだが、『言ってもいい、むしろ言ったほうがいい本当のこと』があるなら『言う必要のない、どっちかというと言わないほうがいい本当のこと』『どっちでもいいけど、言っても誰のためにもならない本当のこと』も、ときにはあるのだろう、と思う。
 
 
 丸眼鏡と赤い蝶ネクタイに半ズボンのちびっ子探偵が言うように、真実はひとつ、かもしれないが、本当のこと、というのは結構たくさんあって、その取り扱いは大人でも、なかなかに難しいものなのかもしれない。

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 新年早々、こんな、少々面倒くさい記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。(⌒-⌒; )
 
 よりにもよって元日に、とんでもないことが幾つも起こって波乱の年明けになってしまいました。
 心にも身体にも傷を負われた方々の安寧と地域のより早い復興をお祈りいたします。

 本年が皆様にとりまして、より佳い年となりますように。
 今年もよろしくお願い致します。
(これは、間違いなく本当の気持ちです)

#日々のこと #エッセイ
#本当のこと #真実
#あくまで個人の主観です