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つれづれ雑記 *昭和のキャンプ、の話

 キャンプがブームだ。
 オープンエアで換気の心配がないし、密にもならないから、ということらしい。何より、自然に触れることはストレスの発散になるのだろう。
  
 ホームセンターやアウトドアグッズ専門店のチラシを見ると、おしゃれで便利で、これ、普通に家で使えるんじゃないか、みたいなキャンプグッズがたくさんある。
 キャンプサイトもきれいに整備されていて、施設も充実している。
 
 でも、キャンプがこんなに手軽におしゃれになったのは、最近のことだ。
 昔は、キャンプはもっとテキトーで面倒くさくて、どちらかと言うとヤンチャなものだった。

 これは、私がかつて勤務していた電機メーカーの工場で聞いた、昭和ももうすぐ終わりという頃のキャンプの思い出話である。

 突然だが、電機休み、というものをご存知だろうか。今もあるかは知らないが、昔、電機関係の会社には、お盆休み以外に俗に電機休みと呼ばれる夏休みがあった。だいたい梅雨明け前後、学校の夏休みが始まる2、3日前の4日ほど。この間は本社も下請けも一斉に休みになった。

 その工場は当時、若い男子社員が多かった。
 電機休みの期間、他の会社に勤めている友人たちは休みではないため、同じ工場の気の合う仲間たちで遊びに行くのが毎年の恒例だったが、いつからか、それがキャンプになった。 

 もう何十年も昔のことで、それはどうなんだ、と思われることもところどころあるが、中身は悪ガキ高校生のまま全く成長していなかった若者たちの馬鹿な話だと思って、そこは見逃していただきたい。

 参加人数は年によって違うが、既婚者も2名ほど入れて、だいたい7、8人。行き先は日本海側の海水浴場に併設されたキャンプ場。

 当時のキャンプ場は気の利いた貸し出しサービスなんてないから、必要な機材は何もかも持ち込みだ。結構な荷物になる。
 仲間うちで荷物の積める車を3台ほど出して、交代で運転する。

 食料品その他の買い物は途中のスーパーで。
 夜はもちろん焼肉(バーベキューなどというおしゃれなものではない。あくまで焼肉)なので、とりあえず肉。
 野菜などの無駄なものは買わない。肉、あるのみ。あと、タレ。
 それにビールやジュースの飲み物、スナック菓子、などなど。

 キャンプ場は砂浜から少し上がった芝生地。
 車を駐車場に止めるときに、係のおじさんに区画番号を告げられる。
 その番号の区間に荷物を運んだりテントを張ったりしていると、おじさんがやってきて、代表者の名前、住所や電話番号をチェックし、テントの数を聞く。人数でなく、テントの数で料金が決まるシステムなのだ。

 既に設置した大きなテント1つを指して、涼しい顔で「1つです」と言って料金を払い、おじさんの姿が見えなくなってから小さいテントをもうひとつかふたつ張る。
 今にしてみれば、絶対おじさんは気づいていたと思う。
 おおらかな、いや、いい加減な時代ではあった。

 キャンプ場には、同じように電機休みなのか、どこかの会社の面々が、(学校が夏休みに入る前なので家族連れでなく)やはり会社の仲間同士で来ていた。
 あるとき、隣でテントをはって腰を落ち着けるといきなりテーブルを出して麻雀を始めたグループがあったそうだ。

 麻雀は一晩中続き、隣接する区画同士は結構な距離がとってあったにも関わらず、牌を混ぜるジャラジャラいう音がずっと聞こえていたらしい。
 何でわざわざキャンプ場に来てまで麻雀をしているのかはよく分からないが、家族に文句を言われないところで心ゆくまで徹夜麻雀がしたかったのかも、とも思う。

 さて、メインイベントは夕食の焼肉。
 当然、今のように洒落たバーベキューセットなどない。
 工場に出入りしている板金業者さんに頼み込んで作ってもらった金属製の大きな五徳の上に金網を載せてそこで肉を焼く。
 そして燃料は炭ではなく、全て薪。
 
 工場で使う電線、と言ってもよくある細いものではない、直径が1センチくらいある太いケーブルとも呼ぶべき電線が入荷されるとき、ドラムという直径1メートルほどの木製の大きな糸巻きのようなものに巻いてあるのだが、電線を保護するために、ドラムの周りに細長いかまぼこ板のような木の板が打ち付けてある。
 それが、薪にちょうどいい頃合いの板だった。
 ドラムから剥がした板の釘を取り除き、工場の外で積み上げてキャンプの日まで干しておく。乾いている方がよく燃えるからだ。雨が降ってきたら、皆で慌てて中へ入れる。こういうことは仕事よりマメなのである。
 それをキャンプに持って行って、五徳の下に置いた鉄板の上で燃やして肉を焼く。早い話が焚き火だ。
 当然、かなり煙が出る。めちゃくちゃ煙い。肉を焼いていると目が痛くてたまらなくなる。
 海でシュノーケリングをするのに水中眼鏡を持ってきている者がいたので、肉を焼く当番は水中眼鏡をかけて焼くのがデフォルトになった。あくまで水中眼鏡。ゴーグルではない。想像するとなかなかにシュール。

 キャンプの大きな課題のひとつに蚊対策がある。
 肉を焼いているときは(煙のせいか)あまり寄って来なかった。が、片付けて火を消すとたちまちワッとばかりに襲ってくるので、蚊取り線香を何個かのブリキのバケツの中でたくさん(!)つけて、テント周りに配置していた。
 煙幕のようにもうもうと煙が立つ。不思議なもので、それだけしていても蚊に刺されやすい者とそうでない者が出てくる。
 よく刺される者の隣にいると代わりに刺されてくれて自分は刺されないのではないかという噂が立ち、刺されやすい者の隣は人気があった。
 ホントのところはわからない。
 
 テントには当然、冷房などないから暑くて眠れなかったのでは、と思うが、海辺の夜はそれなりに涼しかったらしい。
 それでも暑くてどうしても寝られないときは、必殺技があると言う。
 海水浴場とキャンプ場を兼ねているので、シャワー施設はある。水は無料で外、湯の出る有料のところは個室ブースになっていた。
 その有料シャワーのところでボディーソープ代わりに当時よく売られていたトニックシャンプーを使って身体を洗うと、信じられないほど涼しくなるそうだ。それで夜風にあたると寒いくらいに涼しいのだとか。
 それが正しい使い方かどうかは、私にはわからないが、興味ある方はやってみて欲しい。(正直、私はやったことは無い)
 
 他にもこの手の話は枚挙にいとまが無い。もっととんでもない話もあるが、彼らの名誉のために書くのはやめておこう。
 
 
 効率や利便、手軽さだけでなく、面倒やトラブルを笑い飛ばし、面白がることが出来た時代。
 
 結果ではなく、失敗や過程を楽しめた時代ではあった。
 
 そんな古き良き(?)時代の、どうしようもないヤンチャな悪ガ、いや、男たちのキャンプのお話。


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