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つれづれ雑記 *50年ぶりに謎が解けた話

 小4から小6の頃、父に連れられてよく図書館に通っていた。
 市立の図書館は最寄り駅から電車で10分ほどのところにあり、本4冊まで2週間借りることが出来た。
 子ども向けの世界名作全集をよく借りていた。
 ヨーロッパ、ロシア、中国、アラブ、などいろんな国の小説や物語を子ども向けに書き直したもので、なかなかに分厚くて巻数もかなりあったが、残念ながら、どんな物語があったのかほとんど忘れてしまっている。
 でも、タイトルもあらすじも登場人物もほとんど覚えていないのに、短い場面だけを部分的に記憶しているものがいくつかあるのだ。

 その中のひとつに、ローマ時代の物語があった。
 あやふやな記憶をたどると、ローマ人の青年が、当時は異端とされていたキリスト教徒の美しい少女と出会い、一目惚れしてしまう話だった、と思う。

 主人公が少女に気持ちを告げると、少女が地面に魚の絵を描いて彼に示す。
 何のことか分からず、戸惑う主人公を見て、少女は黙って絵を消した。
 後でわかったのだが、魚の絵はキリスト教徒を示す暗号になっていて、少女は彼がキリスト教徒であるかどうかを確かめたのだ。
 彼はキリスト教徒ではないので、そんなことは知らない。もちろん、彼女がキリスト教徒であることも、このときは知らなかった。
 という、この場面だけがどういうわけか、頭に残っていた。

 あれはどんな話だったのだろうか。
 ぼんやり覚えている内容から思うに、あまり子ども向けの物語ではないようだけど。
 そんなことが大人になってからもずっと頭の端っこに引っかかっていた。

 そんな50年近くも前の疑問が、つい最近、思いもかけないことから解けた。

 私がフォローさせていただいているnoterさんに佐原耕太郎さんと言われる方がいる。
 佐原さんは、小説、絵本、エッセイ集などさまざまなジャンルの本を明快な文章で紹介する記事を書かれている方だ。

 先月、いつものように佐原さんの記事を読ませていただいていた私は、驚いて思わず2度、いや、3度見した。
 


 この記事で佐原耕太郎さんが紹介されている小説「クオ・ワディス」のあらすじが、私がぼんやりと覚えている例の物語によく似ているのだ。

 私はコメント欄で佐原さんに、主人公と少女の出会いで魚の絵を地面に描く場面がないでしょうか、と尋ねてみた。
 佐原さんのお答えは、ありますよ、ということだった。
 ギリシャ語で「イエス、キリスト、神の、子、救世主」という言葉の、それぞれの頭文字を繋ぎ合わせると、「魚」という単語になるので、当時、キリスト教徒の間で魚の形が符号として使われていたのだと、コメント欄で丁寧に説明してくださった。
 私が48年前に読んだ物語は、この小説「クオ・ワディス」を子ども向けに書き直したものだったのだ。

 「クオ・ワディス」はポーランドのノーベル文学賞受賞作家ヘンリク・シェンキェーヴィチの1896年発表の作品。
 紀元1世紀のローマ。キリスト教徒が少しずつ増えてきてはいたものの、まだ認められていない時代。彼らを疎ましく思っていたローマ皇帝ネロが、その頃起こったローマの大火(一説にはネロ本人が犯人とも言われている)の責任をキリスト教徒たちに負わせ、激しい弾圧と迫害を加え始めた。
 そんな時代を描いた歴史大河小説であり、前述のローマ人の青年(貴族出身の将校だそうだ)とキリスト教徒の美しい少女とのラブロマンスが主軸になっている。

 題名の「クオ・ワディス」とは、ラテン語で「どこへ行かれるのですか?」と言う意味の新約聖書に出てくる言葉で、この物語を象徴するキーワードでもある。
 この作品が書かれたとき、列強の外圧に苦しめられていた祖国ポーランドに対する著者の思いでもあったのではないかとも言われている。(佐原さんの記事を参照にしてます)

 子どもの頃からの謎が50年ぶりに解けるなんて、びっくりだ。
 もし、私がnoteを始めていなくて、佐原さんのこの記事を読ませていただくことがなければ、おそらくずっと解けることがなかった。縁、ってあるんだなと思った。

 家人にこの話をすると、よかったね、じゃあ、ぜひ本編を読まないと、と言われた。
 そりゃあ、もちろん、と言いかけたが、佐原さんの記事によると、「クオ・ワディス」は文庫で上中下の3巻、全編1000ページからなる大作らしい。
 (考えてみれば、こんな大作をよくも子ども向けに書き直したものだ、と今更ながらびっくりする)

 うーん。これは、迂闊に手を出すととんでもないことになりそうだ。
 どうしようか、と目下、熟考中である。
 
 ところで、私にはもうひとつ、気になっている謎がある。
 それは、どうやらアラビアの物語らしいのだけど。

 1人の医者がある男の策略にかかり、若い女性を死に至らしめてしまう。
 医者は、自分は騙されたのだと主張するが認められず、右腕切断の刑罰に処される。
 医者は自分を騙した男を探し出し、理由を聞こうとする、というものだった(と思う)。

 子ども向けにしては、ずいぶんとまた陰惨な物語だが、この部分だけが頭の隅に引っかかっているのだ。

 どなたかこの記事を読まれた方の中に、こんな物語を聞いたことのある方がおられないだろうか。もしあれば、ぜひ教えていただきたい。
 2匹目のドジョウならぬ、2冊目の本、を密かに期待している。


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追記

 佐原耕太郎さん、この度は勝手に記事を引用させていただいてしまって、すみません。
 ご迷惑でなければよいのですが。
 おかげ様で、長年の疑問が解けました。
 ありがとうございました。
 これからも記事を読ませていただくのを楽しみにしています。


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