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番外編 【創作】

これはフィクションです。
noteの皆様の創作があまりに楽しそうなので、悪戯してみました。
そんなに長くないので、秋の夜長にお時間がおありでしたらちょっと読んでやってください。


*虫追い香*   


 「お待たせしました」
 物思いに沈んでいた麻子は、ドアをノックする音とそう呼びかける声で我に返った。
 いかにもやる気のなさそうな愛想のない受付嬢に案内され、スチールのテーブルとパイプ椅子しかない殺風景な部屋に通されてから、気がつくと数分が過ぎていた。
 
 入ってきたのは、ちょっとボーッとした顔に黒縁の眼鏡をかけた中年を少し過ぎたくらいの男。白衣を着ている。

 「はじめまして。ワームバスター研究所の所長の賀川です」
 そう言いながら、テーブルを挟んで麻子の向かいに座った。
「で、我が研究所にご相談というのは?」
 賀川は眠そうな目をショボショボさせながら尋ねる。
 麻子は、膝の上に置いた両手をぐっと握りしめた。

*****

「ではつまり、駆除したいのはご主人の、えー、啓介さんでしたか、浮気のムシだと、こう言われるんですな」
 賀川は眼鏡を外し、白衣のポケットから取り出した意外にきれいなハンカチでレンズを拭き始めた。
 麻子は、先ほどの自分の言葉を繰り返されて急に恥ずかしくなった。
 
 本気で言ってます?
 
 そう言われても仕方がない。
 啓介の浮気癖にずっと悩んでいて、ふと街で見かけた『ワームバスター研究所』の看板に添え書きされた『よろず虫退治致します』の文字にフラフラっとこのボロ、いや、古いビルの2階まで上がってきてしまった。

「あの、すみません…私」
やっぱり、いいです、と言いながら麻子が立ちあがろうとしたのと、
「ひとつ、お伺いしたいのですが」
と、賀川が言い出すのとが同時だった。
「ご夫婦仲は良好なのですね」
 麻子は座り直して、うなずいた。
「ご主人は奥様のことを愛し、大事に思っておられる。でも、ときどき、他の美しい女性のことが、その、気になってしまうのは、あくまで、ムシのせいだと」
 麻子が黙ってうなずくと、賀川は眼鏡を再びかけて、目を大きく見開いた。
 どうやら、目が覚めたらしい。
「わかりました。では、私どもにお任せください」
 賀川は自信あり気にうなずいてみせた。


*****


「…こんな感じでいいのかしら」
 麻子は、軽いいびきをかいてこれ以上ないほど熟睡しているように見える啓介の枕元に金属製の小皿をそっと置いた。
 その上には小さな渦巻き型のお香が置いてあり、細い煙をあげている。
「5分もしたら、効いてくるって言ってたけど」


*****


 昨日、ワームバスター研究所のあの殺風景な部屋で、いそいそと賀川が取り出してきたのは、蚊取線香を2回りくらい小ぶりにしたようなものだった。
「これが、我が研究所の開発した『虫追い香』です」
 虫追い香?
「これを今日の夜、ご主人が寝ておられる枕元で焚いて下さい。5分もすると、ムシが燻り出されてきますから…」
 え、本当にムシが出てくるの?
「あのー、実はこの製品は臨床治験がまだでして。ですので、今回は特別に無料でお試しいただけます。ただし、条件がひとつ」
 賀川は顔の前で人差し指を立てた。
 条件?
「ムシが出てきたら、捕まえてこの瓶に入れて持ってきていただけますか」
 

*****


「うそ、これがムシ?」
 麻子は右耳を下にして向こうむきに眠っている啓介の後頭部の横、枕の上に何やら動いているものを見つけた。
 薄い茶色で長さは2センチほどの、尺取り虫のようなムシ。
 そのひょこひょことした動きは、まあ、愛嬌があると言えば言えなくもない。
 麻子は、用意していた割り箸を使ってそのムシをつまみ上げ、賀川から渡された茶色の薬瓶に入れて蓋をした。


*****


「いやー、ありがとうございました」
 翌日、麻子はワームバスター研究所の例の殺風景な部屋で、賀川に蓋を閉めた瓶を渡した。
 賀川は嬉しくてたまらないようで、瓶を持ち上げて透かしてみたり、蓋を慎重に開けて中を覗いてみたりしている。
「こちらこそ、お世話になりました。あの、本当に無料でよろしいんですか?」
 麻子の言葉に、賀川は瓶を机の上に置き、大きくうなずいた。
「もちろんです。おかげで貴重な臨床材料が手に入ったわけですから料金は結構です。何なら謝礼を差し上げてもいいくらいです」

 謝礼については丁重に辞退し、麻子は研究所を後にした。
 気持ちよく晴れた午後。心のつかえも取れていい気分だ。麻子は心が弾むのを感じた。どこかで美味しいコーヒーでも飲んで帰ろうかしら。
 と、すれ違いざまに誰かとぶつかり、麻子はバッグを落とした。
 慌てて拾い上げようとして、そのぶつかった相手も「すみません」と言いながらバッグに手を伸ばす。
 手と手がぶつかり、麻子は思わず手を引っ込めた。相手は再び「すみません」と繰り返し、バッグを拾い上げて差し出してくれた。
 目が合った。
 涼し気な目元、ちょっとはにかんだ柔らかな微笑み。絵に描いたような爽やかな青年だった。
「ありがとう」
 微笑み返すと、その青年はドギマギしたように目を逸らした。頬が微かに紅潮している。
 麻子はいつになく浮き浮きしている自分に気がついた。この、胸のときめきは何だろう。
「ありがとう。よかったら、お礼にそこのお店でコーヒーでも一緒にいかが」


*****


「うーん、どこ行ったのかなぁ」
 賀川は、ズボンの膝を埃だらけにしてテーブルの下から這い出した。テーブルの角で頭を打つ。
「あ、痛っ」
 そこへファイルを抱えた受付嬢がドアを開けて顔を覗かせた。
「失礼します…、あら、所長、何やってるんですか」
「ああ、さっきの奥さんが提供してくれたムシがねー、瓶の中にいないんだよ」
「え、所長、逃しちゃったんですか。いやだー。早く見つけてくださいね」
 受付嬢はそう言って、慌ててドアを閉める。
「おかしいなぁ。さっきはいたのに。どこ行ったんだろう」
 賀川は頭をかいた。


          (了)

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