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色つき眼鏡と世界の関係

昨日は送別会だった。いま、顔をだしている会社がもろもろと崩れ去っていくのをみている。なんともいえない気持ち。耳を閉じたトップのもとでは誰もがこんな気持ちになるのかなと思う。
人柄とそれとはあまり関係がない。ただ、トップの優先順位がお金単体であったり、全員の、ではなく自分の権威を高めるための判断が続くと、チームはチームとして成り立たなくなってしまう。誰かがそのしわ寄せをくらうことが増えていくだけだ。

今回の場合、社長自身がお金を払っている人間が一番えらい、と思っている。これは痛いし胸にくる。というのも、ついこの間までわたしもそう思っていたからだ。私の場合は「お金をもらっているから従わなければいけない」という言葉になるのだが、結局は一緒だ。そんなわけないだろうと今は普通に思えるが、本人がそう思っているのであればそうだし、そういう人が経営者になったなら、会社で一番えらいと思ってしまうのもしょうがない。
わたしはそういうしわ寄せを受けないと決めている。びっくりするほどギャラは安い分、時間も自由で責任もない。
社員となるとこうはいかない。

つながりができてくると、その人が何を大事にして生きているのか、どうしても透けて見えてしまう。
同じ時空間にいても、見えるものは違うし、意味づけもひとそれぞれに違う。みんながそれぞれ、自分の色眼鏡を通してみていることは重々承知だ。
それでも、この色眼鏡こそがそれぞれの持ち味で、宇宙を形作り、色彩をつくり続ける。交わることなく、交わったと錯覚することはあるかもしれないけれど。きっとそれがこの世界の面白さと本来の楽しみ方なのだろう。

「そのメガネはいやだなあ」と思うとき、ならば、わたしはどんなメガネをいまかけてる?と考える。そして新しいメガネを毎日新調してもいいんだよな、と思う。

共にいる仲間たちと互いに創造力と個性と強みを生かし、遊ぶようにつくる世界。
終わることだけでなく、始まることもここにある。くっきり見える。
そんなメガネを、わたしは選ぶ。

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