【羽根堕ち】第10話 因縁

 丁寧に巻かれた灰色の髪。鋭くこちらを睨む青い目。手に握られた水色の槍。現れたもう一人の女性は、まっすぐザイロを狙うと詠唱を続けた。
「解き放て!」
 次の瞬間、槍は勢いよく滑り出す。ザイロではなくジェナに向かって。
「! 危ないっ」
 とっさに、アイラはジェナの腕をつかむと強く引き寄せた。小さな体を庇うように抱き締めた、その腕に槍がわずかに触れる。
「ぐっ……」
 かすっただけとは思えない鋭い痛みにアイラは思わず顔をしかめる。巫女の女性が焦ったように叫んだ。
「サロニカちゃん!何をしてるの?」
「必要なことよ」
 サロニカと呼ばれた女性は巫女の女性を見もせずにそう答えると槍を構え直した。その視線は不自然なまでにまっすぐザイロだけに向けられている。
「ザイロ、知り合い……っ!?」
 問いかけた言葉は驚きに飲み込まれる。トロンが鋭い警戒音を放つ。
『……っ』
 ザイロは、傍目にもわかるほど震えていた。瞳に怯えを張り付け、逃げることもできずに立ちすくんでいる。その表情を見た瞬間、アイラの頭にひとつの情景がフラッシュバックする。

 庭の隅、物置の中。暗がりにうずくまるようにそれはいた。ぼろぼろに傷ついた身体を丸め、怯えた目でこちらを見上げる小さな狼。羽根は無惨に千切られ、その姿は中型犬と何ら変わりない。
《……怪我、してるの?》
 声をかけたアイラに、それは無言で怯えと警戒心だけを返してきた。恐る恐る手を伸ばして抱き上げると、身体を強張らせながらもされるままに運ばれていく。……抵抗もできないほど衰弱していたのだと気づいたのは、手当てを終えた後だった。
 両親の目を盗んで床下に匿ったそれは、元気になるにつれて親しみを見せてくれるようになった。そして――数日後、自分が邪神の配下であることを明かし、「ザイロ」と名乗ったのだ。

(あの時の怪我、それにこの表情……。もしかしてこの人が……?)
 一つの可能性にたどり着き、アイラはザイロを引き寄せるとそっと背後に隠した。ザイロを追う青い瞳がまっすぐアイラを睨み付ける。
「あなた、それが何者か知っててやってるの?」
 尋ねる声は凛とした中にはっきりと敵意を孕んでいる。その棘に、ポケットのクリスタルが反応した。
「!」
 ぶわ、と流線状に広がる緑の光。どこからか微かにレクイエムが聞こえる。
「それは……まさか……」
「イサドラさん、下がって!」
 震える声で呟く巫女の女性に、サロニカが鋭く指示を飛ばす。イサドラと呼ばれた女性が柱の陰に隠れたのを見届けて、サロニカは槍をアイラに向けて構え直した。
「やっぱりあなたね、姉様が言ってた旅人は」
 その言葉に、ジェナがぴくりと反応する。
「姉様、って……」
 聞きたくない。そんなアイラの心情などお構い無しに、サロニカは冷たい笑みを浮かべて言った。
「村の入口で会ったんでしょう?」
「! あの人……!」
 にこやかに話しかけてくれた、優しそうな女性。その微笑みが思い浮かんで、ぞくりと背筋が震える。あの人はアイラたちを見定めて、怪しいとサロニカに告げたのか。
《村の人に似てたから》
 固まっていたジェナの言葉がふと脳裏によみがえる。ジェナを無慈悲に弾いたユリーカたち。「正義のひと」。それと似ている、ということは。
「質問はおしまいよ。……あなたの命も、ね!」
 不意に、サロニカはそう叫ぶと槍を繰り出した。光に閃く切先は大きく弧を描き、再びジェナに向かって流れていく。腕を掠めた傷の痛みが鮮烈に蘇ってくる。ジェナが、そしてザイロが、無慈悲に執拗に傷つけられる姿が脳裏にありありと浮かんだ。次の瞬間、お腹の底からふつふつと怒りが沸き上がってくる。
「……許さない、そんな未来」
 呟くと、アイラはポケットからクリスタルを取り出した。ギラギラと今までになく攻撃的な光を放つそれに、思いっきり魔力を注ぎ込む。すると――クリスタルは、アイラの手の中でゆっくりと姿を変えた。笛を模した瀟洒な銃口と五線譜をあしらった銃身。ずしりと重い、シンプルな機関銃。使い方は、自然と頭に響いてくる。
「ピアニシモ」
 銃口を槍に向けて唱えると、放たれた弾丸が唸りをあげて槍の軌道を変えた。サロニカが弾かれたようにアイラを見て目をみはる。
「クリスタル……?まさか、この前浄化があったばかりじゃない……!」
 目に見えて動揺するサロニカ。そのがら空きの胴に、アイラはぐっと銃口を向けた。
「ピアノ!」
 唱えながら引き金を引けば、不可視の弾丸がサロニカに向かって風のように飛ぶ。サロニカの左肩から血が吹き出した。
「痛っ……なんなのよ、あなた……!」
 傷ついた肩を押さえ、サロニカは忌々しそうに叫ぶ。その瞳にはまだ敵意がありありと浮かんでいる。直後、サロニカの周囲に無数の氷の矢が現れた。
「クリスタルひとつで私に勝てると思わないことね!」
 言葉と同時に矢はアイラ目掛けて勢いよく飛んでくる。避けようと身体を屈めた瞬間、腕の傷が疼いた。
(しまった……避けきれない……っ!)
 中途半端な体勢のまま、なんとか初撃の直撃だけは避ける。あちこちを矢が掠め、うっすらと血がにじむ。
「まだ行くわよ!」
「!」
 息をつく間もなく目の前に迫る鋭い氷の矢たち。思わずぎゅっと目をつぶった次の瞬間。
『――――!!』
 ギン、と強い耳鳴りがして一瞬音が消えた。そして、不自然な静寂の中パラパラと何かの欠片が床に落ちるような音が響く。
 恐る恐る目を開けると。
 トロンが、見たこともないような冷たい眼差しでサロニカを見つめていた。


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