【羽根堕ち】第5話 懸念

 しばらくして、ジェナが落ち着いてくるとアイラは再び地図を開いた。ひとまずミョーを目指す方針はいいとして、そのままジェナを伴ってユールに行くのは酷だろう。全員で顔を付き合わせて慣れない地図をなんとか読み解き、ミョーから進めそうな道を探す。
「西は砂漠か……。ちゃんとした準備がないと通れないね」
『北は?山脈をぐるっと回ればメナードに行ける』
 ザイロが地図を指し、ぐるりと弧を描いた。ミョーの北東からユールを囲むようにメナードの南東に伸びる山脈、その東。遠回りにはなるが確実に光神の集落にたどり着くことができる道だ。地図を見た限りではミョーからも楽に出られそうだし、万が一の時にも簡単に逃げられるだろう。
「まずは川に沿ってミョーまで行って、それから山脈に沿ってメナードに行く。それでいい?」
 アイラが確認すると、ジェナはこくりと頷いた。それからおもむろに後ろを振り返り、何かに合図するようにぱたぱたと手を動かす。アイラもつられてそちらを見るが、風にそよぐ草原の他には何も見えない。トロンがかすかに警戒音を放った。それを見て、ジェナは慌てたように自分の隣の空間を手で示すと早口に説明する。
「僕の友達のシャンだよ!かなり性格悪いけど悪いやつじゃない、と思う……」
 ジェナの手の先には、やはり何もない。きょとんと首をかしげるアイラの隣でトロンだけがささやくような警戒音を放ち続けている。少しの沈黙の後、ザイロが言葉を選びながら尋ねた。
『お友達も一緒に来てくれるの?』
「うん!」
 ザイロの言葉にジェナはぱっと笑顔になり、元気よく頷く。それを見てアイラも少し安心して微笑んだ。ジェナにとって少しでも安らげる場所があるならば、それがザイロやアイラならばそれほど嬉しいことはない。アイラの表情を見てトロンもゆっくりと警戒音を消す。張りつめた空気がふわりと弛む。
 ……けれど。歩き出してすぐに、頭の中に黒と見紛うほど濃い紫が広がった。アイラにとってはオルフェを連想させる特別な色。それを念送してくるということは、トロンはアイラにオルフェの指示を仰ぐべきだと言っている。
「どこで会える……?」
 ジェナを刺激しないように、アイラは囁き声でトロンに尋ねた。一拍おいてどこかの湖の情景が念送されてくる。青というよりむしろ黒いほど深く湛えられた水に緑の木々が映り込み、生き物の気配はなくどこまでも静かな世界。見つめていると視点がゆっくりと流れ始め、川沿いの道をずっとたどってアイラのいるこの場所へと着いた。アイラはこくりと頷き、それを見たトロンが今度はザイロの方を向く。同じものを念送されたのだろう、ザイロはちらりとアイラを見て小さく頷いた。アイラもそれに頷き返し、楽しげに歩くジェナを横目に見ながら考える。
(疑いたくない。あの子は被害者だよ。でも……オルフェ様が補佐にって預けてくれたトロンが、適当な事言うはずない)
 トロンがオルフェに相談すべきだと感じるような何かがジェナにはあるのだ。アイラにはそれが何だかわからないけれど、何となく嫌な予感がする。部族を追放されたことや目に見えない「友達」と何か関係があるのだろうか。
「……アイラ?どうしたの?」
「!」
 黙り込むアイラに気付いて、ジェナが心配そうに声をかけた。見上げてくる瞳には気遣いと同時に不安の色が見え隠れしている。ちら、と横に視線を流し、ジェナはおずおず言葉を紡ぐ。
「具合悪い?悩みごと?それとも……シャンのこと、苦手?」
「ううん、そんなことないよ!」
 震える声でこぼされた言葉に、アイラは大慌てで首を振った。苦手も何もアイラにはシャンの姿が見えないし、たぶん声も聞こえない。それを伝えたが最後決定的な何かが壊れてしまう気がして、アイラはジェナの目を覗き込むと落ち着いた声を意識して言った。
「ただね、今まであんまり人と話してこなかったから緊張してるの。私の髪と目の色、珍しいみたいであまり友達できなかったから」
 日の光を弾いて煌めく銀髪に左右で違う目の色。周囲と比べてあまりに異質なその外見を、大人は不審がり子供は気味悪がった。アイラの言葉にジェナは大きく目を見開く。次いでゆっくりと口が開き、唇が動いた。
「なんで……?すっごく綺麗なのに!」
 飛び出した言葉に今度はアイラが目を見開いた。ジェナは拳をつよく握りしめ、まっすぐアイラを見つめている。その強い瞳にアイラは思わずたじろいだ。
(こんな目、するんだ……)
 心のどこかで、ジェナを可哀想な子供だと思っていた。寄る辺のない、闇の中に取り残された子。守ってあげなければいけない相手。それが今瞳に純粋な光を浮かべてアイラを見上げている。
「……ありがとう」
 呟くようにお礼を言うと、アイラはジェナの頭に手を伸ばしてそっとその髪を撫でた。ジェナは一瞬びくりと体を震わせたものの、されるままになっている。トロンがもの言いたげにアイラを見て結局何も告げずに前に視線を戻した。その視線の先、少し離れたところでザイロが飛び跳ねて道を示している。
『こっちこっちー!』
 弾んだ声に呼ばれ、ジェナはぱっと笑顔を浮かべてザイロに駆け寄っていく。弟がいたらこんな感じだっただろうか。遠くなっていくジェナの背中に、アイラは小さく微笑むと足を速めた。


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