【羽根堕ち】第14話 世界樹

 それから移動を続けること数日。ジェナにも少しずつ笑顔が戻り、前のようにザイロとはしゃぐ姿が見られるようになってきた。仲良く戯れる二人の姿を眺め、アイラは小さく呟く。
「良かったな、ザイロがいてくれて」
 それを耳聡く拾ったトロンがアイラを見上げて首をかしげる。楽しげなジェナを見つめたままアイラはふっと微笑んだ。
「だって……私じゃ、ジェナにまたあんな顔させられなかった」
 するりと懐に入り込んで一番欲しい言葉をくれるザイロだからこそ、ジェナを安心させることができた。今こうしてジェナが笑っているのはザイロのおかげなのだ。
 ――そう、全部ザイロのおかげ。
 嬉しいはずなのに、時折どこかじくじくと胸が痛む。アイラではジェナの不安を取り除いてあげられなかった、その事実が頭の片隅にしこりとなって残りアイラを苛む。眉をしかめそうになって、アイラはそっとジェナから視線を外した。
 と、不意に。頭の中に、見たこともない草原の光景が念送されてきた。遥か遠くまで地平を遮るものは何もなく、豊かに繁った柔らかな草が吹きわたる風に波を作っている。頭の中の風景だということも忘れて、アイラは思わず手足を投げ出して座った。風が優しく頬を撫でる。目を細めてじっとしていると、耳の奥にナイラの声がよみがえってきた。
《貴女、それと友達になりたいんでしょう?》
 特別な感情を何も含まず、ただ事実として告げられた言葉。アイラの本心。今でも変わることのない願い。
(……ザイロに先越されちゃったからって、焦ることないね)
 誰もいない自然の中では驚くほど素直にそう思える。すっかり気持ちが落ち着いたことに気づいて、アイラはゆっくり目を開けた。
「トロン、ありがとう」
 傍らに控えていた彼にお礼を言って立ち上がる。ザイロとジェナは頭をくっつけて何やら話しているけれど、もうさっきのように心が嫌にざわつくことはない。二人の姿を見守りながら、アイラはトロンと並んでゆったり歩き出した。

 どのくらい歩いただろう。地図に視線を落としてみても、目印になるようなものは何もない。左手に山脈を、右手に森を見たまま変わらない景色の中をひたすら歩いている。本当に前に進んでいるのかも疑わしくなる道行きに、最初に音をあげたのはジェナだった。
「足痛い……。もう休憩にしちゃだめ?」
 おずおずと申し訳なさそうに尋ねられ、アイラはぐるりと周囲を見回した。道の真ん中で休憩というわけにはいかないけれど、安心して休めそうな場所も見当たらない。とはいえ、先を見ても地平線の向こうまで似たような道が続いている。
「そうだね……。これはもう森に入って休むしかないかな」
 呟くアイラにトロンも静かに頷いた。ザイロがくるんと宙返りして元気いっぱいに先導を申し出る。
『ボク、先行くね!道覚えるのも得意だし』
 道、と言っても森の中は見分けもつかないような木がたくさんはえているだけだ。ジェナも同じことを思ったのか、不安そうにザイロを見つめた。
「大丈夫なの……?木なんてみんな一緒だよ?」
『そんなことないよ!』
 驚いたことに、ザイロは強い口調でジェナの懸念を一蹴した。それからぐるりと辺りを見て得意気に胸を張る。
『おんなじに見える木でも、肌目や葉のつき方が違うんだよ!任せてよ、これでもボクは大陸じゅうにギフトを届けるオルフェ様の使いだよ?』
 小さな傷ひとつ、虫食いひとつ。それら全てを道しるべに変えて、使いは駆け巡る。それを日常の仕事とするザイロにとっては森に入ってまた出ていくことなど造作もないのだという。そうでなければ、巧妙に隠された偽装神殿でギフトを与えることはできない。人の目を盗んで邪神を奉る偽装神殿に、目印などあるはずないのだ。
「……そういう事なら、任せるね」
 ザイロの説明を聞いて、ジェナは安心したようにその後に続いた。アイラも二人を見失わないようについていく。
 しばらく行くと、前方にぼんやりと光が見えた。温かく美しいのに、どこか背筋が寒くなる光。見たいような見たくないような不思議な気持ちが胸をざわめかせる。
「あれは何……?」
 アイラの呟きに、ザイロとトロンが顔を見合わせて首をかしげた。
「近くで見ればわかるんじゃない?行ってみようよ!」
 かすかな悪寒を感じないのか気にしないのか、ジェナはそう言うと元気に足を踏み出した。景色が変わったのが良かったのか、休憩をねだった時の消耗した様子は見られない。放っておいたらずんずん進んでしまいそうなジェナを、アイラは慌てて追いかけた。
 下草をかきわけて進むうちに、少し開けた場所に出る。そこには、大きな樹が鎮座していた。横たわる躯のように根を伸ばし、金色の光を放っている。襲いかかってきた狂暴な風を思い出し、アイラはふらふらと数歩後ずさった。
「なに……?何なの、これ……」
 声が震える。頭のどこかで、アイラはもうその正体に気付いている。追い付いてきたザイロが息を飲んだ。
『まさか……こんなところに……!?』
 普段は冷静なトロンも大きく目を見開いている。ジェナが混乱したように声をあげた。
「みんな、どうしたの?これ何なの?」
 一瞬の沈黙。そして、ザイロがおもむろにその名を口にした。
『世界樹……。これが、浄化を司る世界樹だよ』
「! じゃあ、これを倒せば……」
 言いかけたジェナの言葉がふつりと切れる。視線が世界樹に向けられ、上から下まで往復した。
「うそぉ……」
 小さく、悲鳴にも似た呟きが漏れる。
 世界樹は、七重の結界に守られていた。


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