【羽根堕ち】第11話 クリスタル

 トロンのいるあたりを中心に、びりびりと空気が震える。足元には氷の矢だったものが粉々に砕けて輝いている。天井からぱらりと砂粒が落ちた。何が起きたのかわからないまま、アイラは呆然とトロンを見つめる。
「なに、今の……?」
 呟いた声が小さく溶ける。その声に、同じく呆然としていたサロニカが我に返ったように槍を握りしめた。
「やってくれるわね……。だけど、甘く見ないで。私はサロニカ、アンジュー様に選ばれた代行者よ!」
 サロニカは叫ぶと大きく槍を振り、幅広な斬撃を放った。今までの攻撃とまるで違う動き。動揺するアイラと裏腹にトロンは大きく息を吸い込み、迎え撃つように音にならない音を放つ。
『――――』
 目に見えない大きな指が、サロニカの斬撃を力強く押し戻した。一瞬の拮抗の後、斬撃は耐えきれないと言うように八方に飛び散る。再び空気が震えた。イサドラがおずおずと呟く。
「音波砲……?」
 イエス。ほとんど反射のように、トロンは小さく頷いた。それから目をサロニカの槍に戻し、アイラに向かって注意を促す。トロンを睨むサロニカの手の中で、その切先は持ち主の意に反してまっすぐジェナを捉えている。
(どうして……?サロニカはザイロを狙ってた。今はトロンを警戒してるはず。ジェナは関係ないのに……)
 思えば最初からそうだった。サロニカの槍は、いつも流れるようにジェナに向かう。不自然なまでに自然に、それが摂理であるかのように。それはまるで、水が高きから低きに流れるように――。
「……わかった、かも」
 呟くと、アイラはゆっくりと銃を構え直した。気づいたサロニカも無数の氷の矢を生み出し、こちらの隙を窺っている。周囲をぐるりと取り囲むように配置された煌めく刃。それは確かに脅威ではあるが――サロニカには、致命的な弱点がある。
「トロン、ザイロとジェナをお願い」
 守るべき二人をトロンに任せると、アイラは小さく牽制弾を放った。狙い通り、矢はほとんどがそれを追い、砕けて消えていく。
 氷の矢は、いつもサロニカの意識が向く方へ正確に飛んでいく。ならば、その意識を逸らしてしまえばいい。
 そして。
「風よ、音を運べ。眠りの闇、安らぎの地へ」
 引き金に指をかけ、アイラは歌うように言葉を紡ぐ。詠唱に合わせて足元から風が吹き上がる。かすかな演奏は華やかさを増し、心なしか音量も上がっている。最初から示されていた、オルフェのクリスタルの性質は風だ。そして、サロニカの槍――アンジューのクリスタルは、恐らく水。では、水の流れに強烈な風を当てたらどうなるか?
「吹き抜けろ――フォルテ!」
 叫ぶと同時に、アイラはありったけの魔力をこめて引き金を引いた。泣き叫ぶような笛の音が響き渡る。低く、高く、追悼の調べがすべての感覚をぬぐい去っていく。残った矢がアイラを襲い、その身体に届くことなく砕け散る。サロニカの手元からバキッと嫌な音がした。
「くっ……!」
 小さく呻き声をあげ、サロニカは両手で槍を握りしめる。表情に焦りがにじむ。
「まだよ……!私は代行者、邪神の信徒を滅ぼすの!そのために選ばれたのよ!」
 叫び声は風の唸りにかき消され、ほとんど響かない。響かせるつもりもない。アイラの大切な友人を傷つけ、怯えさせて……そんな使命とやらに、付き合ってあげる義理はない。アイラには、ザイロがまた笑ってくれればそれでいい。だから。
「知らない。ザイロを傷つけたこと、絶対に許さないから」
 答えと同時に、アイラはもう一度引き金を引いた。手の中の銃からピシリと不吉な音がする。けれど、銃は壊れることなく瞬時にアイラの魔力を弾丸に変え、正確に撃ち出した。
 そして。
「フィナーレ!」
 その言葉と同時に……サロニカの槍は水色のクリスタルに姿を変え、がしゃんと音をたてて砕けた。後にはクリスタルだったものの欠片がきらきらと宙に舞うのみ。
「うそ……そんな、私が、負けた……?」
 サロニカは震える声で呟き、その場にぺたりと座り込んだ。イサドラが慌てたようにその傍らに駆け寄る。
「サロニカちゃん、大丈夫?お怪我は?」
 訊きながらぺたぺたとサロニカの身体に触れ、状態を見るイサドラ。サロニカは答えることもなく呆然とどこかを見ている。唇がかすかに動いた。
「なんで……」
 細くかすれた呟き。それを聞くと、イサドラは黙ってサロニカの隣に寄り添った。その背中に、サロニカはゆっくりと腕を回す。イサドラを抱き締めたサロニカはそのまま緩慢な動きでアイラを見上げ、弱々しく睨んでくる。
「いいわ、好きにしなさいよ……。だけどイサドラさんには手を出さないで」
「サロニカちゃんっ」
 イサドラがたしなめるように名前を呼ぶ。優しいその声に、サロニカの瞳が小さく左右に揺れる。その視線は、アイラが持つ銃へとまっすぐに向けられている。引き金を引き、ザイロを傷つけた報いとするのか。それとも……。
 耳の奥で、優しい旋律が鳴り始めた。


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