【羽根堕ち】第15話 方法

 金色の光を呼吸するように明滅させる世界樹。それを取り囲む虹の結界。目の前に広がる光景に、アイラは呆然と立ち尽くす。壊さなければ。それだけはわかっているのに、頭が働かない。
「どうしよう……」
 呟いた声は頼りなく揺れていた。ザイロが考え考え唸る。
『邪神戦争にいた人なら知ってるかもしれないけど……オルフェ様はいなかったし……』
「……邪神戦争?」
 聞き慣れない言葉にアイラはことりと首をかしげる。そんなアイラの様子を見て、ジェナが驚いたように目を見開いた。
「アイラ、知らないの?ヴァイの学校では習わない?」
「うん……。世界樹のこととか主神のこと、あと代行者とクリスタルについてくらいは習ったんだけど……」
 こうして口に出してみると、知識としては本当に最低限だ。アイラが学校で過ごした時間のほとんどは魔力の使い方を制御することに費やされている。それは他の生徒たちも同じで、ほんの少しの座学が終わるといつも校庭に飛び出して思い思いの訓練をしていた。友達がいないアイラはいつも一人で、それでも気にかけてくれる先生がアドバイスをくれたりしたのだ。ほろ苦くも温かい、懐かしい時間。その大切な記憶は、しかし、今この状況を解決するためには残念ながら役に立たない。
「しょうがないなぁ……。じゃあ、ちょっと説明するね?」
 ジェナはそう言うと指を二本立てた。
「邪神戦争は、二千年前に始まって千年間続いた戦争。光神の勢力と邪神の勢力が、神々も人間も混ざりあって戦ったんだ」
 戦いのきっかけは諸説あるが、どれも邪神の信者が光神の寵児を殺したというストーリーらしい。そして怒った光神の報復が別の邪神の怒りを招き、戦争は瞬く間に拡大していく。ユールの教科書では、千年間に渡る業火と惨劇を終わらせたのは世界樹の聖なる光だと説明されるのだとか。
「……そして、それが最初の浄化。っていうのが僕が学校で聞いた話だよ」
 そう話を締め括ると、ジェナは再び世界樹を見上げた。光に照らされ、その横顔に影が差す。救世主と教えられた世界樹を目の当たりにしているというのに、ジェナの表情は冬の湖面のように静かだ。愛着も畏敬もなく、物のように世界樹を眺める眼差し。その視線が結界に向けられ、ジェナはあ、と小さく声をあげるとアイラに向き直った。
「そうだ、もうひとつ!世界樹を守ってるのは七聖人って呼ばれる七人の代行者なんだって」
「! それは聞いたことあるかも」
 学校で、ではない。旅のクラクフィア《クラクフの女》を泊めた時に彼女から聞いたのだ。
 七聖人は、一人ひとつ術を使って世界樹を守っている。正体は明かされず、わかっているのは代行者であるということとその呼び名のみ。
 緋色。柑子。麹塵。紫翠。群青。青墨。紫苑。それら七人が倒されない限り、世界樹に危害が加えられることはない。
「じゃあまずは、一人目の聖徒……『緋色』を探さなきゃいけないんだね」
「でも、どうやって……?」
 ジェナが不安そうに呟く。
 その時。
『――――』
 耳馴染みのない言葉が聞こえ、下草の一部がぱたりと左右に倒れた。ザイロが毛を逆立ててアイラを守るように立ちふさがる。けれど……いつもなら警戒音を鳴らすトロンが、なぜか今は沈黙している。
「トロン、知り合いなの?」
 アイラの質問にトロンは首を横に振った。答えを念送しようとエメラルドの瞳が輝く。その瞬間、それを遮るようにザイロが叫んだ。
『来るよ!』
 すぐにアイラにもそれがわかった。何者かがすぐそこまで来ている。何かに似た気配。「それ」はゆっくり足を伸ばし、倒れた下草を踏みしめ――眩い光を放つと、その姿を現した。
 人間の、形だった。肌は何色ともわからず、紫の瞳はどろりと濁っている。漆黒の髪が光に煌めく。そして、何より目を引くのは左半身――足はある、が、その上半身は不気味にうごめく触手だった。
「誰……!?」
 ジェナが拳を握りしめ震える声で誰何する。闖入者はそれを完全に無視し、アイラを視界に捉えるとぱあっと笑顔を浮かべた。
『やあ愛し子。我が主の命令で様子を見に来たよ』
「……え?」
 思いがけない言葉に、アイラは一瞬完全に反応を放棄した。「それ」は悲しそうに眉を下げ、アイラに向かって歩き出す。
『参ったなぁ……。俺は初対面だけどさ、主には会ったことあるだろう?』
「え……」
 初対面の相手にそんなことを言われても困る。そう思う一方で、さっきから何かが引っ掛かっていた。アイラは大急ぎで記憶をたどる。
 警戒音を鳴らさないトロン。何かに似た気配。そして、彼の挨拶。
《愛し子》
「……あ!もしかして、ナイラ様の……?」
 思わず叫んだアイラに、闖入者は満足げに微笑んだ。
『正解。俺はトフ、実は愛し子が赤子の頃から見守ってたんだよ?』
 トフと名乗った男の言葉が引き金となって、アイラは湖の底で聞いたオルフェの言葉を思い出す。
《ナイラの配下は気配を断ってお前を見守っていた》
 その配下が彼、トフなのだろう。改めて見ると、トフは暗く淀んだ目を柔らかく細めてアイラを見ている。元々の外見がかなり怖いが、その表情や仕草は幼子を見守る大人のものだ。
『……敵じゃないってことだね』
 アイラとトフを見比べて、ザイロはゆっくり警戒を解いた。ジェナはまだ強張った顔をしているけれど、ザイロに促されてしぶしぶ握りこぶしをほどく。その様子をちらりと見て、トフは大袈裟に肩をすくめてみせた。
『敵じゃない、どころか俺は情報をあげに来たんだよ?我が主ナイラは邪神戦争の参加者だからね』
「!!」
 もたらされた事実に全員がトフを注視する。トフは芝居がかった仕草で世界樹を振り仰ぎ、それからアイラに視線を戻した。射抜くような眼差しが正面からアイラを捉える。
 そして――

『メナードに行きなさい。緋色はそこにいる』

 ――神託は、告げられた。


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