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健常者の女の子と障害者の私。
以前、テレビを観ていたら、とあるモデルさんが障害者施設を訪問する...という番組があった。
その障害者施設には、精神障害の方もいた。
障害者施設を訪問したモデルさんは、私と同い年くらいの女性のモデルさんだった。
綺麗な洋服を着て、障害者施設を訪問した彼女は、優しい眼差しで障害者を見ていた。
番組の最後で、そのモデルさんは当たり障りのない言葉で(私が思うにだけれど)
「差別を止めていきましょう」
って言っていた。
その時、私にとある卑しい感情が湧いてしまった。
私は
「あなたに何がわかる?」
と心で呟いてしまったのだ。
私は精神障害を持っている。
発達障害と双極性障害だ。
そのせいで生きづらく、障害が日常の妨げになり、そして人と違う人生を送ってきた。
だからこそ、私は健常者の彼女を羨ましく思ったんだと思う。
彼女に私の苦しみが分かるのか。
あなたに障害の何がわかる?
私の苦しみの一ミリも知らないくせに。
汚い感情が湧いてしまった。
汚い感情が湧いた後、今度は色々反省をした。
番組だって、彼女のような有名で影響力のある女の子を起用することで、障害者への偏見を無くそうとしたのだ。
そして、ご自身も障害を抱えている障害者施設の所長さんも、自分達の行いが取り上げられてとても嬉しそうだった。
そして何より、忘れてはいけないこと。
それは、モデルである彼女には彼女の苦しみがある、ということだ。
私から見たら、とても華やかな生活を送っているように見える彼女だって、彼女なりの人には言えない苦しみがあるはずだ。
そしてその苦しみが、私の障害による苦しみより、とてつもなく大きい可能性だって大いにあるのだ。
とてもあり得るのだ。
私には「あなたに何がわかる??」と、怒る権利もないはず。
それなのに、色々考え込むのはなぜだろう。
嫉妬、と言われたらそれまでだし、多分そうなんだろう。
だけど、私はそのテレビ番組のあの彼女の横顔を、たまに思い出しては永遠と考え込んでしまう。
よく考えて、私は彼女がモデルという華やかな職業だから、そんな「あなたに何がわかる?」という感情が湧いたのではない、ということに気づいた。
普通の女の子。
健常者の幸せそうな女の子に対して、私は、いつも「あなたに何がわかる??」と、そんな感情が湧いていることに気づいた。
私の障害の話を健常者の同世代の女の子に打ち明けたことがある。
「大変だねえ」
涙を流しながら語る彼女に、最低だけれど、私はどう言えばいいかわからなかった。
それどころか、やはり「あなたに何がわかる??」と言いたくなってしまった。
あなたに何がわかる??
私は、あなたに何がわかる??を、ずっとずっと、健常者の同世代の女性に想い続けて生きることになる気がする。
それはとても悲しい予感だけれども、あながち間違っていない気がするのだ。
でもどこかで終止符を打ちたい。
健常者には健常者の悩みがある。
この世には体や心の障害だけが苦しみではなくて、たくさんの苦しみがあって。
そして健常者が幸せで、障害者は不幸だと思ってしまう私の思い込みは間違っている。
このような思い込みは、逆に障害者にも差別だし、そして、健常者への差別にもなるんだと思う。
私は健常者をどこかで「世間知らず」「甘ったれ」「何も分かっていない」と心のどこかで馬鹿にしているのかもしれないな、と思った。
この考えを改めない限り、私はいつまで経っても、健常者の女の子たちと自分の中にある、透明の、でも厚い「分かり合えないだろう」という壁を突き破ることはできないと思った。
私は、障害に理解を示そうと手を伸ばしてくれる彼女たちに、どのような形の手の差し伸べ方にしろ、嬉しいと思える女性になりたい。
そうして、その時に「あなたに何がわかる?」と思うのではなく、その怒りがもし湧いてきたのであれば、目の前の彼女には彼女の苦しみもあるのだ、と自分に訴えたい。
障害だけがこの世の苦しみ、と思って健常な女の子を見下すことは、ある意味自分の驕りなのかもしれないから。
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