カイロで始まり日本で終わった。総額50万、3ヶ月の恋
仕事でカイロへ。
ホテルのロビーでガイドさんを待っている時に日本人の男の人と目が合った。
「あー、この人と・・・」
・・・のところはよくわからないけど目があっただけでは終わらない関係になるのかなーというぼんやりした感じ。
「日本人の方ですか?」と声をかけられツアーの仕事で来ていること、ガイドさんを待っていること、明後日はルクソールに行くけど4日後くらいにまた同じホテルに戻ってくることなんかをぺらぺらと話してしまっていた。
カイロの夏は暑い。当たり前だけれど観光で行くならおすすめは12月とか1月。その時は確か8月か9月だったと思う。夜の10時で気温が40度。
初めてみるピラミッドを前に「この景色をクレオパトラもアントニウスもシーザーも見たんだなー」なんて思うと感受性抜群の私は涙が出てきてしまう。今もあるのかわからないけれど、当時はピラミッド前に椅子が並べられ観光客はみんな砂漠の上に並べられた椅子に座ってショーを見る。
レーザー光線みたいのやらいろんな光でピラミッドをライトアップさせて、そして江守徹氏のナレーションでヒストリーを話してくれる光のショーというもの。
夜なのにすごい暑いし、ピラミッドは大きすぎるし、江守徹氏の声は通るし響くし。頭がぼんやりしながら、クレオパトラは子供が欲しかったのかなーなんて思いながらまたちょっと涙ぐんだり。
翌日から観光が始まり、ガイドさんとカイロの町や博物館へ。
あの、日本人の人は今日もホテルにいるかな?と思いながらロビーで作業しながらちらちら周りを見たり。
ルクソールへ行き、いつもながらのいろんなトラブルがありつつ楽しい時間をお客様と過ごし、またカイロへ。
明日が出発という日になっても彼は現れない。
出発の日、一人で朝食をとっているとテーブルの前に男性が立っている。
「おはようございます。今日、帰国ですね」
クロワッサンをこぼさないようにすごい顔して食べていた私はあわててコーヒーを飲んで、立ち上がり「はい、そうです」
「今日、来ないと会えないと思ったので来ました。連絡先を教えてもらえませんか?」「はい」
当時、メールという機能はあったのかもしれないけれどまだみんながパソコン持ってるような時代ではなくって、電話番号だけ教えあってなんでかわからないけれど、すごいノーコーなハグをして別れた。自然にノーコーになってた。
帰国後、毎日のように電話をして一月の電話代が10万円を超えることもあった。
フリーランスではあったけれどほぼ同じ会社からお声かけいただいて仕事をしていた私は「エジプト行きたいです」と今までどこかに行きたいと言ったことは一度もないのに、担当の人にお願いしてみたので「そういうこと言うのめずらしいですね」とあっさりOKをいただいて、その後2ヶ月の間に4回エジプトへ。
お客様がお部屋に上がられた後、彼とホテルのロビーで会い、とにかくお互いのことを話続けた。エジプトの気温やらスケールの大きさやら、歴史のすごさにうかされてたのかもしれないし、そんなことは初めてのことだった。
帰国し、もう我慢ができなくなっていた私はカイロ行きのチケットを取り会社には一ヶ月ほど休みますと告げ、KLMの機内へ。
アムステルダムのトランジット、6時間。機内で一睡もできなかった私は空港のホテルの仮眠が取れる部屋へ行き、シャワーを浴び、ベッドに横になりやっぱり眠れない。
念入りにお化粧をしてカイロ行きの飛行機へ。隣はエジプト人の美容整形のドクターだった。「僕は豊胸も得意ですよ」と言われた。大きなお世話だ。けどお互い母国語でないからはっきりなんでも言っちゃえるのが窮屈でなくて好き。
カイロに着く。お手洗いに行ってもう一度鏡を見て髪の毛を整える。リップクリームとファンデーションだけのお化粧だけど、崩れてないかチェック。
入国し、荷物を取り扉があくと彼がいた。
「やっぱりあなたはきれいだ」と言ってノーコーなハグ。
タクシーで彼が取ってくれていたホテルへ向かっている間、初めて手を握った。
その日から約一ヶ月私はエジプトに滞在し昼間は彼の仕事が終わるまで一人でカイロの町をぐるぐる歩き回っていた。頭もこころもずっと浮ついているような熱っぽさがある。
彼の仕事が休みの日は観光へ。モスクに行ってもさささーっと見て出てきたところですぐにキス。人に見られると危険だからモスクの裏にまわってずっとキス。高校生の時でもそんなことしなかった。
一日中、ホテルでしまくった。ベッドの中でルームサービスのサンドイッチをくすくす笑いながら食べて、たくさんたくさん、喋った。
彼が三日だけ休みが取れたということで、アレクサンドリアへ小旅行。
早く目が覚めてしまい、隣で寝ている彼を置いて一人でアレクサンドリアの早朝の町を歩いた。この次ここにくる時、私はどんな気持ちで来るんだろう。私は誰といるんだろうと思ってすこし目に涙がたまる。
アレクサンドリアのホテルをチェックアウトする時に、フロントで並んでいた彼が振り返りソファーに座っている私を見て、ウインクをした。
「もうだめだ。この人なしでは生きていけない」と思って胸がすごく痛くなった。吐きそうだった。
私が帰国して間も無く彼もカイロでの仕事を終えて帰国。私の家に直行してくれしばらく同棲?と言うのかな。そんな生活。
初めて彼と私の間に「生活」が入った。
彼の仕事への考え方や、金銭感覚や日本語で私以外の人に話す様を見て「あれ?そんなふうに思うの?そんな感じで話すのね?」
日本での同棲生活は一ヶ月あまりであっさり終わった。熱に浮かされていたように喋り続けていた二人も、別れる時は罵り合い、ではないな。私が罵られて終わった。私から彼への言葉は何も出てこなかった。
私が30歳になった頃の話かな。若かったなーって思うのとあんなふうに地獄の底まで落ちていくような恋ってもうないんだろうなーって思うと寂しいし、ほっとするし。
今、ウインクする男みたら「きも」って思いそうなもんだけど。彼がいないと死んでしまうと思った私は56歳、今日も元気に生きてます。
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