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grazie e ciao💓思い出と現在が交錯するカップ

スープカップの取っ手が取れた。
2つのカップを洗う際に、ぶつかったのだ。
ずいぶん丈夫なカップで、かれこれ30年使っていた。
この使用感。歴史だね。

ツアコンをしていた約30年前、ベネチアに行った際に、
ツアーの合間の自由時間に歩き回って見つけた食器屋さん。
なんだか妙に魅かれ、気になって気になって。そして
購入。食器、重いのにね。

(「若い」って理屈じゃNGなことを、気持ちで行動することなのかも。ツアーの仕事の合間に食器を買うなんて。)

ただ白いだけのカップ。でも、その「白いだけ」がよかったのだ。当時は結婚前。結婚生活を夢を見ていた。
このカップをペアで使えたら楽しいだろうな~、なんて。

そして、そのカップは約30年間使用。そこそこ波乱に満ちだ「現実」の結婚生活に伴走してきてくれた。
私は物持ちがいいのか、一途なのか、カップ自体がとても丈夫だったのか。うん、多分全部だ。

でも、とうとう壊れた。

長く使ったので、ガッカリというよりはとうとうこの日が来たか、という感覚。ちゃんと納得できる。

良い物、本当に気に入った物、大好きな物は
飽きずに使えるし、手元に置きつづける。
そして、その物には、
買った場所、買った時の思いやトキメキ、
当時の自分の姿、さらに、
一緒に過ごしてきた長い年月の思い出も宿る。
使い捨てではない生活。これもSDGsのはず。

しばし壊れたカップを手に、ベネチアに思いを馳せる。
少し臭う水路のゴンドラと響くカンツオーネ。
1人で歩き回ったサンマルコ広場、ベネチア広場のカフェ、
リアルト橋を渡った向こうの路地の食器店。添乗でいつも張りつめていた心に、たまに訪れた至福の瞬間。それは好みの食器との出会いとか泣きたくなるくらいの夕日とかだった。


人生をともに歩んでくれたカップに、
Grazie   e  Ciao ☆


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