見出し画像

人類が間違っていたすべてのこと

という本があったら、読んでみたい。

昔「地球は宇宙の中心で、太陽は地球の周りを回っている」が「真実」だった。

でも今は、太陽が中心で地球はその周りを回っていて、しかも太陽は銀河の中にあるひとつの天体でしかない。ということがわかっている。


「女性は男性よりも劣っている、政治に関われるほど判断能力がない」だから女性に参政権を与えないのは「正しい」とされていた時代があった。

だけど、いまそれを正しいと主張する人は(少なくとも公には)いない。


電話が発明されるまで、離れた場所で瞬時に話ができるなんて「そんなのありえない。その人のいるところまで会いに行って話をするか、手紙を届けるかだ」と誰もが思っていただろう。

でも今は、相手の声が聞けるどころか世界の裏側とだって、顔を見ながら話すことができる。しかもお金もかからない。


今は医療や科学はとても信頼されているけど、今からするととんでもない治療が「ふつう」だったこともあった(「血を抜けば病気が治る」と病人から血を数リットルも抜き取る瀉血は1000年以上にわたってヨーロッパで広く行われていたそうだ)。いまなら「医者じゃなくてもアホなことだとわかるわ!」と叫ばれそうだけれど。


そのとき社会で、世界で当たり前だったことが覆されるということは、歴史の中で何度も何度も起きている。

わたしはこういう事実を知るたびにワクワクする。きっと、これから先もまだ起こることだと思うから。

いま「真実だ」と思われていることが、未来では「そんなことを信じていたなんて、ありえない」とさえ言われるようになるかもしれない。

不可能と言われているものも、あたりまえの日常になっているかもしれない。


「人類が間違っていたすべてのこと」という本は人類の進化の歴史でもある。

今も世界は更新され続けている。


500年前、多くの人は「こんなに宇宙のことを知っていて、利用できてる存在はいない。だいたいのことは知り尽くしている」と思っていたんじゃないだろうか。
いま「500年前は人間は自分の生きている世界のほとんど一部もわかってなかった」と言えるのは、たくさんの新しい発見を積み重ねて、そのたびに今までの「あたりまえ」が間違っていたことに気づき、自分が知らなかったことを「知った」からこそわかるのだ。


まだまだ人間は伸びしろがある。その人間の可能性にワクワクする。

でもそれだけじゃない。
もしかしたら今この瞬間も盛大な勘違いをしながら生きてるのかもしれない。ということを思い起こすたび、わたしは可笑しくて、楽しくなる。

まるで、マジシャンのつくる壮大な幻想のなかで一喜一憂してるみたいだ。

「丸だと思ってたら四角だった!」

そんなレベルの「とんでもない勘違い」をしながら生きているとしたら、なんだかコメディみたいで面白い。


そんな「この世界の可能性」に、ワクワクするのだ。



「人類が間違っていたすべてのこと」

その本を読んだとき「人間ってこんなに次々と新しい事実を発見しているんだ!すごい!!」と興奮するかもしれないし、

「なんだ、人間はとんでもないミスをやってきたんだな」と、気が軽くなることもあるかもしれないし、

「いま自分が信じているものも、実はたいしたことないのかもしれない」と、人生を軽やかに捉えられるようになることもあるかもしれない。


今よりちょっと、生きるのが楽しく、なったりして。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?