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「孤立することへの恐怖」と向き合って

この週末はCTIの応用コースの3つ目、プロセスコースを受講してきました。
CTIのコースは毎回そうなんだけど、
コーチとしてのスキルや知識が増えて、コーチングの幅が広がったことはもちろん、
クライアント体験を通して自分自身を見つめ、新たな気づきや変化が起こる、
そんな3日間でした。
その中でも、僕の中でとっっっても大きなものとして根底にあった
「孤立する事への恐怖」という、
今まで「ともにいられないもの」として避けてきた、見ないようにしてきたものと
向き合い、ともに居続けることによって体験したシフトについて今回は書こうと思います。

「孤立することへの恐怖」

これは僕の中で本当に大きく、ずっと根底にあるもので。
1人で居る人への扱いの酷さやいじめを見てきた経験とか、
自分のありのままで居たらそれをからかわれて抑えるようになっていった経験とか、
ちょっと強気にものを言ってみたら一気に周りの皆が敵になって攻撃された経験とか、
いくつか思い当たるような原体験のようなものはあるんだけど、
小学生の頃には確実にあったし、もういつからあるのか分からないくらい前から自分の奥底にある。

だから小中学生の頃の自分は
周りよりできることで認められたいから、
したくもない勉強も頑張って良い成績を取り続けてきたし、
先生やクラスメイトに認められたいから、
学級委員なんかもやって、優等生であり続けていたし、
いじめられたくないから、
クラスでカーストの高い人たちにくっついて、その人たちのノリに合わせてきたし、
面倒なやつ、怖いやつだと思われたくないから、
負の感情は抑えて、明るくて優しい良いやつであろうとしてきた。

でもずっとそうやって自分を押し殺して、本当の自分を見せずにきたから、友達とも素を出し合えなくて、本当に居心地の良い場はあんまりなくて。
その結果、
「親友」と言えるような人がいない
というコンプレックスも自分の中にずっとあって。

頑張りすぎちゃう、不器用な自分

それは高校時代にコーチングと出会って、主体的に動いていくようになってからの自分の根底にもあって。
自分より圧倒的に年齢が上の人たちがたくさんいるところに飛び込んでいって、若さ故に注目してもらって、
「若いのにすごいね」「これからが楽しみだ」
なんて認めてもらって、期待してもらうのが嬉しくて。
さらにその人達との会話に入っていくために、同じような分野を自分も必死に本や講座で学んだり、
「話が通じないやつ」って思われたくなくて分からないことも「知ってます感」を出しちゃったり、
「役に立たないやつ」って思われたくなくてできないことも「できます感」を出しちゃったり、
「成長しないやつ」って思われたくなくて動き、学び続けたり、
居心地の悪さを感じるような話でも共感して、ニコニコしていたり
コミュニケーションについて学んで、相手を傷つけないような丁寧な表現をしようとしたり、
繋がりを失いたくなくて、SNSで発信したり、同窓会のようなものをよく企画したり。
とにかく失望されたくなくて、認めてもらいたくて、繋がっていたくて
(それをしている時は、そんなことが根底にあるなんて思わず、というか無意識的に見ないようにして?、やりたくてやっていると思っていたんだけど。)

ものすごく不器用な僕は、
「こうしたい」、「こう在りたい」と思ったらそれに向かって真っ直ぐ、猪突猛進して、頑張りすぎて、たまにショートしちゃう。

今回のコース中も
「この学びを無駄にせず、学び尽くしたい」
って思って夜遅くまで起きて必死にノートにまとめ直して振り返ったり、

「この講座のみんなと繋がりたい」「みんなの役に立ちたい」
って思って Facebookグループ作って、動かしたり。

ちょっと頑張り過ぎちゃっている自分がいて。

「学び尽くしたい」と思っていたのが
「(高いお金も払ってるんだし)、学び尽くさなきゃ」
「繋がりたい」「役に立ちたい」と思っていたのが
「繋がらなきゃ」「役に立たなきゃ」になっていた。

こんな風に
「こうしたい」「こう在りたい」って思っていたことが
いつの間にか
「こうしなきゃ」「こう在らなきゃ」になっていることがよくある。

良く言えば真面目で素直なんだけど、
悪く言えば視野が狭いし、バランスをとるのが下手で不器用

そんな自分だから、これまで多くの人に迷惑をかけてきた。

その「孤立することへの恐怖」をなくそうと、見ないよう、遠ざけようとするのに必死に頑張っていた。

その恐怖と3日間ともにいて

そんな、なくそう、見ないようにしよう、としていた恐怖と「ともにいる」。
この体験は本当に怖くて、苦しいものでした。

自分のお腹のあたりにずっとこんな感じで黒くてドロドロした恐怖があって。
その下に本物の自分がいて、ずっと出てこようとしている感じはするんだけど、この恐怖が膜のようにあって、出てこれない。
そんなイメージの中で、苦しくて苦しくて、でもみんなと一緒にこの恐怖と向き合い続けて。

そんな過程の中、とあるセッションで
「なんかでもその恐怖の膜が守ってくれている感じもするね」
と言われた時があって。
「あ、そっか。確かにこれは今まで自分を守ってくれてもいたんだ。」
「この恐怖は無くさなきゃいけないもの、悪いものじゃないんだ。」
「今までなくそうと思っていたけど、一緒にいても良いんだ。」
そう思えた途端、一気に光が見えてきて。

同年代の仲間達、コーチングをともに学ぶ仲間達、読書会を毎週やっている仲間達、そして家族のみんな…
次々とそんな人達の顔が浮かんできて。
すると
「俺は今、素を出しても、どんな自分でも、受け入れてくれるって信じられる人がこんなにいるじゃん。孤立することなんてきっとないじゃん。」
そんな風に思えて、一気に怖さが軽くなった。

今まで暗い森の中で、先に見える一筋の光に向かって一直線に、必死に走っていたけど、
ふと止まってみたら、光は自分に当たっていたことに気づく、
そんな「今まで見えてなかったいろんなものが見えるようになる」体験だった。

どんな自分でもいい

「自分はなんて愚直で、不器用なんだろう」
「なんでこの恐怖を拭えないんだろう」
この3日間の初めの方は、そんな風に思っていた。

でも、
愚直に、不器用に生きてきたからこそ、素直に自分の中に吸収できてきたものがたくさんある。
その恐怖があったから、守られてきたものはたくさんある。
その恐怖から頑張って、行動してきたから、今は信じられる仲間がたくさんできてきたわけだし、得てきたものがたくさんある。

そう思ったら全然悪いものなんかじゃないし、
むしろ感謝すべき、愛すべきものとして見えてきて、
僕の中に「ともにいる事」を受け入れることができた。

これまで少しずつ、色んなところで、色んな人達のもとで、
自分のありのままを認めてもらえる体験をし続けて、
そしてこのタイミングで向き合ったからこそ、ここまで至れたんだろうなと。
本当に出会ってくれた人全てに感謝でいっぱいです。
ありがとうございます。

もちろん、いくら今現在は受け入れてくれると信じている仲間がたくさんいて、孤立する恐怖が軽くなっているとは言っても、
きっとこれからもこの恐怖は自分の中で生まれ続けて、存在し続けるんだと思う。
例えば初対面の集団とか、信用できない人がいる場所とかでは絶対出てくるだろうし、
もし「自分を受け入れてくれる」って信じていた人に裏切られたりでもしたら、
「もう自分の素の姿なんか見せたくない!」って思っちゃうかもしれない。

でも
そんな自分でもいい。

その恐怖をどうにかしようと、愚直に、猪突猛進しちゃう自分でもいい。

でも頑張り過ぎてて、しんどいと思うんだったら、緩めてもいい

方向音痴で、道が全く覚えられなくて、1回来た道を戻れない自分でもいい
(これ言うとすごく驚かれることが多いんだけど笑)

手先が不器用で、料理や裁縫が全然できない自分でもいい。

絵を描いても、それが全然自分のイメージと違う絵になっちゃってもいい。
(絵を描くのが下手すぎて、これまで避けてきたけど、今回はチャレンジしてみた!)

こんなできないこと、苦手なことがたくさんある自分でもいい。

そんなできないことがたくさんある自分を認められない自分がいてもいい。

どんな自分でもいい。

こう思えたら、ものすごいエネルギーが湧いてきた。
今まで例えその瞬間に恐怖を感じても、
それを感じたことを見ないように、避けるために
「先のこと、先のこと」を考えることにエネルギーを割いてきた。
そうやって今の自分を置き去りにしてきたと思う。

けど、今この瞬間の自分は今しかいない。
1秒前に戻って、その自分を感じることはできない。
そんな今の自分が何を思い、何を感じ、何をしたいのか。
それを
「ちゃんと見て、受け入れてあげる」
ことで、避けることにエネルギーを使わず、元々あった自分のエネルギーを最大限使えるようになる。

そうやって受け入れることができても、
やっぱり見たくなくて受け入れることができなくてもOK
って認めることができる、そんな自分でありたいなーと思います。

そしてそんな自分でいることで、
他人に対しても「どんなあなたでもいいんだよ」と受け入れやすくなると感じてるし(もちろん受け入れられないこともあると思うけど笑)、
このことがコーチングはもちろん、他者との関係に与えるインパクトはとてつもないと思う。
まあでもこの想いも1秒後には変わっているかもしれないけど。笑
だけど、

移り変わっても良いじゃないの。人間だもの。              
                 りんを

こんな突如自分の中で湧いてきた相田みつを風のふざけた文言で、この文章を終えてもいいって思えている今の自分に祝福したい。

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