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諦めたくない。

諦めたくない。
もう目を背けて生きていきたくない。

今回参加した屋久島でのリトリートは、
そんな力強い想いが自分の中で響き続ける時間でした。

目を背けたい自分

地球温暖化、気候変動、環境問題…
こういった本当に大きな問題が自分達の周りでは叫ばれている。
テレビや学校でも深刻な問題として取り上げられるし、自分の周りでもこの問題をどうにかしようと取り組んでいる人がたくさんいる。

けど、この問題はあまりにも大きすぎて、どうしても目を背けようとしている自分がいた。

もちろん、何もやってないわけじゃない。
エコバッグを持って買い物をしたり、
できるだけエシカルなものを買おうとしたり、
といった日々の小さなことや、
環境に関することを学んだり、
学生団体を立ち上げて自然農を実践し始めたり、
小さいけどできることはしようとしている。

けど、今の大きな仕組みの中で生きている以上、限界はある。
そしてそんな自分のやっている小さなことが無意味になるくらい、環境を大きく壊す動きがたくさんあることも知っている。
自分1人がやることなんて本当にちっぽけで、大して意味のないようなことに感じてしまう。

だからそんな絶望をし続けたくなくて、
「できることはやっているよね」
「日々の自分の生活の余裕もないんだし、仕方ないところはあるよね」
そんな風に言い聞かせて、多少のことは目を瞑ったり、問題の本質を見ないようにしたりしていた。

人間が環境に悪いことをしている。
人間が自然にとっては悪者なんだ。
もう人間が滅んでしまった方が自然にとっては良いんじゃないか?

そんな声も自分の中から聞こえてくる。

でも本当は
自然を自分たちが消費して食いつぶしたくない。
自分たちも自然の生態系の一部として、共生していきたい。
自分たちも自然も一緒に豊かになっていきたい。

そんな声が心の奥にあった。

そうは言っても…と諦めて、その声をずっと押しとどめていたけど。

けど、
諦めたくない。

この屋久島での時間は、そう心から思うような体験でした。

義務感から行動をしていた

今までも自分自身、環境を良くしていくためのことを色々と学んだり、最近は自然農なんかも実践し始めたり、いろんなことをやってきた。

でも、それらは義務感から行動していることが多かったように思う。

「自然にとって良いことをしないといけない」
「こんな素敵な自然は守らないといけない」
「せめて少しでも環境に負荷をかけないようなことをしないと」
「そうしないともっと環境が壊されて、自分たちは生きていけなくなってしまう」

そんな義務感不安のもと、
頭で考えるその重要性や正しさに引っ張られて行動していたように感じる。

だからどこか乗り切らない、熱量が続かない。

そんなことが多かった。

自然としたくなる

でも、今回のこの屋久島での体験で、
本当の自然の美しさを実感してしまった。

美しい川や海で泳ぐ
美しい山や森を歩く
美しい自然の中で生きる
そんなことの豊かさを知ってしまった。

そしてそんな美しい自然の中にいる、イキイキとした自分が大好きになってしまった。

そしたらもう、その自然をできる限りいい形にしていこうとすることが、
義務なんかじゃなくて、
自然に自分の中で湧き上がってくる、やりたいこと・やって当たり前のことになっていった。

森を歩きながらも水が滞っているところに気づいたら泥や草木を掻き出したり、
風水ワークをした時に、竹やぶを風が通るくらいきれいな状態にしきれないまま終わることを悔しいと感じたり(時間が足りなかったけど、もっときれいな状態にしたかった…!)、

自分が自然の中に入ることで、その美しい自然から奪うんじゃなくて、
自然にも何かを与えたくなる、
自然にとって良いことをしたくなる。

そういった想いが自然と生まれてくるような自分になっていきました。

これから大事にして生きたいこと

そんな自分がこれから大事にしていきたいことは、
自分が暮らせば暮らすほど、人を呼べば呼ぶほど、自然も自分たちも豊かに、イキイキとしていくような道を、
②家族のように信頼し合い、大切にし合い、当たり前のように助け合い、愛し合えるような仲間たちをつくって、
探究し続ける。

①も②も、きっと絶対的な正解があるようなものではないし、夢みたいな話のように感じられるかもしれない。

「そんなことできるんだったらみんなしてるよ。」
そう言われるかもしれない。

でも、もう諦めない。
自分の無力さに絶望し、目を背けるなんてことはしない。

①②のような、自分が心の底からやっていきたいと思える暮らしを、本気でやっていきます。

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