見出し画像

「オンナのトシ」が魅力になる時

ワタナベアニさんの写真が好きで、
同じくらい文章が好きだ。

でも「好き」と表明する時に
つい若い子ぶって「大好きなんですぅ!」みたいなテンションを出そうと自然にしてしまうくらいには、日本の「オンナと刺身は新しくなくちゃ」文化にどっぷりと染まってしまっている。それが居心地悪い。
いや、若い子は刺身じゃないか。肉だな。
この辺でもう年がバレそうだな。

まあそういう訳で、「ファンです!」みたいなコメントをご本人に対して書いたことはない。
でも今回、猫の舌のようにザラリと痛くてでも触れられたくなるような彼の文章を読んで、年を取ったオンナの一人として言いたいことが込み上げてきた。ので、気ままに好きなように、書くことにする。

10代の終わり頃、誰より尊敬している相手とレンアイをしていた。
その彼が、「自分は年取って行くのに恋愛相手の年齢が上がらない男性」というモチーフについて話しているのを聞いた時、ちょっと怖くなった。
あまりにもその人を好きすぎたので、彼が年を取ってもそばにいられる意義を、私は若さ以外に持ち合わせているのだろうかと。

・・・無かった。

彼は聡明な人だった。
知的で行動力があって、アンテナが多方面に対して敏感なためにいくばくかの不安定さを感じさせて、そして軽々と海を越えて活躍できる力を持った人だった。
(あ、不倫とかじゃないですよ、彼はその頃まだ大学生でしたし、ちゃんとした恋愛でした)

かたや、自分の魅力は何だろう?
そう言えば、同じ学内に賢く美しい女性もたくさんいるだろうに、どうして私と一緒にいてくれてるんだろう?
そう思った途端、やにわに不安が襲ってきた。
そして目前には20才の誕生日が迫っている。

何者かに、必ずなるであろう彼。
それに追いつけない自分。

それで、彼から離れた。
実家からも離れることにした。
ナニモノカにどうしてもなりたくなったが、このままでは早晩、新しい水場にも泳ぎ出せず腐ってしまうであろう未来の姿が垣間見えてしまって、そこにいられなくなったのだ。
もちろん家族間の問題もあった(この辺はマガジン『母というひと』で触れている)。住み慣れた場所から飛び出すには、それなりに大きな発動の力が必要で、この時たまたまそれが揃ったということだ。

そこから早や〇ン十年。もう立派なおばさんになり、人生の旅はとうに終え、結婚にもきちんと失敗して今は再婚相手とそれなりに平和に暮らしている。

そして彼は、ある日気付くと、私の想像を軽々と越えて活躍していた。
ウィキにも名前があるくらいに。
着実に人生を歩み目的を達成する力を持つ人をかつて好きなり、一瞬の時間を共有できたことを誇らしく感じるとともに、紆余曲折を経ての挙句だが、地味ながら自分もかすかな文章で少し稼げるようになったことを、胸の奥でひそやかに褒めることもある。
一緒にいて意味のないオンナというくくりから、これで半歩か一歩は抜け出せたんじゃないのかと。

が。

懐かしい彼に会いたいと心から思えない。
ここで年齢が邪魔をするのだ。
多くの女は過去の恋愛を美しく振り返ってこう言う。「こんなにオバちゃんになった姿で会いたくないの」。

そんなしおらしいタマか、私が!

と鏡の中の自分を叱り飛ばすのだが、この気持ちだけはテコでも動かない。
老いる姿をさらけ出しつつある夫の前でさえ、たまにぶりっ子気味の動作をしてしまうのは、夫の視界の隅に「恋愛対象」としての面影を残したいからだ。

それは、好ましい異性から好ましく思われるためには「若さ」が不可欠だと、心の底にある底なし沼のどん底から、掛け値なしの愚かさで縛られているからに違いない。

最近特に困るのが、仕事先やプライベートで会う方々から「若く見えますね」と褒められることである。
誰もが誰しもに向かって言うアレである。

お世辞というか、「こんにちは」とほぼ同意語の意味をなさない挨拶だと分かっていても、うまく返せない。
(若く見えなければ魅力はないのかよ)というやさぐれた気持ちが、ちょびっと滲んでしまうからだ。
それに、いくら若く見えると言ったってせいぜい2〜3才。誤差の範疇にも入らないじゃないか。

だから「〇〇さん、おーくらさんに食いついてませんでした?」なんて言われた時、この「〇〇さん」が私よりも若い男性だと「いやそれは彼に失礼でしょう」と言ってしまう。オバちゃんに食いついたなんて彼の沽券に関わるんじゃないかと本気で心配してしまう。
冗談なのに冗談で返せない。それくらい心に余裕がないのだ。

一体いつから、日本は女性に若さを強く求めるようになったのか。

一体いつから、若くなければ意味はないと女性自身が自らを恥じて自滅しなければならない環境が出来上がってしまったのか。

魅力の焦点が若さに絞られるなんて、なんて手狭な世界なんだよ。

追求しようと思えば、結婚適齢期だの子供を産むには何才までだのというお定まりの考え方の中に犯人探しみたいなこともできるだろうが、そこまでうるさいことを言うつもりはない。
ただただ、そんな流れに逆らえず、胸を張って年を取れない自分が歯がゆいだけだ。

そもそも、そんなことを言い始めるという時点で、「異性からどう見られているか」が気になりすぎているんじゃないの?
頭の中で、そんな反論に今更、向き合う。

恋愛対象になれなきゃ女じゃない、そんな考え方がいつの間にか張り付いているのは、自分がそれを望んでいるからでしょ?と片側にいる自分が逆側の自分を責める。

ぐるぐると考えていたら、考えすぎて、男友達がかつて子供を産んだ奥さんに対して「子供を産んだ女性はボサツになったんだからもう触れない」とかアホなセリフをのたまって、女性陣から一喝された記憶まで蘇ってきた。やばい、これこそ底なし沼の泥視界だ。何の答えも見えやしない。

疲れた頭が、いやもういいんだよ。とつぶやいた。
そんな目線そのものがもう、自分には不要なんだよ。
だってもう人生の折り返し地点はとうに過ぎたんだから。と。

女の魅力が若さだなんて、誰の求めに対してそう思っているのかを、もっと早く、よく考えなきゃいけなかった。

だって、死ぬ瞬間まで豊かな心で生き続けたいし。
若くないとかシワが増えたとか出産したとか白髪の量とか閉経したかどうかとか色んなこと言う人もいるけど、それでオンナじゃなくなるはずがないんだし。
それで女じゃないと言う人がいたら、その人の中の女性像がつまり、とても狭い範囲にしか生きていないというだけの話だ。

だから、今日の括りはこう言おう。
年齢が魅力になる時、それは、自分で自分の魅力を引っ張り出して磨けるようになった時だと。

答えにはなってない。
しかもこれ、言い続けているうちに「自分が自分を愛してやればそれでいいのよ」的な、ちょっと新興宗教めいた自己評価論に陥りそうで危うくもあるが、とりあえず、望まない評価基準に出会った時にあたふたする気持ちを抑えるおまじないくらいにはなってくれるだろう。

そして「若く見えますね」的なお追従には、心を平たくしてお礼を言おう。
こんな平たい顔にお世辞を言おうとするとそこしか思いつかないのかもしれないから、せめてものご好意だと受け止めて。

それでも、容姿をうんぬんするのを会話の糸口にする習慣をやめた方が良いとは思う。この気持ちは変わらないので、これからも私から相手の容姿について挨拶がわりに何か切り出すことはない。

あなたに興味がないというわけじゃなくて、もっと本質を知りたいんだ、という意味で。

読んでくださった皆さまに心から感謝を。 電子書籍「我が家のお墓」、Amazon等で発売中です! 知ってるようで情報が少ないお墓の選び方。親子で話し合うきっかけにどうぞ^^ ※当サイト内の文章・画像の無断転載はご遠慮します。引用する際には引用の要件を守って下さい。