自分の資質を受け入れること〜続・身体編〜
自分の身体を"良い身体だ"と
認識してあげても良いのかもしれない。
周りからなんて言われていても
私がこっそりと
自分の中で決めてしまうことは
誰にも責められないし
可能なのだ
そんなことを考えたのが
長女を出産してから。
(すでに長男は産んでいた)
それから次女を出産し
子どもが3人になった。
私は元々、体調を崩しやすい自覚も手伝って
健康食品や、民間療法、
体のケアに関心があった
(運動は苦手だけど。。)
子どもを出産してからは、
長男がアトピーや喘息を持っていて
食べ物や生活スタイルにも
気を配ったり、
情報を気にするようになった。
ホメオパシーに出会ったのも
子どものケアについて情報を探していた
ことがキッカケだった。
(ホメオパシーとは、イギリスやインドでは
メジャーとされている療法だ)
次女の喘息が酷かったので
信頼できそうなホメオパスを探して
ホームケア講座を受講し
そのまま、個人コンサルもお願いした。
そのコンサルの中で
ふと、たまには自分のことも聞いてみようと
相談をしてみた。
去年の年度末、私は急に
課内異動となり
違う職種の部署への内示を受けた。
(私は専門職だった)
こっそり、職種変更を考えたことも
あったのだが
誰にも言ってなかった私は
本当に驚いた。
少しやってみたい気持ちもあったので
良い機会にも思えたけれど
実際に、相談もしてないのに
決められてしまうと
心の準備も追いつかず
すごく暴力的な決定にも思えた。
怒りたいのか
泣きたいのか
嬉しいのか
自分が感じている感情が多様すぎて
よく、分からなかった。
新年度からは
新しい職場、職種、人間関係。
異動先は、悪くはなかった。
むしろ、
このままいてもいいかも、と
思う時もあった。
しかし、時々
寝不足だったり
疲れが溜まると
車に乗っている時や
夜中に
息苦しくなったり
胸がドキドキしてきて
不安で胸がいっぱいになり
飛び出してしまいたい衝動に
駆られるようになった。
でも、絶対に止まれない
止まってはいけない
と、私は無意識に
自分の中でルールを決めていた
こんなことで仕事は休めない
ちゃんと行かなくては。
なんとか乗り切れたし
休まずに私は日々を続けた。
その時に力になってくれたのが
ホメオパシーだった。
いつも、パニックになると
摂っているレメディーがあり
そのことについて
娘の個人コンサルの質問タイムに
軽い気持ちで、質問をしたのだが
(摂取の仕方や種類など)
ホメオパスさんの第一声はこうだった
『パニックがでちゃうまで、りこちゃんの身体は頑張ってしまっていたんだね』
私は意表をつかれてポカンとしていた。
8年前、ロミロミのユキさんに言われた時と同じように
そんな視点があるのか、と、ハッとした後に
思った。
ホメオパスさんは、さらに続けた。
『レメディーは症状を緩和してくれるけど
りこちゃんの場合は、もっと、症状の根本にあるものを
理解して癒してあげた方がいいと思う』
言葉が、じんわりと染み入ってくる
『パニックが出るほど、私頑張ってるんだね
って、まず自分で、自分に理解してあげることだよ。
どうせ頑張っちゃうかもしれないけど、
辛かったね、無理させてたなぁってね』
その言葉に
硬くなった胸の内側に
ほんの少し柔らかいものが
温かくなっているのを感じて
何か言わなきゃ、と思って言葉を伝えた。
『ありがとうございます、その言葉に
ジーンとするので、本当にその通りだと思う』
それはつい最近の出来事で
その言葉は、ずっと頭に残っていて
身体って
本当に、真っ直ぐに
私の状態を表してくれている
だけなんだな
と、感じている。
小学生の時、よくお腹が痛かったのは
本当は行きたくない塾を
行きたくないって言えなかったり
夜遅くまで勉強することが増えて
不規則な生活になっていたり
社会人になってからは
ストレスが溜まりすぎたら
必ず体を壊していたし
その度に、私は自分の身体に
どんな声をかけていただろう?
と思い返してみると
だめだなぁ、とか
どうしてこうなんだろう、とか。
そういった
責めるような眼差しから出る
言葉や態度ばかりだったような
気がする。
それって、悲しいな。
なんだか、本当に、ごめんなさい。
初めて、他人じゃなくて
自分に謝りたいとおもった。
人の身体は個人差があるので
頑丈な身体、すぐに疲れが出やすい身体
色々なタイプがあると思う。
隣の芝生をうらやんだり
比較して卑下するのも
自分の持っているものを
真っ直ぐに見て
手を取り合いながら進むのも
どちらも選べるのだとすると
私はこれからは
後者を選びたいと思う。
よくやってるよ
ありがとうね
無理させちゃったね、ごめんね。
そんな
胸の奥の温かさが
じんわりと、広がるような言葉を
この身体が土に帰るまで
たくさんかけてあげたいな
なんて、思ったのだ。