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愛の不時着に見る七夕伝説(前編)

 今日2020年8月25日は、旧暦の七夕の日。
 だからこそ今日、私は今一度、改めてこの物語に想いを馳せてみたい。古くから伝承されてきたとある2人の恋の物語…『七夕の伝説』だ。
 
 『愛の不時着』で、ユン・セリが自身の立場を村のアジュンマたちに説明する際、例え話として用いたこのお話。そしてこの七夕伝説こそ、皆さんご存じの通り、ラストに向かってこの作品の随所に織り込まれた裏ストーリー。
 改めて思い返してみると、ドラマのあちこちに、この伝説をふと想起させるような、いわばオマージュ的な要素が散りばめられていることを感じる。今回はここで一度、『愛の不時着に見る七夕伝説』を、整理してみたいと思う。

◇世代や国を越えて愛される七夕の伝説

 本題に入る前に、まず「七夕伝説」を軽くおさらいしたい。
 日本で今も広く国内で受け入れられている伝統行事、「七夕」。日本で毎年7月7日に祝う七夕は、先程も述べたように、本来は旧暦の7月7日(2020年だと8月25日に当たる)に祝われていたことはよく知られていると思う。調べてみると、愛の不時着の舞台…朝鮮半島では、今もこの旧暦で七夕(칠석=チルソク)が祝われているという。

 日本や韓国で、今も人々の中で伝統として残っている七夕。
 その源泉を辿ってみると、事のはじまりは中国の『牛郎織女』という神話伝説のようである。そして、長い年月を超え海を超えて、少しずつ姿を変えながら、今、私たちの世代まで語り継がれているのが、こんな恋物語だ。

■ロマンチックな織姫と彦星の星物語
天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいました。…そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になりました。
ところが、結婚してからというもの、二人は仕事もせずに仲睦まじくするばかり。これに怒った天帝が、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまいました。しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は、七夕の夜に限って二人が再会することを許しました。こうして二人は、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度の逢瀬をするようになったのです。…
(七夕|暮らし歳時記HPより引用)
http://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/gosekku/tanabata/

 これと同じような内容の伝説は、中国から日本や朝鮮半島に留まらず、ベトナム、ギリシャなどにも残っているようで、改めて、国境を超え、海を渡って広く人々に愛されることとなった、この物語の持つパワーに圧倒される。(今は太平洋を超え、アメリカやブラジルにも伝播しているそうだ。)

 七夕の伝説が(内容は国によって多少違えど)ここまでひろく広まり、長年語り継がれたのは、階級も住む世界もあまりに違う、2人の許されない恋愛模様が、自由恋愛が決して簡単ではなかった当時の人々の、密かな憧れや希望を反映しているようで、心に強く訴えるものがあったからなんだろうなとしみじみ思う。
 セリから織姫と彦星を知っているかと聞かれた際の、村のアジュンマたちのややオーバーすぎるような反応でも感じたが、きっと今も社会的・経済的な理由で、自由な恋愛がなかなか難しい状況にある北の女性たちにとって、それは今でも変わらない心なのではないか…と勝手に想像し、切なくなってしまう。

 北朝鮮のエリート将校と、韓国の財閥令嬢との38度線を越えた許されざる恋愛…という設定は、会うことを禁じられてしまった、天帝の娘である織姫と、貧しい平民である彦星の恋愛にも通じるところがあり、『愛の不時着』はまさに、現代の朝鮮半島における「七夕伝説」なのだ。


◇再会と別れの涙「雨」と「雪」

 韓国に伝わる七夕伝説でも、日本同様、織姫と彦星が許されない恋をし、反対され、愛し合うふたりは運命に翻弄される。しかしここで違うのが、七夕の日に降る雨…“催涙雨”の解釈である。

 日本では七夕に雨が降ると、七夕の日にしか会えない織姫と彦星が、雨で天の川の水かさが増して渡れなくなり、会えない悲しみで流している涙だ…と残念がり、人々は毎年、七夕の日には晴れを願う。
 一方韓国では、七夕に雨が降ると、七夕の日に彦星と織姫が一年ぶりに再会できた喜びに流した、うれし涙…だと捉え、雨を喜ぶのだいう。また韓国では、雨が降っても降らなくても二人は会うことができるというのが通説だそうで、二日連続降った場合は、二日目の雨はふたりが別れを惜しむ悲しみの涙、なのだそうだ。

 では、愛の不時着で雨のシーンはどのように描かれているのだろうか?
 本編に登場する雨シーンを例に挙げ、考えて見たい。

<雨シーン>
●Ep1:セリの不時着 
※正確には竜巻だが、前哨地の地面が濡れていたため、雨も多少降っていたのではと推測(ふたりの再会のきっかけ)
●Ep3:クスンジュンとソダンの空港での出逢い
●Ep7:ジョンヒョクが命をとりとめ、病院で目を覚ましたとき〜キス(再会
●Ep9:セリと第5中隊たちが前哨地入りしたとき(別れに繋がる)
●Ep11:クスンジュンがソダンをカフェに迎えにきたとき(再会)
●Ep14:チョルガンとジョンヒョクの決着時(宿敵との別れ
●Ep15:ジョンヒョクとセリの雨デートの回想 ※オマージュシーン

 こうして眺めてみると、雨は、セリとジョンヒョクの「再会」…生死を彷徨うような試練を超え、再び出逢えたことを喜ぶふたりの涙や、「別れ」…命の危険をかけた前哨地への脱出や決闘を憂うような涙の表現のようにも、何となく感じられる。

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 けれど、これだけではまだ、今ひとつ説得力に欠けるような気がする。…考えているとふと、脳裏にあるイメージが頭をよぎった。愛の不時着でふたりのターニングポイントとなる場面を思い返したときに、いつもどこかで必ず脳裏に浮かぶイメージ。
…「雪」だ。

 考えてみれば、雨はそもそも、雲の上の氷の粒が地上に落ちてくる際に、溶けて地上に落下するものである。それに対して雪は、その氷の粒が途中で溶けずに落下するもの。雲の上は常に0℃以下に保たれているため、雨になるのか雪になるのかは、氷の粒が地上に落下してくる時の気温によって、決まる。
 七夕の時期は夏だが、愛の不時着の物語の舞台は冬。しかも体感温度がマイナス10℃を下回る日もあるという、極寒の朝鮮半島の冬である。
 では、この時期に天がふたりに降らす催涙雨はどうなるのか…?
 私は、ここで、愛の不時着における雨(催涙雨)は、「雪になる場合もある」と仮定してみたい。

 以下に本編に登場する雪のシーンも挙げてみる。
<雪のシーン>
●Ep6:平壌のビアホールの停電直後 ※初雪
●Ep7:スイスの湖でピアノのメロディを介した出逢いの回想(再会
●Ep8:ジョンヒョクがセリをクスンジュン宅に迎えにきたとき(再会
●Ep9:チョルガンが軍事部長にリ家の家宅捜索を提案に行くとき ※前哨地は雨
●Ep9:38度線での別れ
●Ep10:南での再会
●Ep13:セリがチョルガンの銃弾に当たったとき(別れ

 …どうだろう?雨シーンと合わせて振り返ってみると、天は、ふたりにとって大切な、再会や別れの場面に雨や雪を降らすことが多い…と考えてみることはできないだろうか。

 ジョンヒョクとセリが平壌の夜一緒に初雪を見た際に、セリが口にするセリフも印象的だ。

「大変なことになった。初雪を一緒に見ると恋が芽生えるの。
ソウルでは皆が一斉に好きな人に連絡するから サーバーがダウンするの。
初雪を一緒に見て 恋人になりたいから。」

 初雪が韓国においてどのような大きな意味を持つのかは、この記事をご覧の皆さんはすでによく知っておられると思うけれど、私は、ふたりの再会や別れをドラマティックに盛り上げる演出としての雪もまた、この物語において重要な意味を持っているのだと感じた。

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 また、韓国の一部では、恋人たちが七夕の日に「嬉し泣きの涙」に濡れると、ふたりの愛が強くなり、「別離の苦しみ」から逃れられると信じられているそうである。
 愛の不時着で、セリとジョンヒョクが再会や別れの場面で流す涙も、「離れていてもふたりの愛は変わらないでほしい」「会えないことで苦しまないでほしい」…そんな願いが込められていたのかもしれない。


◇ふたりに架かる運命の「橋」

 「」…そこは愛の不時着で絶対に見過ごすことができない、物語の大切な鍵を握る場所だ。まさに、「橋」は七夕伝説において、天の川で分かたれてしまった恋人たちの再会を叶えるために、カササギが架けてくれた(※あとで考察)必要不可欠な存在である。本編でも橋は重要なモチーフとなっており、現存の橋がふたつ登場する。
 一つがスイスのジーグリスヴィル橋、そしてもう一つが、韓国の漢灘江ハヌル橋(天の橋)だ。

スイスのシーグリスヴィル橋
 ここは運命に導かれた二人が、人生で初めて互いに出逢った場所である。7年前の誕生日、この橋の上で飛び降り自殺をはかろうとしていたユン・セリに、たまたま婚約者と観光に訪れていたリ・ジョンヒョクが偶然…運命的に出逢う。橋の上を歩きながら、たまたま覗いたカメラのファインダーの中にひとりの女性の姿(自分のタイプの女性)を見つけ、ジョンヒョクは、彼女に声をかける。

“Could you take a picture of us?”

 …運命の歯車はここから回り始めた。

韓国の漢灘江ハヌル橋
 ここは、南で再び再会することができた二人が、デート中に訪れた場所である。橋の上で改めて再会の喜びと出逢えた幸せを噛みしめるふたり。そして二人は、ジョンヒョクが偶然セリの部屋で見つけたボイスレコーダーから、7年前のあの日橋の上で、すでに自分たちが出逢っていたことを知り、自分たちが運命なのだという思いをまた、この橋の上で確信するのだ。


  二人が出会い、そして運命の再会を喜んだ場所…それぞれの場所で彼らの人生を繋いでくれたふたつの「橋」に、私は感謝の気持ちさえ覚える。

 余談だが、日本の三途の河や死後の世界へと繋がる橋のイメージは、韓国でも死生観のひとつとして受け入れられているようで、天の川とそこにかかる橋のイメージを重ねると、“生死と愛をめぐる物語”…というこの作品の壮大なスケールの大きさまでもひしひしと感じられ、何だか改めて圧倒される。

 南北統一は今すぐに実現することは難しくても、北と南にいるユン・セリとリ・ジョンヒョクを繋いだ橋のように、いつの日か、北と南を分かつ軍事境界線という深い分断の上にも、両国を繋ぐ平和の橋(美しい世界を実現する橋)がかかってほしい…
 そんな願いも作品にはそっと込められているような気が、私にはするのである。

◇愛をアシストする「鳥たち」

 物語に登場する橋について確認したところで、次は七夕伝説において織姫と彦星の再会を助ける、まさにその橋となってくれた鳥…カササギに着目してみたい。
 調べてみると日本の伝説では、カササギが天の川に自ら橋を架けてくれたことになっているが、韓国では、七夕にはカラス(烏)とカササギ(鵲)が天の川に集結し、織姫と彦星のために(烏鵲橋)を架けてくれるのだという。
 
 では、愛の不時着に置いて、カササギとカラスはどう描かれているのだろうか。

 そう考えてみると、2人を隔てる天の川(38度線)の架け橋になろうと力を貸してくれた、第5中隊員たちや村のアジュンマたちの姿が、なんだか七夕物語に登場する鳥たちの姿に、重なって見えてくるような気がする。

 例えばヨンエさんがセリに伝えたこんな台詞。

「織姫と彦星の架け橋が必要なときは頼って」

 ヨンエさんのこの言葉にも象徴されるように、この物語の中で、セリを村のコミュニティに受け入れ、彼女の恋を応援しようとサポートする村のアジュンマたちは、まさに七夕伝説のカササギのような役割を果たす。本人たちも意図しないところで、ふたりの運命を乗せ、目的地に運んで行く。
(物語の重要なキーを握るアイテム…ムヒョクの腕時計と出逢えたのも、セリを質屋に連れて行ったアジュンマたちのおかげであるし、営倉に入れられてしまったジョンヒョクの本当の出自の噂を聞きつけ、結果的にジョンヒョクを営倉から解放するアシストをするのもアジュンマたちである。)

 今まで身近に誰も頼る人がいなかったセリにとって、時に友達に、時に姉のようになって、セリの世話を焼いたり、まるで自分ごとのように一緒に、真剣に怒ったり悲しんだりしてくれるアジュンマたちの存在は、どんなに彼女の心を温めただろう。…セリの自分以外の他人に対する心の壁を取り払ってくれたアジュンマたちを、彼女たちの図々しさやお節介を、私はどうしても愛さないではいられない。

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 それに対して、リ・ジョンヒョクに忠誠を誓う第5中隊員たちも、中隊長、そしてその中隊長が愛するユンセリを守るために奔走する。ふたりが無事に38度線を超え、祖国に帰れるようにと、最後まで命がけでサポートしようとする彼らもまた、七夕伝説で織姫と彦星を助けてくれた鳥たちの様…
(第5中隊たちのコードネームが、個性豊かな彼ら自身を連想させるような鳥なのも、何か関係あるのでは?…と思うのは少し私の考えすぎだろうか。)

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 七夕伝説の織姫と彦星を助けたカササギやカラスたち同様、愛の不時着のユン・セリとリ・ジョンヒョクにとっても、村のアジュンマたちと第5中隊たちが、ふたりにとってかけがえのない存在として描かれていることは、間違いない。
 セリとジョンヒョクの出逢いが運命ならば、ふたりにとって彼らとの出逢いもきっとまた、運命だ。


***

(今回こそひとつの記事にまとめるつもりだったのが、やはり長文になってしまったので、今回も泣く泣く記事を分けたいと思います。
 前編では七夕伝説ストーリーそのものと作品との関連性について考えてみました。続く後編では、作品にも登場する七夕の伝統的な慣習についても、触れてみたいと思いますので、またお付き合いいただけると嬉しいです。
 読んでくださり、ありがとうございました!)

画像:tvN公式サイトより
http://program.tving.com/tvn/cloy

後編はこちら






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