主とともに歩むとは
「主にゆだねる」(主=あなたを創造された方)
この言葉、いまいちよく分かりませんでした。
ゆだねるってなんだろう。
主とともに歩むって何だろう。
今日はそんな疑問に対し、主がわかりやすく教えてくださったことをお伝えします。
今私はデータ入力の仕事をしています。
最近始めた未経験の仕事なので、何がわからないかもわかりません。
仕事をする前は、データ入力って簡単じゃん?と思っていました。
プリンターでスキャンするように、紙の情報を電子に置き換えるだけでしょ?と。
しかし、一日中入力すれば当然入力ミスもあります。
さらに専用のシステムを使うため、システムに合うよう変換して入力することも求められます。
要は、仕事をする前に思っていた
「スキャンのように紙→電子に打ち替える」
以上の難しさが、データ入力にはありました。
思ったより入力が難しく、よくミスをする私。
すると都度私のミスをカバーし、代わりに謝ってくださる先輩方。
ミスをするのも、先輩方に都度迷惑をかけるのも嫌で、私はより神経質に入力するようになりました。
でもある時、気づいたのです。
周りの方々の優しさに。
・私が一息ついた時を見計らって声をかける
・入力一辺倒だからと、他の仕事を一時的に降ってくれる
・休憩場所と、その使い方を教えてくれる
・ミスをしない工夫を、さりげなく教えてくれる
私は今まで「ミスを絶対しないように!!」
と張り詰めたように入力していました。
しかし同時に周りの方々も
「ミスをしてもいいように、減るように」
立ち回ってくださったんだなと思いました。
周りのサポートがあってもなくても、私のやることは大きく変わりません。
でも「周りのサポートがある」と知るなら、少し肩の力をぬいて仕事ができると思いました。
「主にゆだねる」のも、同じこと。
神様を知らなくても、
生きること
ご飯を食べること
今日何をするか決めること
は変わりません。自分で選べます。
それどころか時に、就職や結婚、理不尽なことなど、悩み苦しむこともあるでしょう。
しかし、あなたを愛し、造られた神様という方がいる。
その神様はあなたと同じように感情や意志などの人格(神だけど)があって、あなたにインスピレーションを与え、タイミングを与えて、日々あなたに気付きを与えている。
だから難しい選択を迫られて、
今が神様の最善と思えなくても、
「これで良かったんだ」と思える、
想像以上の未来まで神様が連れて行ってくださる。
そんな神様がいると信じるなら、ほっと息を吐き、肩の力を抜いて今を生きられると思うのです。
人に頼らず、一人で頑張ろうとする的はずれな私。
そんな愚かな私のために、いのちをかけ、主イエス・キリストは私を罪から自由にしてくださいました。
主がともにおられ、未来もまた神様の手の中にあると知るから、私たちは安心します。
そして、一人で頑張る生き方から開放されます。
主はどんなあなたでも、私でも、ともに歩んでくださるお方です。