言語はいかに有力か?(4)──牡羊座と天秤座、言語と「個」

これまで、混沌を区分けしようとするのは乙女座的アプローチであり、その一つは言語があてはまるという話をしてきた。もちろん言語では正確さが重視されるが、名前が与えられ、指し示されることによって、「本当に違う状態」が獲得される、と述べた。これが概ね今回のまとめなのだが、これが一体何を意味するのか、牡羊座と天秤座の概念を引きながら考察に移ろう。

4.1. まとめ(ほぼ再掲)

今回は、乙女座の秩序と魚座のカオスの話を言語というものをモデルにした。その過程で、魚座と乙女座がいかに表裏一体であるかを、言語というもので示したつもりだ。具体的には、乙女座の仕組みである言語で分節化された世界は言葉でよく表現されるが、しばしば分節化された世界(=概念)は、それほどはっきりと分かたれているわけではない(椅子と机の例)。概念は連続的であり、そこに枠を作ることで、言語ができている。そしてその枠で囲われた部分が、「それ」として独立するのである。

4.2. 考察──乙女座から天秤座へ

乙女座というサインは個人の完成を示す。ここから天秤座に踏み出して、公的な分野での人との出会いを経験するのだ。線を引く(一次元の場合)ことは枠を作る(二次元の場合)ことに通ずる。枠を作るとは、好意的とは限らない他者との接触に耐えられるように、自分を強固に作り上げるということでもある。

しかし、そこにいるのは自分だけではない。社会の中には他の人もいるし、自分がいると認識してもらわなくてはいけない。しかもその自分は、他人に認識できるものでないといけないのだ。あなたが「あ」であるというとき、私たちはあなたらしさを認識できるだろうか? 

あなただけがあなたを理解できるとき、面白いことにあなたは消えるのである。だから他の人にも理解できるように、共通の概念が必要なのだ。この「共通の概念」というのを、適切にオーガナイズされた概念として、乙女座サインの中に私は見ている。差異をみるためには、類似点がなければならず、そのベースを作るのが言語なのである。

この行為の対象が自分でないこともある。なぜ私たちはペットに名前をつけるのだろうか。どうしてただの「犬」ではいけないのか。名付けること、それは私たちの頭の中に、当該の「犬」専用のスペースを区分けする行いなのだ。そのことが、当該の犬について語ることを可能にするのである。そして、その当該の犬は「類似性の上にある差異そのもの」──すなわち「個体」として認知されるのである。

4.3. 混沌から個人へ至るには何が必要か──乙女座・魚座から天秤座・牡羊座へ

ではこれらを踏まえてもう一度まとめよう。

この考察で考えたことは、「差異がある」と認識されることは、それが個体として認識されるために必要不可欠だということだ。その差異の手前には、類似性を認識できるような仕組みがある(ここでは言語)、とも。
そしてここに乙女座から天秤座への移り変わりがあり、その裏側に、魚座と牡羊座のエッセンスを感じ取ることができるのである。

現代言語学の父ソシュールは「言語には対立しかない」と『一般言語学講義』で述べているが、これは差異を見出すという機能に着目した言葉だろう(※推測です)。
つまりこの記事のタイトル、「言語はいかに有力か」の答えは、例えばこうして乙女座と天秤座の移り変わりと差異を語って、『差異を「ほんとうのもの」として存在させる』しかたで有力だ、ということ。
ただし、差異を見出す前に、類似性を見出し表現する機能がないと混沌を区分けすることもできないだろう、というお話でした。

(終)

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