言語はいかに有力か?(2)──乙女座VS魚座

前回の記事では、魚座と乙女座のみかたを混沌と秩序(特に片付ける、整理する)という観点からみた。今回はこれを支配星の観点からさらに見て、その相違点をまとめてみよう。

2.1. なぜ水星と木星は対立しているのか

でもじゃあどのように、何を、阻害しているのか? 一般に言われるように魚座が不明確であるとして、コミュニケーションには明確性が必要なのだろうか。なぜ必要なのだろうか。
それこそ早く齟齬のない理解のためだ。ジェスチャーで会話しようとすると困難だろう。ジェスチャーであるはずの手話が言語機能を有するのは、明確な仕草とその示す内容カテゴリーの対応関係を保っているからである。
仮に、伝達内容が違うものを指しているとすると全くコミュニケーションにならない。それを逆手に取ったコントが存在するくらいだ(アンジャッシュが有名だね)。言葉が指しているものが広すぎたなら、「あれ」ではわからないと、もっと具体化を求めるはずである……すなわち、水星である。

例の2つ目。交通はなぜ木星ではだめなのか。数多くの車がきちんと流れるためには、信号機がなければならないし、歩行者がいつ渡るかは決まっていないといけない。ここで(私の解釈では)木星と逆の天体、土星のニュアンス、すなわちルールの存在が出てくるのは興味深い。

もう一つおまけに事例。魚座で水星と土星が合の私が好きな文章は、ディスコースマーカー(だから、しかし、たとえば…)が配置され、すべての文がそこに配置された意味が明らかである文章だ。続いている文は前の文の説明なのか、例示なのか(たとえば)、それとも逆説で、続く文に力点があるのか(しかし)、先立つ文に力点があるのか(ただし)。いかに壮大な話をしていても、わかりづらければそれは私だけのものになってしまうだろう。

2.2. 乙女座と魚座──「ぱっと見てわかる」vs「見てもわからない」

つまり魚座は、不正確と言うより、「ぱっと見てわからない」のだ。その内容は、象意からすると「何でもある、全て」だからだ。だからカオスと言い表される、というよりそれ以外に表現しようがないのだ。言語では。

乙女座と対比すると、そこでは区分けなど何もされておらず、見る人に認知的な負荷を強いる。すべては等価に扱われる(この「すべて」が文字通り「すべて」である点で水瓶座とは区別される)。これを裏返すと秩序というのは、「なんらかの基準で区分けされていること」ということになる。本棚は何らかの基準で分けられていれば、格段に見やすくなり、目当ての本が探しやすくなる。

とはいえ基準をどう選定するかは別の話だし、目的にもよる。これはやはり柔軟宮だなあと感じるところだ(詳しくは次の記事)。

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