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どこまでが私か?──自他境界と7ハウスと8ハウス

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#哲学

どこまでが私か?(4)──境界は引き直せる

ちょっと蛇足かもしれないけど、以下では前提の説明と、融合先は機械以外にもある話がしたい。それから、私の出した結論の話をしよう。

4.1. 機械は私たちの意識を変えるほどの存在か?
私のこれまでの文章は一つの前提に立っている。

それは機械が私たちの意識を変えるほどの重要他者であること──これはAmazonのレコメンドを思い出してもらえればわかると思う。

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どこまでが私か?(3)──人間はどこまで人間か

前回は、自分たちが自分であるためには境界が重要だと書いた。もちろん、境界からじゃなくて、中心から自分を把握しようという向きもある。むしろ西洋哲学では、それが主流だった。

3.1. 人間の自己は特別なもの?──(道徳的)行為者性ではまず、当の人間はどう考えられてきたのだろうか?

西洋哲学は人間の自己に特権性を与えてきた(※ルネッサンス以来だと思うんだけどまじでここの歴史は知らないのでさらっと行く

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どこまでが私か?(2)──8室、境界の一時的な消失

前回は準備運動として、私が考える7室について記述した。これで、8室を説明する準備ができた。

2.1. 生きれば生きるほど純粋な私ではなくなるところで、「どこまでが私なんだろう」と考えたことはないですか?ないか。ない人は以下を読んでください(ゴリ押し)。

7室で誰かと出会って、誰かと親しく付き合ったとき、その人の癖がうつったり、話し方がうつったり、考え方がうつったりすることはよくある。親しくなけ

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どこまでが私か?(1)──自他境界と7室と8室

8室はよくわかりにくいと言われる。そのうえ、死とかセックスとか遺産とか、現代で見るにはおどろおどろしい文句が並んでいて、8室にいろいろある人は辟易しているかもしれない。それ以外にはなんかないのかよ!はい、あります、という話をダナ・ハラウェイの『サイボーグ宣言』を引用しながらしたい(※3が長いです。ごめん)。

本シリーズの目次は以下。

1. 8室の前提としての7室(この記事だよ)
2. 8室の象

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