どこまでが私か?(3)──人間はどこまで人間か
前回は、自分たちが自分であるためには境界が重要だと書いた。もちろん、境界からじゃなくて、中心から自分を把握しようという向きもある。むしろ西洋哲学では、それが主流だった。
3.1. 人間の自己は特別なもの?──(道徳的)行為者性
ではまず、当の人間はどう考えられてきたのだろうか?
西洋哲学は人間の自己に特権性を与えてきた(※ルネッサンス以来だと思うんだけどまじでここの歴史は知らないのでさらっと行くよ)。そのトップにあるのが、動物と人間を分かつと考えられていた理性だ。
「道徳的行為者性」という名前がついているんだけど、詳しく知りたい人は行為者性でググってほしい(と言いたいのだが、意外に見通しの良い論文がない。探しておく)。
とにかく、ここではその根本にあるのは意志だということだけわかっていてほしい(いや他人がそう言っていたんだけどこの意志と行為者性の関連性も文献がごにょごにょ…さがします!)。
近年では、認知科学や哲学のポストヒューマニズムなどによって、その自己の絶対性に疑問が投げかけられている。
私は、実はそんなに専門的なものを想定しなくてもいいと思うけど、例えばこんな感じ。
私たちが何かを判断するとき、本当にそれは自分で判断したと言えるか? 親の意向は? 周囲の人間の意向は、本当に私に影響しなかったと言えるだろうか? そして、私たちに影響を与えるのは、果たして人間だけだろうか?
私たちの境界は私たちが思っていたよりずっと、脆いものなのではないか?
3.2. 『サイボーグ宣言』──二項対立の人間観をこえる
すでに人類はキメラになってしまった──この意味でダナ・ハラウェイ(1985)の『サイボーグ宣言』は、自我にたいする大いなる8室の寄与を認めるものだ。
まずハラウェイの説明をしよう。ハラウェイはフェミニズムの理論家だが、その中でもかなり異色の存在感を放っている。
確かに出発点はフェミニズムというか、家父長制に基づく女性の搾取を問題としたマルクス主義的なものなんだけど、
異色なのは①その向かっている先がアイデンティティの脱構築であること、
しかも②その脱構築によって性別に基づいたものだけでなく、現在の搾取や抑圧を作り上げた思想体系の中にある、自然・文化、肉体・精神といった他の二項対立からも脱却しようとするからだ。
二項対立──つまり二者関係、7室。私が人間で男性で仮に火星なら、あなたは自然で女性で金星だ。
主体と客体の構図はここでも堅持される。自分と他者は両極に置かれる。まあ西洋の発想自体が主体と客体を厳密に分けるものだから(とはいえこの方針が固まったのはデカルト以降の近代の話ではあるかもしれない)、その発想が西洋占星術とリンクしているのも当然のことだ。
ここで重要なのは7室から8室に向かうとき、その境界はなくなり、一つに溶け合おうとするはずだということだ。
では私たちは二項対立から脱却して一体どこに行くんだろう?
3.3. 「サイボーグ」──二項対立の先
結論から言おう、ハラウェイの脱構築の向かう先は、「サイボーグ」だ(以下解釈はここ準拠)。
「サイボーグ――サイバネティックな有機体〔オーガニズム〕――とは、機械と生体の複合体〔ハイブリッド〕であり、社会のリアリティと同時にフィクションを生き抜く生き物である。」(Haraway 1991=2000: 287])
サイボーグは多くのフィクションにも登場するけれど、現実にもいる。
例えば直接身体感覚に直結する形で機械を採用する人がいる。義手、義足、ペースメーカー、補聴器、あるいはもっとシンプルなものならメガネとか。しかしもっとわかりやすいのは、大多数の、記憶を外部化する=スマホやパソコンに預ける人々だろう(cf. 映画『イノセンス』に直接的な言及がある)。
ハラウェイは正しく、現代技術がさまざまな境界をぼかしてしまったことを認識している。実際スマホのように、不可欠になってしまって、私たちの一部になったものさえある。
でもこれは、私たちが私たちとして生きていないということを意味しない(もちろん、純粋な「私」を想定して、今の私は不純だとすることもできる。でも1室だけじゃなく、7室にも「私」はいる。牡羊座も人の影響を受けるし、太陽は天秤座にあってもなお太陽だ。デトリだけど)。
とすると私たちは8室の中でさえ、自分以外のものと融合したまま、私たちとして生きていくことができる……のかもしれない。7室に例えば婚家を数えるときは8室は「○○家の人」であるかもしれないが、少なくとも7室に機械を数えるときは、8室は「(機械によって)拡張された私」なのだから。
これに「ん?」と思った人もいるかもしれない。
まず、機械にそれほどの影響力があるか?また、他のものを7室に数えることもできるんじゃないか? と。
次回はその疑問に応答するぞ!
〈引用文献〉
Harraway, Donna, 1991, Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Routledge. (=高橋さきの 訳,2000,『猿と女とサイボーグ──自然の再発明』,青土社.)
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