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ハッピーエンド依存症

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少し前に東京に戻っていた。
ライブハウスに出来るだけたくさん顔を出した。
知人に『若い頃に自粛だなんてよく耐えられるね!俺だったら絶対に無理!』と言われて、ちょっとムカついた。
僕らは好きで家に引き篭っているんじゃない。
意地でもこの時間を無駄にしてやらねぇと思った。
妬むんじゃねぇぞ、と強がった。

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音楽が聴けなくなっていた。
だから、大好きなお笑いに頼ったのだ。
バラエティ番組を観まくった。ラジオを聴きまくった。
大好きなものを、とことん脳や身体に吸収した。
笑うことは身体にいい。
確かにそうだ。
笑っているときには、ぐるぐると巡る思考を一時停止できる。

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元より生産性のない時間を無駄だと思ってしまう性格である。
佐久間宣行さんが『大学生の暇な時期に映画や漫画をたくさん観てたくさん読んだ』と言っていた。
それに倣って、出来るだけの文化と触れた。
二番煎じのやり方だが、少しでも”佐久間宣行”に近付きたいと思った。
佐久間さんに近付こうと楽しむうちに、きっと別の世界が見えてくるはずだ。
だから僕もこの時間を無駄と思わずに、心を養っていきたい。

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日本人が描く物語は、ハッピーエンドでないと気が済まないのだ。
客がそれを求めているから、そのような物語しか書けなくなってしまったのだろうか。
単調に繰り返されて、また、世界の一部に同化する。
『成功』はハッピーエンドと直接的に繋がっている訳ではないことを、とことん理解していない。
それでも彼らは阿呆であるから、ハッピーエンドともバッドエンドともつかない物語を、『つまらない』と一蹴する。
思考をやめた脳味噌こそが、普遍的でちんけな『つまらない物語』を生み出しているのだ。

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僕のこの先の人生が、たとえハッピーエンドに向かう場合ではなくとも、無条件で生きていかなければならない。
ハッピーエンド依存症の彼らは、果たして正常に生きて行けるのだろうか。
先の終わった人生が、ハッピーエンドともバッドエンドともならない有耶無耶な態度を取っていたとしたら、虚しくなるだろうか。
はたまた、『つまらない物語』で消費され尽くしたハッピーエンドは、自分の分までは残っていないと諦めるだろうか。

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『幸せ』の定義は人それぞれなのだろうけれど、大抵の人間にふと浮かぶ『幸せ』は、金や名誉にきつく縛られている。
だからこそ、世間は金や名誉を保持している人間を『成功者』と呼ぶ。
ただ、その『成功者』と『幸せ』が直結しているかというと、それはまた難しいが別の話になるだろう。
ここを分けて考えられない人間が多すぎるのだ。
生きにくくないのだろうか、と疑問に思う。

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確定のハッピーエンドならばずっとにこやかに生きられる、とは限らない。
自分は自分、他人は他人。
親しい他人は必ず死ぬし、哀しみは背負わざるを得ない。
形あるものは、いつかどうせ壊れてしまう。
紆余曲折を経た上でのハッピーエンドだ。
終わりよければすべてよし。
本当にそうだろうか?

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