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赤い靴

赤い靴履いてた女の子~

異人さんに連れられて

行っちゃった~

横浜の波止場から船に乗って

異人さんに連れられて

行っちゃった~

今では青い目になっちゃって

異人さんのお国に居るんだろ~

赤い靴見るたび考える~

異人さんに会うたび考える


野口雨情作詞の

この物悲しい歌には

本当にかわいそうな物語が

あったのですね


赤い靴の女の子の像は

横浜の他に

日本平や北海道、麻布十番

青森など

(女の子の生まれた所や

母親のゆかりの地など)

そしてアメリカにもあって

全部で9つの

赤い靴のきみちゃん像が

あるそうです


この赤い靴を履いていた

女の子は

実在した「岩崎きみ」ちゃんです

1902年生まれの

(1904年という説もあります))

生まれ付き病弱な女の子でした


母親の「岩崎かよ」さんが

18歳で産んだ私生児だった

相手の男性は

誰なのか分かりません


かよさんの両親は

その時すでに亡くなっており

身内もなく頼れる人も

誰一人と居なくて


「ふしだらな女」

と周囲の人々から

白い目で見られていた為

逃げるように

北海道へ行った親子


北海道で、かよさんは

「子供がいてもいい」

と言う男性と知り合い

結婚しましたが

暮らしは相変わらず苦しく

夫婦は開拓民となって

北海道の奥地へ

行くことになり


これからはもっと

過酷な生活が待っている

病弱な娘を連れて行けない

と思い悩んでいた時

知り合いから

アメリカ人の宣教師夫妻が

養子を探していると聞き

そのアメリカ人夫妻に

しかたなく預けたのです


宣教師夫妻は、きみちゃんを

とても可愛いがっていましたが

アメリカから帰国命令が来て

幼く(まだ4歳だった)

病弱なきみちゃんを

長い船旅をして

連れて帰る事は出来ないと

今の麻布十番の付近にあった

孤児院に預けて帰国したのです


きみちゃんは

当時不治の病と言われていた

結核でした


それから5年後

わずか9歳で

この世を去りました


母親のかよさんは

その後

女の子を生みました

きみちゃんの義理の妹である

その女の子が


かよさんから

きみちゃんは

異人さんに連れられて

遠い異国へ行ったと

教えられていたので


今どうしているのか

「ひとめ会いたい」と

義姉を探しました


そして本当は

もうずっと昔に

この日本で

たった一人幼くして

亡くなっていた事を知った


母親のかよさんは

そのことを知らずに

異人さんに連れられて行った

きみちゃんに

「ごめんね」と言い残して

64歳で亡くなったそうです


なんと可哀想なきみちゃん

母親にどんなに会いたかったか

せめて亡くなる前にもう一度

しっかりと

お母さんに抱きしめて

貰いたかったでしょうね


可哀想な

このお話を知らずに

でも、何故か悲しいこの歌を

私が幼い頃

私の母は歌って聞かせて

くれていました

もしかしたら母もこの歌の

本当のお話を

知っていたのでしょうか?


子供の頃には

いつも口ずさんでいた

懐かしい歌の一つです
















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