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無力

誰にも親切で優しくて

あったかい人

そんな義兄が

膵臓癌で亡くなったのは

遠い昔です


義兄は子沢山の家の

長男でした

そして義兄の末弟も

癌で亡くなりました

この兄も優しい人でした


姉の話では

義兄達の父も同じく癌で 

亡くなっていました


残された長兄は

郵便局をやめ

父の残した小さな工場と

残された幼い兄弟たち

そして母親を庇い守って

尽くして尽くしたのです


そのため婚期を逃し

(まだ30歳過ぎでしたが昔は

皆、早く結婚したのです)


たまたま知り合った私の母が

 背も高くスラットした 

ハンサムで無口で

誰にも優しい人柄に惚れ 

次姉の結婚相手にどうか? 

と家に招いたのです 


姉は19歳位だったかな?

歳は結構離れていました

次姉は最初渋っていましたが

義兄は4年以上も

毎日お土産を持って

家を訪ねて来た程 

熱心でしたし

やはり人柄も良く

結婚しても  

貧乏なこの実家の援助も

嫌がらずにしてくれると聞いて 

だんだん気持ちが

傾いて行ったのです 


私の父は飲兵衛で

病気持ちのくせに

(もう治らないから

他の人にベッドを

空けてくれと家に

返されていたのです)

毎日安いお酒を際限なく

飲んでいる人でした 


父にお酒を進められ

一滴も飲めない義兄は

父に気に入られようと

それから毎日

私達のお土産の他に

お酒を持参して来てくれて

無理して父に合わせて

お酒を飲んでいましたが

やがて随分な量を嗜むように

なっていったのです


今思えばこのお酒が

寿命をちぢめたのですね


そして父はその気持ちを

嬉しく思ったのでしょう

二人の結婚は許され

明治神宮で 

厳かに神前結婚式を行い

無事に仲良し夫婦に

なったのです


二人はあちらこちらへ

旅行や山登りに行き

遊園地や海へは

幼い私達妹を 

連れて行ってくれました

兄夫婦は

自分達も大変な生活の中

こまごまとしたものから

何かにつけて気を使い

洋服なども 買ってくれました 

今振り返っても

本当に感謝しきれません


けれど60歳を迎えてすぐ

義兄に癌が見つかりました


膵臓癌は

わかった時は手遅れと

言われ入院して

3ヶ月もしない内

アレよアレよと病状は悪くなり

天国へ行ってしまったのです


私は無口で優しい義兄に

本当の妹のように 

それ以上に愛してもらい

心では大好きなのですが

その気持ちさえ伝えることなく

会えない人になりました


とても悲しい 


姉は見ていられないほど

悲しみ苦しんでいました

けれど、私は何一つ

してあげられない

させてもらえる事など

何も無かった

愛する人を亡くした人を

どうやって慰めれば

良いと言うのでしょう


今はもう昔の話なのに

あまりに悲しくて

父も母も兄も皆亡くなって

しまったのに

義兄と末弟の義兄のことが

あの最後の顔が

忘れられないのです


血は繋がっていないのに

大好きな二人です


何か、私にも出来る事が

あったのではないか?

そう悔やんで

自分の無力さを呪うのです


今コロナ渦で

毎日死と向き合っている

お医者様や看護師さんには

本当に頭が下がります


毎日を救える生命

ばかりでは無い

目の前の現実を

力の限り尽くしても

変えようが無い 

この厳しすぎる現実を

目をそむけずに

繰り返して行かなければ

ならない

心はどんなにチリヂリに

なっているのでしょうか?


私達人間には

出来ることは少ないです

でも、現実を受け止めて

生きていかなければ

ならない

人は誰もがそれぞれに

深い悲しみをかかえながら

生きていかなければ

ならないのですね

早く世界中が

当たり前に

戻って欲しい

お医者様も看護師さんも

笑顔で仕事が

出来るように

なって欲しいですね





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