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期間限定移住という選択肢もあった

切迫流産した娘を手伝うため四国に6か月いたとき、このまま、ある程度孫たちが大きくなるまでの数年間だけ、娘の家の近くにアパートを借りて、バイトしながら生活したいと思った。つまり、期間限定移住である。孫たちとの生活がとても楽しくて、離れがたかったからだ。

四国は家賃も安くて、1ヶ月3万円くらいで借りることができる。そうすれば、娘家族と私、お互いの生活を大事にしながら、必要な時だけ手助けをしたり、孫たちと会ったりもできると思った。

第2の人生の方向が決まって、四国で療養中の娘の世話をしながら、アパートをネットで探していた時、私の自宅近くに一人で住んでいる母のことで、見守りをしてくれている施設の方から電話がかかってきた。「入れ歯が壊れて食事がとれなくなっていたみたいで、栄養失調になって、通院先の歯科で錯乱状態になった」という電話だった。母は85歳だったが、一人で旅行に行ったり元気だったので、私はほとんど関わりをもっていなかった(母との関係は、小さな頃からあまりよくなかった)。施設の方にかなり迷惑をかけたようだったので、ちょうど土日の休みになったゆう君に娘とくまたの世話は任せて、関東に帰った。

がりがりに痩せて、髪もザンバラ、「歯医者さんに怒鳴られてん」と何度も繰り返す母がいた。苦手な母の世話を私一人ですることはとても無理だったので、施設の方とも相談して、福祉サービスを受けることにして、関東にいられる3日間の間に、包括支援センター、デイサービス、見守りをしてくれている施設の方と会い、あとは電話でやりとりをして、介護認定の時やデイサービスの見学の時だけ、1泊で関東に帰った。

母は、歯を治療して食事ができるようになり、デイサービスにも週に3日行けるようになり、見違えるように元気になった。しかし、錯乱事件を経験して、病院受診や時々の見守りは私がしないといけないことがわかった。四国にずっと行ってしまうと、母をまた放置してしまうことになる。移住を断念した大きな理由はこれである。
 
【二拠点生活をして良かったこと】
①どちらも新鮮
しかし、実際に二拠点生活をしてみると、母の世話が出来るということ以外に、移住ではない良さもあるな…と思った。
1~2週間ごとに四国と関東を行ったり来たりしていると、自宅に戻った時も、また四国に行った時もすごく新鮮なのだ。飽き性の私には、ちょうどいいペースだったみたいで、四国から自宅に帰ってきて、自宅でしたいことがいっぱいあって、どちらの生活もすごく充実して楽しいのだ。

②noteに出会えた
不規則な二拠点生活では、継続した曜日固定のバイトはできない。以前から2か月に1回1日だけしている仕事の給料だけでは足りないので、投稿やモニターなどで少しでも飛行機代を稼ごうとしているうちに、文章を書くことがとても気持ちがいいことに気が付いた。
人の話を聞く仕事をずっとしてきたせいか、自分の気持ちをなかなか人に話せない私だが、文章にすると、思っていることをすっと書くことができた。自分でも、「こんなことを思っていたんだ」とびっくりすることもあった。「投稿したら、お金ももらえるし、気持ちいいし一石二鳥や」と次女に言うと、noteを教えてくれた。「今思っていることを書いたら楽しいよ」と次女が言う通り(初めての投稿をするまでにはとても勇気がいったが)一度投稿して、しかもスキをしてくださる方がいて、本当にうれしく、それからは、頭の中でいつも文章を考えているような生活になった。
 
③お店屋さんごっこの楽しみ
もう一つ、二拠点生活を選んで収入がなくなったことで、始まった楽しいことがある。新たな収入源として始めた無人販売である。メルカリなどは、注文にタイムリーに応じることができないので、あきらめた。フリーマーケットはかなり前からの申し込みが必要で、「呼ばれたらすぐに行く。行きたいときに行く」という今の生活はできない。その点、自宅ガレージてする無人販売は自由に日にちを設定できるので、いつでも思った時にできる(ここまで書いて気がついたが、「思った時にすぐに動ける」ということが私はとても好きみたいだ)
無人販売は試行錯誤の途中で、2回の売り上げ合計は710円とまだまだ空港に行く電車代にもならないが、「お店をしてみたい」という昔からの夢を叶えているみたいで、次の計画を考えるだけでも楽しくなるのだ(この楽しみがあるから、関東にも帰ってこられる笑)

仕事をやめて、二拠点生活をすると決めた時点で、「これからは自分がしたいと思う事を、どんどんしてみよう」というスイッチが入ったのかもしれない。 


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