子どもの時に親にしてほしかったこと
娘家族のいる四国と、自宅のある関東で二拠点生活をすると決めて、1年半が過ぎた。どうして四国にこんなに行きたくなるのか、四国での生活がなぜこんなに心地よいのか、自分でもなかなかわからなかったが、最近、やっとわかってきた。
四国で孫のくまたと過ごしていると、「子どもとしての自分」と、「親として子育てをしてきた自分」の両方に抱いていた不全感が解消されていって、自分自身を肯定できるようになるからだった。
子どもとしての私
私と似ているところ(色んなことを敏感に感じるのに不器用で恥ずかしがりなので、気づいていてもうまく行動できなかったり、他の人より怖さや恐れを感じやすい)がある孫のくまたと一緒に生活していて、くまたが安心してくまたらしく生活できるように手伝っていると、「あっ、私も親にこんな風にして欲しかったんだ」とわかってきた。
・困った時に(泣いたら怒られると思って我慢せずに)思いっきり泣けるように…。
・したくない事があったら(怒られたり、不機嫌になられたら困ると心配せずに)言葉でそれを伝えることができるように…。
・話しをしている時に(衣類の乱れや言葉使いのおかしさを指摘されずに)最後までゆっくり聞いてもらえるように…。
・弟が注目を集めている時に、ほんの少し目を向けてもらえるように…。
こんなことに小さな頃の私は傷ついていたことに、60歳を過ぎて初めて気がついた。
自分が親からされて嫌だったことをしないように、丁寧にくまたと関わっていると、少しずつ、きっと小さい頃の私はこんな風にして欲しかったんだとわかってきた。
親としての私
くまたと接していると、子どもとしての自分をふりかえると同時に、3人の娘の親としての自分についても考えるようになった。
医療的ケアが必要な長女を含め3人の娘たちを育てている時に、夫は出張が多くて、ワンオペになることが多かった。
長女を育てる為に大好きだった仕事を辞めなくてはいけなくなって、社会から1人取り残された気持ちになっていた。
時間と人手と子育て経験が圧倒的に足りない中で、子ども達がネガティブな感情を出してくると、すごく焦ってしまって、自分が責められているような気持ちになることが多かった。子どもを”愛おしい”と思うよりは、”なんとか無事に育ってほしい”、そして”できるだけ私の手を煩わさないでほしい”という思いが強かった。子育てを楽しむ余裕もなかった。
今、娘の夫が出張している期間だけ手伝いに行っている状態を経験して、私もこんな風にサポートがあったら、もう少し子育てを楽しめたかもしれないと思う。
私が子育てを心から楽しめなかったのは、自分のせいだけでもなかったのだと気づいた。そして、くまたがネガティブな感情を出してきても、「責められている」と感じることなく寄り添うことができる自分に気づいて、子育て中に感じていた不全感やうまく関われなかったことへの申し訳なさも、少しずつ薄れていった。
子どもとのふれあい(愛着関係)を通して、経験できなかった子ども時代をとりもどす
最近読んだ本に、今の私にぴったりの言葉をみつけた。
60歳を過ぎて、こんなことが起こるとは思ってもみなかった。虐待というほどのことをされたわけではないけど、今でも会うたびに緊張し、「来なければよかった」と毎回思わされる母との関係は、以前と変わりない。
けれども、泣きわめきながら自分の思いを訴えてくるくまたを抱きしめて、愛おしい気持ちがわいてきて、一生懸命話を聞いていると、小さい頃に傷ついていた自分が誰かに抱きしめられている気持ちがするのだ。
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