呵責

私に良心などはジャコウネズミ程もなく、あるのは防衛機制だけである。
100年前にはもう、一般に啓かれている事実だ。

事実、シノニムは理学であるが、それは逃げ場を与えず、従来の人間社会を黙々と鏖殺していく。
新たなる事実は搔痒となり搔爬を要するが、それが普遍化する後はその世界観で生活をする他ない。
我々にできることは、名をつけられた理学由来の横暴を紆曲に解釈し身に馴染ませ、堅苦しい四畳半に区切られた真四角の空を眺める事なのだろうか。

才能は羨ましがられるものだ。真四角の狭さをも何某の利とし悠々漠然としながらも生きながらえる。
桃李成蹊、大昔は道徳だったか。現代社会は何かと忙しい故に技術や結果などに人は集る。

スコレーを。漠然とスコレーを望む。

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