マガジンのカバー画像

かもしとたねエッセイ

17
山の家、海近くの畑、自然界、人や動植物の生死などを通して感じる不思議。この世は不思議でいっぱい!その答えはそれぞれの人が持っていて、どんな人生にするかもその人が決めることができる…
運営しているクリエイター

#自然農

*さぁ、種採りしましょうか。

私の種採りバイブル、「岩崎さんちの種子採り家庭菜園」 今は残念ながら、販売されていないようである。 野菜にまつわるエッセイや、種採り方法、 栽培歴などが載っており、 初心者だった頃の私はこの本を読んで 種採りの意欲を沸かせたものである。 種採り、と言っても野菜を放ったらかしにしていたら 種ができるというわけでもなく、 ちゃんと種を採る時期というものがあって、 横着な私はよく失敗をする。 適期に採れなかった種は、 鞘が弾けて中の種が飛んでしまっていたり、 雨に当たってカビ

*慣行農業とオーガニックの融合=地産地消!?

淡路島に移り住んですぐに、じいちゃんの畑を一緒に耕し始めた。 じいちゃんの畑はゴミでいっぱいだった。 畝の上には絨毯や毛布、土の中からは電池に時計、ホッカイロ、 ビン、缶、袋に入ったままの化学肥料。 なんでも出てきた。 燃やせるものは全て燃やしていた。 燃やせないものは埋めていた。 じいちゃんは大正元年生まれの人だから、土に還る物しかない時代を生きてきた。 だから、なんでも土に埋めておけば消えてなくなると思っていたらしい。 プラスチックなどの土に還らない物など分別することは

*お米作り珍道中

淡路島に移住するまで、 お米を美味しいと全く思わず、ほとんど食べていなかった私が、 なぜお米を作る事になったのだろうか。 自給自足をしたいとは思っていたので、お米も機会があれば作ってみようと考えていたが、 移住して2年目にその機会はやってきた。 その時97才だったじいちゃんが、 「お前、米作らんか」と言ったのだ。 「うん、作る」と即答した。 叔母からは 「辞めておきなさい、しんどいだけだ、買った方が安いから」と止められた。 その言葉は無視することにし、じいちゃんが作れと言っ

*問題のようにみえるもの

淡路島で自然農をするようになってから、畑では様々な問題が起こった。 自然農を初めて2年目、耕さない畑の土はカチカチになった。 苗を移植するのにスコップが入らず、耕さない自然農で大丈夫なのか?と不安になった。 けれど、翌年頃からカチカチだった土がだんだんと軟らかくなり、 今では畑全体がフカフカの土になっている。 13年たった今でも畑を耕したことはない。 同じく2年目、10年ほど放置していた田んぼで米を作ることになり、草を全て排除し田植えした。 すると、その田んぼには芝がび

*おばぁと仏教

おばぁが92歳で死んだ時、なんでこんなに早死にしたんだと納得がいかなかった。 「なんで、死んだのか?」と私は悶々と考えていた。 葬式が済んで、次はだいたい49日の法事をするのが一般的な流れだが、 淡路島では49日より35日の法事の方が大切で、親戚一同集まり法事が行われる。 35日とは、死んだ人が閻魔様の所へ行く日で、 そこでおばぁは生前の善行、悪行を裁かれる。 そこで、集まった子孫達は、裁かれるおばぁのために追善供養というものをする。 追善供養とはなんだ?初めて聞いた

*米から与えられるもの

お米が自給できるようになってから、1年分で余るものだから、 田んぼ作業がお休みの期間に米糀を仕込み始めた。 米糀を仕込んでおけば、味醂を仕込んだり、 味噌を仕込んだり、濁酒を仕込んだり、 甘酒、柚子味噌、米飴、塩こうじと気が向いたものを仕込んでいける。 お米さえあれば、ご飯としてだけでなく、様々な調味料から甘味まで、 日常の食卓に必要な物に変化してくれる。 米粒だけでなく、糠で漬物を漬けたり、藁で藁かごや草鞋を編んだ。 とぎ汁も、植木の肥料に留まらず、洗濯や台

*食べだすけの島、春の豊かな食材

春、畑の大根やニンジン、アブラナ科の野菜達は花を咲かせるために塔立ちし始め、保存していた芋類も食べつくし、 夏野菜が成り始めるまで畑で採れる野菜は少なくなる。 春の野菜と言えばアスパラがにょきにょき出始め、スナップエンドウや実エンドウがちらほらでき始め、あとは菜の花食べ放題!状態になる。 しかし種類は少なく、そればかりでは飽きてくる。 夏野菜が成り始める6月頃まで、何を食べようかといつも考えるのだが、しかし意外と困ったことがない。 ここ淡路島は食が豊かな島で、4月になると

*日本の時間 四季・二十四節季・七十二候

じぃちゃんばぁちゃんが亡くなった時、この村の風景が変わったなぁと感じた。 1世紀近くの間、この村で生き、風景に溶け込んでいた人がいなくなり、 代わりに新しい命が生まれ、生きていく。 こうやって時代が変わり、価値観が変わり、 景色が変わっていくんだ、と初めて感じた。 と、同時に時間とは生命の事なんだと気付いた。 時間なんて、人間が作った観念だと思っていたが、 そうではなく、生命の営みそのものが時間なのだ。 お米は5月頃に種を蒔き、芽を出して成長し、 8月に花を咲かせて子供で

*昔の日本人は凄かった!玄米よりも白米よりも、分づき米!?

私の祖父は大正元年生まれの人で、祖母は大正5年生まれ。 そして私は介護の仕事についていたこともあり、明治・大正生まれの人たちをたくさん見てきた。 その人たちは現代人に比べてとても小さな身体なのに、 明らかに私たち昭和・平成生まれの人間とは桁違いの体力の持ち主で、すさまじい精神力も持っていた。 祖父は97歳で入院したとき骨密度を検査したら、なんと日本人20代男性の平均骨密度を上回っていた。 そら、何度こけても骨折しないはずだ、と驚きながら納得したものだ。 明治・大正・昭和初