泥棒が詐欺師の日記を見た物語
『盗んだのは罪悪感』
静かな夜。
月明かりだけが泥棒の唯一の仲間だった。
彼は影から影へと移動し、まるで夜の生き物のように音もなく家々を巡っていた。
彼の動きは猫のようにしなやかで、目的ははっきりしていた。
金品、貴重品、それが彼の収穫だ。
しかし、この夜は何かが違った。
彼はいつものように窓を開け、暗闇に身を委ねたが、心の奥底で何かがざわめいていた。
それは、これまでの彼の人生に対する疑問かもしれないし、未来への不安かもしれない。彼はその感覚を振り払うように、さらに深く家の中へと進んだ。
そして、彼が見つけたのは金品ではなく、机の上に置かれた一冊の日記だった。その日記は、まるで彼を呼び寄せるかのように、静かに彼を待っていた。
4月13日
私は詐欺師だ。
これは、私が選んだ道であり、私の生計を立てる手段だ。
私は人を騙すことに長けており、その行為に罪悪感を感じたことはない。
ほとんどの詐欺師とはそういうものだ。
罪悪感とは苦しいもの。そんなものを持ち続けて詐欺師なんてできない。
詐欺の芸術は、まるでカードゲームのようなものだ。
手札を読み、次の一手を予測し、常に一枚上を行く。
それは戦略であり、計算されたリスクの取り方だ。
詐欺は挑戦として捉えている。
しかし、これは詐欺に限ったことであって、決して罪悪感というもの自体が私にないわけではない。
日常生活の中で、小さなことに罪悪感を覚えることもある。
例えば、私は行列に並んでいるとする。
自分で売り切れになってしまった時、後の人に悪いなと罪悪感を感じる。
不思議に思うだろうが、詐欺とこれとは別問題なのだ。
それに私にも感情がある。
最近、友人が亡くなった。
彼の死には深く悲しんでいる。
しかし、私は詐欺師であり、人を騙すことに罪悪感はない。
だが、ある事実を知ることになった。
友人が死んだ理由。
それは、私の詐欺によるものだった。
彼は私の詐欺の犠牲者の一人であり、その結果、彼は自ら命を絶ったのだ。この事実を知った時、私はわからなくなった。
私はどのような感情を抱くべきか。
罪悪感はないが、後ろめたさはある。
いや、それは罪悪感なのだろうか?
私は自分の行動を振り返り、自問自答を続けている。
私の詐欺が直接的な原因であるとは思いたくないが、事実は変えられない。
私は今、何を感じているのか?
罪悪感、後悔、悲しみ、混乱。
これらの感情が私の中で渦巻いている。
もしかして私は悪いのか?
泥棒は呆然している。
ゆっくり日記を閉じて、元の場所に戻した。
そして泥棒は、何も取らずに出ていった。
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