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好きなひらがな

寒い日の朝。公園のベンチに座り、二人は缶コーヒーを飲んでいる。そんな〇と▲のある日の会話。

〇「寒いねー」

▲「寒いねー」

体を丸めて▲は両手で缶コーヒーをすすった。

▲「この寒さ、何とかならないもんかねー」

〇「あのさー」

▲「何?」

〇「好きなひらがな何?」

▲「え?」

〇「『え』ね」

▲「いや、違う違う違う」

〇「べただね」

▲「だから違うから。好きなひらがなが『え』じゃないよ。今のは疑問の『え』だから。ていうか『え』てべたなんだ」

〇「べただよ」

▲「よくわかんないわ。で、別に『え』好きじゃないからね」

〇「じゃあどのひらがなが好きなの?」

▲「そもそもねーよ」

少しイラついた。

〇「50文字もあったら好きなひらがなひとつくらいあるでしょ?」

気を取り直して▲は答えた。

▲「いや、ないよ。ひらがなに好きとか嫌いないよ」

〇「好き嫌いないの?」

▲「ないよ」

〇「大人だね」

▲「食べ物みたいに言わないで」

〇「ほんとにないの?」

▲「好きとか嫌いとかないよ」

〇「あるって」

▲「お前が決めつけるな」

〇「ちょっといい?50音思い浮かべてみ?頭の中に50音。浮かんだ?いろんなフォルムがあるでしょ?ひとつ取ってみようか。『ぬ』を取ってみようか。どうですか?何かこう、丸まっていて、あ、最後もひょいと丸まるねー。どう?可愛いでしょ?」

目を閉じながら聞いていた▲の顔も少しほころんだ。

▲「まー確かにね。でも、そんなん言ったら『ね』だって一緒じゃねーか。こう丸まって、最後ひょいと丸まるじゃねーか」

〇「じゃあ『ね』『ぬ』同じくらい可愛い?」

▲「いや、そう言われると同じではないよ。音の響きで、多少『ぬ』の方が好きかな」

〇「あ、そうなんだ。響きの好みは人それぞれ出てくるよね。お前は『ね』より『ぬ』の方が好きなんだ。あれ?ちょっと待って。今お前、ひらがなに優劣つけてない?」

▲は驚いた。慌てふためいた。

〇「いや、全然いいんだよ。そういうことなんだよ。人には好きなひらがなが存在するんだよ。じゃあ頭に50音思い浮かべて。何が一番好きよ」

▲は缶コーヒーを置いて目を閉じて考えた。

▲「『も』かな?」

〇「『も』?つうだね」

「つう」という言葉に嬉しさを隠しきれなかった。

▲「つうなの?おれつうなの?」

〇「もしかしてやってた?」

▲「何をかわかんねーけどやってた!」

〇「やっぱり?なかなか『も』なんて出てこないよ。『た』みたいな顔してるのに」

▲「『た』みたいな顔してるの?おれ『た』みたいな顔してるの?」

〇「『へ』みたいな臭い出して」

▲「『へ』みたいな臭い出してるの?おれ『へ』みたいな臭いだしてるの?」

〇「じゃあ、『も』はテンション上がっちゃう?」

▲「それはすごいテンション上がる」

〇「じゃあじゃあ。桃ってどう?」

▲「あー、『も』2個もある♡」

〇「すもももももももものうち」

▲「あー、『も』の大群♡♡」

〇「もももの鬼太郎」

▲「キャー♡もう無理無理無理ー♡それゲゲゲだし♡無理無理無理ー♡」

〇「暖かくなったでしょ?」

我に返り、▲は缶コーヒーをすすった。

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