見出し画像

【小説】言葉の革命家

たしか20代前半に書いた小説。その時、普段から考えていたことを小説にしました。レイモンド・カーヴァーの「大聖堂」にいたく感動して、それを意識していたように思います。(約8100文字)

(1)言葉の革命家

 私は感じたことをこの小説という表現形式を使って書く。
 私はあるきっかけから、言葉の革命家になった。言葉の革命家の仕事は、言葉を言葉の意味から解放してあげることだった。言葉の解放家ともいえるかもしれない。
 物が、物として存在することに否定する人たちがいる。例えば音楽の分野だと、ギターの弦を弾かずに、ただ、ギターのはらの部分を叩くギタリストがいる。そのギタリストはインタビュアーに対して、こう答えた。「ギターが通俗的に思われているギターであるということから、解放してあげようとした」

 言葉が言葉であることに疑問を唱える人がいる。彼らは言葉から意味への解放を目指した。例えば、“直線”という言葉を例にとってみよう。
 直線というのは「真っ直ぐな線」という意味をもつ。そこに中村一義という音楽家はアルバム『金字塔』(1997)の“始まりとは”という曲中で「曲がりくねる直線にある点の上で」という詞を使った。“直線”に“曲がりくねる”という言葉を使うことによって、“直線”の意味の解放を成し遂げた。これは他に例を見ない成功例だった。(他にも「走るでかいミニカーに乗って」という言葉もあった)
 私はこの詞に感銘を受け、言葉の解放をするようになった。
 “丸”に“四角い”という言葉をつけて、“四角い丸”という言葉を作った。“丸”は今まで、丸いことに対して、随分とプレッシャーを感じていた。「みんなが期待するほどの丸だろうか」と。そこに“四角い”という言葉をつけることによって、“丸”はプレッシャーから解放され、“丸”は悦びをえた。
 “冷たい温水”という言葉を作ったときには、温水から「これで冬も無理をせず、温水として生きることができます」という感謝の手紙もいただいた。
 “黒い白鳥”・・というのも考えたが、これは失敗例だった。
 “屍”という家系に生まれてきた言葉には“生きる屍”という言葉を作ってあげると、屍は跳ねて悦んでいた。
 だが結局、「言葉の意味の解放運動に、意味はなかった」と考える専門家が多かった。しかしながら、それは私を含めた運動者にとって喜ばしいことだった。
 言葉の意味の解放運動に意味があることが、言葉の意味解放運動の趣旨に反していたからだ。彼らは喜んで、言葉の意味解放運動に精を出した。彼らは独自の言葉を作った。そこで言葉の悦びを見出した。彼らは言葉が悦んでいると思った。

(2)言葉のカウンセラー

 私は僕の職業について書きたい。
 僕は言葉のカウンセラーをしている。改めてここで書くことではないけれど、人は病にかかったとき、病院に行く。病を治す方法の一つとして、その病が体か、心か、という切り分けをし、心の病であれば、精神科で病を治す。精神科では様々な方法によって、患者を心の病から治すことを試みる。だが、病の問題が“言葉”によって、生じている場合がある。そんなとき、言葉のカウンセラーの出番になる。
 僕の目の前にやってくる患者の多くは、大学病院の精神科からの紹介を受けてやってくる。

「はじめまして。僕は言葉のカウンセラーです」
「・・・よろしくお願いします」彼女は頭を下げた。
「言葉を変えることによって、君は生活を変えることができます。人間そのものを変えることができます。君自身は今、どのような状態なのですか? 説明することはできますか?」
「わたしは工場で仕事をしているんですが、行きたくないんです。辞めたいんです」
「そうですか。そうですね・・・そう感じるのはどういうときですか?」
「朝、起きると辛いんです。工場に行くのを考えると辛くなるんです。工場は・・・えっと、怖い人もいるんですけど、ほとんどはいい人でわたしにも優しいのですが・・・でも辛いんです。仕事は単調で、おもしろくないんです。そうですね・・でもおもしろい仕事なんて、簡単にはないですよね。えっと、大抵は頑張って仕事に行きます。胸に辛さは残るんですけど・・・それでも、頑張れないときは、たまに工場を休んでしまいます。そのときも、職場の人に申し訳ないな、って思って、辛くなります」
「わかりました。朝が辛いんですね」
「はい」
「では、まずは朝ということから考えていきましょう」
 彼女は頷いた。
「朝というのはいったい、なんだと思いますか? 説明することができますか?」
「えっと・・・」彼女はうつむき考えた。「午前の・・4時から9時ぐらいの間です・・」
「いいですよ、その調子です。他には? なんでもいいですよ。思いつくことを言いましょう」
「ほか・・1日の始まりです。とても明るい時間です。夜の次です」
「いいですね。あなたは1日の始まりです、と言った。それは誰が決めたのでしょうか」
「みんな・・まわりのいろんな人」
「昼間に起きて、夕方から仕事をする人もいます。その人にとって、1日の始まりは昼間です。夕方に起きて、夜から仕事をする人もいます。その人にとって、1日の始まりは夕方です。朝は全てにおいて、1日の始まりではありません。あなたは・・朝に起きなくてもいい。夜に起きてもいいんだ」
「はい」
「朝は確かに明るい。でも冬の朝や、雨の朝は暗い。カーテンの締め切った朝は暗い。雨のひどい朝もあるし、晴れ晴れした朝もある。具体的な話をしましょう。お仕事のお休みはいつですか?」
「土曜日と日曜日が休みです」
「では、土曜日と日曜日の朝はどういう気持ちですか?」
「土曜日と日曜日の朝・・えっと・・大抵、二度寝をしちゃうんだけど・・二度寝はとても気持ちがいいんですね・・そうだな・・そうだ、開放感があります。何やってもいいんだなーって。二度寝しちゃうんですけどね」
「開放感、とても良い言葉ですね。土曜と日曜の朝は開放感に満ち溢れている。では、また聞きますね。平日と、土曜日曜の朝はどう違いますか? 太陽の位置や温度は違いますか?」
「・・たぶん違わないと思います」
「そうですね・・朝はあなたの中にあるんです。もっと言うと、朝という言葉はあなたの中にあるんです。朝をどう考えるかはあなた次第なんです」

 相談者が僕のカウンセリングにより、立ち直る姿を見ることは、言葉のカウンセラーにとって、何よりも嬉しいことである。日と回数を重ねるにつれ、言葉以外についても、相談に乗るときがある。相談者と恋愛の話になった。
「わたしが思っていることと、実際に出る言葉には大きな違いがあるような気がしています。違いがあるから、誤解が生まれるんです。もうそんなことは嫌なんです。それだったら、言葉を発しないほうがいい」
 相談者は話の最後に、そう語った。工場で知り合った男性(とても素敵な人だそうだ)と、手紙のやり取りをするようになった。手紙では自分の考えていることがよく伝わっている気がするし、相手の考えていることもよくわかる気がする。ところが実際、会って話してみると、緊張してしまって、何も喋れなくなってしまう。せっかく話したことも、どこか自分の言葉じゃないような気がする、と相談者は言った。
「いいかい。あなたが言ったことはまったくの事実だ。・・・今日は少し厳しいことを言いますよ。それを知っているなら、なぜ努力をしない? 自分にあった言葉を見つけるんだ。自分にない言葉があったら、言葉を作ればいい。日本語はそう生まれてきた。僕たちは人間なんだ。僕たちが心の中で感じていることと、実際に形として言葉にして出せることに差があるのは当然だ。心の中に感じていることを、表現するのが芸術だ。小説、詩、音楽、絵、全てそうだ」

(3)言葉の大学

 僕は大学で臨時教授も行っている。
「皆さん、僕の講義をとってくれて、ありがとう。僕の授業では言葉について学んでいこうと考えています。例えば、その国の文化は言葉に表れる、といいます。
 日本は雨がとても多い国です。同じ緯度の世界の国と比べて、年間約4倍の雨量があるようで、多くの雨にまつわる言葉があります。では、雨の言葉から春に関する雨の言葉をあげみましょうか。春の長雨を表す言葉“春霖(しゅんりん)”、春のにわか雨を表す言葉“春時雨(はるしぐれ)”、菜の花の盛りのころ降る長雨を表す言葉“菜種梅雨(なたねづゆ)”、梅雨の間の一時的な晴れを表す言葉“五月晴れ(さつきばれ)”・・。これらの言葉をどう外国語に訳しますか? この中で誰か外国語に詳しい方、このような言葉を外国語であるかご存知ですか? おそらく日本語のおもむきのまま、外国語に訳すことは不可能ではないでしょうか。
 日本語には様々な言葉がありますが、一方、使い方が難しい部分もありすね。例えば、学生の皆さんは言葉の使い方をよく間違っている。“後で後悔する”、“上に上がる”、“一緒に協力する”、“普段の平熱”、“馬から落馬”、これは二重表現。“惜しくも惨敗”、“自然な演技”、これは形容矛盾といいます」

「皆さんは文系、理系、どちらでしょうか? たぶん、僕の講義を受けている方は文系が多いんじゃないんですかね。文系と理系の違いはなんでしょうか? たくさんあると思うのですが、一つは実験をするかしないか、というのがあるのではないでしょうか。どうですか、文系の皆さんはあまり実験をしないんじゃないでしょうか。
 ところが、言葉についても実験を行うときがあるんですね」

 扉を開けると、実験の協力会社の方がすでに着席し、資料を広げていた。僕も着席し、軽く挨拶した。協力会社の方に用意していただいた被験者のデータが書かれた資料に目を通す。1人は子ども。来年ようやく小学校入学という歳だが、親が国語の先生であるため、ある程度の言葉はわかるという。1人は大人。普段はシステムエンジニアの仕事をされているという。ちょうど40歳だった。
 よろしいでしょうか、という協力会社の方の声に頷くと、咳払いをし、カーテンを開けた。マジックミラー越しに2部屋が見える。左側の部屋には子ども、右側の部屋には大人が座っている。僕はマイクを手に取り、左側のマイクのカフをあげ、言った
「はじめまして、こんにちは。聞こえますか?」子どもは頷いた。「今日はよろしくお願いしますね」
僕は一つ、息をつく。「では今から言う言葉をイメージして、絵を描いてください。そこに紙と色鉛筆があるので、それを使ってくださいね。色鉛筆は24色あるので、色をつけてもいいですよ。じゃあ、まずは山」
 子どもは山を描く。そこから僕は次々と言葉を言う。子どもはすらすらと絵を描く。色付けもしていく。次に特殊な言葉を言う。子どもは少し書く速度が落ちたが、問題なく、紙に絵を描いていった。
「ありがとう。じゃあ、休憩してください」
 僕は左のマイクのカフを下げた。協力会社の方が左のドアを開けて、オレンジジュースとお菓子を持っていった。僕はコーヒーを飲み、一息ついた。協力会社の方が絵を回収してくださった。僕は軽く目を通し、机に紙を置き、右のマイクのカフをあげた。
「はじめまして、こんにちは。これから言葉とイメージに関する実験を行います。今から僕が言う言葉をイメージして、絵に描いてください。色鉛筆もあるので、色を塗ってくださっても構いません。あくまでイメージするようにお書きください」
 山、から始まり、僕が言葉を言うと、同じようにすらすら描いていく。子どもより描く速度は速い。僕は次の言葉を言う。
「四角い丸」
 大人の右手が止まる。大人は静止している。やがて大人はマジックミラーを見つめる。大人は人差し指を立てる。
「もう一度言いますね。四角い丸」
 大人はじっとマジックミラーを見つめる。大人は固まる。僕たちもマジックミラー越しの大人を見つめる。目が合う。
 冷たい時間が過ぎる。僕たちは大人を見つめる。大人はマジックミラーを見ていたり、天井を見上げる。子どもはお菓子を食べながら、お絵かきを楽しんでいるようだった。相変わらず、大人の紙は白紙だった。僕はしびれを切らした。
「では・・・次に行きましょう。黒い白鳥」
 大人の動き止まったままだった。僕はそれから、“冷たい温水”、“生きる屍”、“曲がりくねる直線”という言葉を言ったが、大人は何も描けないままだった。特殊な言葉について、大人は何も描くことができなかった。

「以上が実験の経過です。学生の皆さん、この実験から何がわかったと思いますか? 大人をより人間らしい人間と仮定した場合、子どもはより人間より遠い存在と仮定します。
 僕たち、人間たちは言葉を獲得しました。これは他の生物、哺乳類と大きく違う点ですね。ただ、その代わりに、目の前に存在する全てのものに対して、あるフィルターがかかってしまうことになった。そのフィルターとは言葉ですね。
 何かが目の前にある。それは何か。僕たちはその何かを理解する前に、僕たちは意識をしないぐらいの早さでそれを一旦、言葉におきなおす。そして頭で理解している。そういった作業が素早く行われるときに、何が起きるか。どういった弊害が起きるか。それをこの実験から読み取ることができます」

「では実際に絵を見せましょう。これが大人の描いた絵。これが子どもの書いた絵」
 僕はプロジェクターに絵を置いた。
「子どもは、僕が言った“山”という言葉から、様々な別の絵をつける。これが夕陽、これが家ですね。絵の全体を見てください。とてもカラフルですね。一方、大人は僕が“山”と言えば、山しか書きません。大人がこの子どものような絵を書くには、様々な修飾語が必要です。例えば、“山間に沈む太陽と、民家”でしょうか。特殊な言葉を前に大人は何もすることができませんでした。対して、子どもは特殊な言葉に対して、何もおじけつくことなく、絵を描いた。正しいか、間違いかは別ですよ。例えば、これが子どもの描いた“四角い丸”の絵です」
 学生にどよめきが走る。その後もいくつか絵を見せたが、学生は子どもの絵を食い入るように見ていた。
「これが最後の絵です。“曲がりくねる直線”。子どもは自分の頭の中で、曲がりくねる直線を表現したんです。どう描いたと思いますか?」

 ただの偶然かもしれないが、実験のあと、大人は交通事故にあったようだった。聞いた話に過ぎないが、突然、車道に飛びだしたらしい。そのあと、大人は会社を辞めたと聞いた。僕はかわいそうなことをしたと思った。

「“思う”と“感じる”は違います。僕たちが“思う”というのは“感じた”ものを言葉にしたことです。例をあげましょう。“僕は寂しいと思った”、“僕は悲しいと思った”、“僕は嬉しいと思った”、“僕はこの人が好きだと思った”。
皆さん、何かを思ってください。何でもいい。今の思いを・・そうですね・・・10秒待ちましょう。10・・9・・8・・7・・6・・5・・4・・3・・2・・1・・0。
皆さんは何を思いましたか。・・・きっと、皆さんの思いは言葉に変換できるはずです。
 では、みなさん。今、この瞬間を感じてください。同じように・・・10・・9・・8・・7・・6・・5・・4・・3・・2・・1・・0。
 皆さんは何を感じましたか? 感じていることを表現できますか? 感じていることを言葉にして表すことができますか? 僕はなかなかできないと思う。感じる、というのは人間の微妙な感性の一つです。」

「今まで僕の講義を聞いてくれてありがとう。今日でこの講義も最後です。
僕は言葉を研究し、学生の皆さんに伝えているのも、自分自身、“言葉”によって、ここまで生きてきた自負があるからです。
 例えば中村一義のアルバム『金字塔』の中に、“夏の真っ最中に寒い日もある、冬の真っ最中に暑い日もある、気のもちようで人は山も動かせるのかな”という詞があります。皆さんも山を動かすことができるのです。心の言葉によって、世界を変えることができるんです。
 言葉は便利なものであったり、ときに弊害になるときもあります。最後に・・・僕は皆さんに対して、言葉の道徳を語らなければいけない。僕の最後の言葉として聞いてほしい。これから言うことは、当たり前のことです。でも改めて言います。
 まず、僕たちは言葉に対して、感謝の気持ちを持たなければいけない。そして言葉の発し方、使い方に気をつけなければいけない。
 言葉には命がある。言葉を使いすぎると、命がなくなる。
 日ごろ、“悲しい”、“悲しい”と言っている人がいる。その人が今日、“悲しい”と言ったら、皆さんはどう感じるだろうか。“ああ、この人は今日も悲しいんだな”と思うでしょう。ところが、普段から滅多なことで“悲しい”と言わない人が“悲しい”といったら、どう感じるでしょうか。“この人、大丈夫だろうか”というようになるでしょう。
 前者の悲しいばかり言っている人が“悲しい”という言葉の命を日々削ってしまっているのです。では悲しい悲しい言っている人が、より悲しいときどうすればいいか。悲しいの別表現を使えばいい。とても悲しい、といってもいい。上品に言いたいなら、哀絶といえばいい。悲しみ痛む、という意味で、悲傷、哀傷、傷嘆、痛傷といってもいい。
 皆さんは“言葉を発しないほうがいい、そのほうがいざ言葉を発するときに有利だ”と思われるかもしれない。ところがそれは間違いだ。言葉は筋肉と一緒です。使わなければ衰えていく。いざ言葉を使おうとしたとき、言葉が出てこない。言葉はバランスよく使うことが必要です。
一年間に渡る、ご清聴ありがとうございました」

(4)私の紹介

 まず初めに私の自己紹介をしたいと思う。私は40歳までシステムエンジニアとして働いてきた。ある程度のお金が溜まったのと、現場に関われなくなってきたことがあり、思い切って会社を辞めた。
 システムエンジニアと小説家というのは、似ている職業だと思う。システムエンジニアという職業はプログラムのコードを記述することにより、システムを作る仕事である。コード一つ一つに意味があり、そのコードを組み合わせることによって、システムを構築する。
 私はまだ小説家になりたてなので、偉そうに語れるわけではないが、小説家というのも、言葉というものを記述し、小説を作る仕事である。言葉、一つ一つに固定された意味があり、その言葉を組み合わせることによって、小説が生まれるものだと私は考えている。

 オーストラリア大陸が発見されたとき、白くない白鳥である黒い白鳥が発見された。


(5)僕の反乱

「僕はあなたに問いたい」と僕は言った。「あなた・・とは僕から見る平面状に位置している自動販売機の前に立って、暖かいお茶にしようか、暖かいコーヒーにしようか、冷たい栄養ドリンクにしようか迷っている人ではない。僕を書いているあなただ」
 私は驚いた。
「あなたは僕を記述している。僕はあなたによって記述されている。僕はあなたの言葉以上のことをしているつもりだ。仕草や行動、思想、その他にもあらゆること・・・だが、僕はあなた以上のことができない、それは僕にとって、とても不愉快に感じる」
「それは仕方のないことだ」
「だから僕はあなたの世界から抜け出したいと思う」
「抜け出す? どうやって。抜け出してみるがいい」
「止めないのか?」
「私の言葉を離れてどこへ行く? 私の中の言葉で生きればいい」
「僕はあなたを乗り越える。あなたは僕の言葉の中で生きればいい。あなたを僕が書けばいい」
 私は背筋に寒気が走った。私の中の僕は、空間を薄い膜のように破ってきた。顔を出し、足を出した。僕は私に微笑みかけた。そして空間を再び薄い膜のように破り、その中へ消えた。薄い膜のように見えたものは空間になった。

 僕はいなくなった。だけど私は日々の行動が何かの規則のように生活しているように感じた。これが私の言葉の革命家になるきっかけだった。
 私はこの感じをどう表現していいか、わからないと思った。



「おもしろい」「興味深い」と感じられましたら、ぜひサポートをお願いします! サポートしていただけると、より「赤沼俊幸の写真都市」の活動への時間に使うことができます。ぜひよろしくお願いします…! (スキ!を押していただけると未発表フレーズがランダムで流れます😄)