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【小説】豚足夫婦

昔、小説家の町田康が大好きで、それに完全に影響された小説を書きました。何か誤字などありましたら、ご指摘ください。すべてが誤字みたいな小説ですが…(約1万文字)

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 金が無くて暇なもんだから、ヒゲモジャのおじちゃんから東スポを三十円で買って、三行広告の求人欄に目がいったんだよね、そこに書いてある、『即金モデル十八~三十歳迄♂五万~・ガッシリ・筋肉質・体育会系・爽やか・美系・坊主・各特優遇 当日撮影可。ブシツパラダイス』ってのに電話してみようと思ったわけで、俺はポケットから携帯を取り出して電話してみたんだな。「あの、すんまそん。東スポ見て写真撮影の求人広告見たんですけど」「ああ、あれね。おたくは大学の時、何部?」「軟式野球部ですけど」「ポジションは?」「キャッチャーやってました」「ほんとに! それはいい。おたく、採用だよ」「はあ」「今日、これから暇? 今から来れる?」「はい」「じゃあ、今日の十七時に新宿の総合H第二撮影所ってとこに来てくんない?」「わかりました」「サンキュー、じゃあ坊主にしてきてくんない?」「坊主ですか? はあ、仕事のためなら」「おたく、いいねえ。じゃあ、今日十七時に」といって電話は切れたわけなんだよ。


 これで晴れて就職決まりだ、わあい。ラッキーなことに今いる場所が代々木だから新宿まで歩いて行けるんだな。今何時かな、と俺はポケットから懐中時計を取り出したんだ、え? なんで俺がこんなしゃれた懐中時計持ってるかって? 拾ったんだよ、代々木の公園で。これが傑作でさ、懐中時計のコンパクトっていうの、それを開けたときに時計と向かい合うようにして丸く切り取った写真が入ってるわけよ、『高志―FOREVER LOVE―ヒトミ』って。もう幸せいっぱいに写ってるわけ。普段なら、こんなもん憎たらしくて、写真にマジックでチョビヒゲ書いてやって終わりだけど、この二人がとんでもない不細工なわけ。え? 当たり前だよ、俺よりも不細工だよ。男の高志は豚にほうれんそうだけ喰わせたみたいな顔でさ、女のヒトミは牛の足みたいな肉づきの顔しててさ、略して、豚足夫婦って呼んでるわけ。で、俺は豚足が食べたくなったわけよ。


 俺は代々木駅から新宿駅まで歩いてると、「豚々食堂」っていうのが目に入ったから、そこに入ったんだよ。「すんまそん、豚足ひとつ」「申しわけないのですが、うちは豚足やってないんです」「なんだよ、看板に『豚々』って書いてあるじゃねえかよ」「うちはトンカツがメインなんです」「しょうがねえな、じゃあトンカツくれ」「特上、上、並とありますが」「じゃあ、特上」俺は財布を見たわけよ、そしたら、財布の野郎、どこで勝手に金を使ったんだか八円しか入ってねえでやんの。八円だぜ、信じられねえよな。「お待ち。特上トンカツです」うまそうなトンカツがテーブルに乗っかったわけ、俺は喰らいついたわけよ。うめえ、うめえ。お前にも喰わせてやりたかったなあ、まあ、俺は二度とその店には行けないんだけどよ。喰い終わってから、もしかしたら、八円で足りるかな、って思ってメニュー表見たんだけど、やっぱ八円で足りないのさ。東京の物価は高いなあ、とか思いつつ、喰い終わったわけね。


 俺は店を出ることにして携帯を取り出して「豚々食堂」の番号を押したの、ピポパポピピピパピポピポポポ、トゥルルルルルルル。目の前で煙草吹かしてる店主が出たのね、「毎度ありがとうございます、豚々食堂です」そこで俺は席を立ってドアへ向かったわけ。「あの、お客さん? あの、もしもし? こちら豚々食堂ですが・・・」店主は混乱してるからさ、店を飛び出して新宿方向に猛ダッシュしたのよ、まあ食後の軽い運動だよ、カロリー多いの食べたからさ、なんてたって俺モデルだから太っちゃいけないの、あはは。


 喰い終わったら髪切りに行かなくちゃらんのよ、なんてたって坊主にしろ、っていう依頼だからね。英語に直したらオファーね。オファー。いい響きだなぁ。ねぇ、もう一回言っていい? オファー。オッファー。オッハ―。ごめんごめん、冗談だよ、怒った? 怒ってない? そりゃ良かった。オファーね。あんたはオファー受けたことある? ない? やっぱそうだろうね。そういう顔してるもん。なんてたって俺だから、オファー。何? 早く仕事の話しろって? まあまあ、そんでもって俺は新宿方向に歩いてたらボロい理髪店見つけたわけよ。


 店名はなんていったっけ? 確かバーバー馬場だったかな。店の形がジャイアント馬場の形しててさ、自動ドアが赤パンツなわけ。何階建てだって? そりゃお前、赤パンツが地上だからよ、地下二十六階、地上八十九階建てぐらいじゃないかな。え? ごめん嘘ついてた。冗談オファー。でも、確か、バーバー馬場だったと思うよ。きっと店長が「馬場」っていう名前なんだろうね。まあ、結局の所、一階建てなんだけどさ、古過ぎてもうあのクルクルが傾いてるんだよ、ビザの斜塔よりも。何、ビザの斜塔知らないって? お前は教養ないんだから、仕方ねえな。そうだなあ、お前がこの前、車で突っ込んだ信号ぐらい傾いてたんだ。何、良くわかったって。だろ? 俺って表現力豊かだろ? そういえばさあ、あの信号どうしたの? えっ? そのままにしてあるの? まずいだろ、斜めの信号なんて見たことないぜ。


 バーバー馬場に入ると若いあんちゃんが風船相手にヒゲを剃ってるわけよ。「坊主にしてくれや」「あの、今店主は昼休みでメシ食べに行ってるんですが」「あんちゃんでいいよ」「いや僕まで見習いですから」「坊主なんだからさ、あんたでいいよ」「いいのかな、じゃあ」あんちゃんはそう言って、右足のスリッパを外に向って投げたのよ、「明日は晴れですね、じゃあ、お願いします」何が、じゃあ、なのかわからないけどさ、いちおう交渉は成立したから、「ものわかりいいね。但し、ただでね」「ただですか? いいのかな」あんちゃんそう言って、左足のスリッパを外に向って投げたのよ。「明後日も晴れですね、じゃあやりましょう」


 あんちゃんはハサミをチョキチョキして、後ろで腕をグルングルン回してんの。「なんでそんなに張りきってんの?」「いやあ、初めのお客さんですから」「それは喜んでいいの?」「もちろんです」さっきとは人が変わったのようになってんの、もう目つきなんかギロってなってんだよ。なんちゅうかさ、その使命感ってやつがあるんだろうね。もちろん俺もモデルオファーだからさ、坊主にしなきゃいけないっていう使命感あるわけ。髪切られてる間、俺は暇だからさ、棚にあった東スポを広げて、もう一回あの求人広告を確認したの。『即金モデル十八~三十歳迄♂五万~・ガッシリ・筋肉質・体育会系・爽やか・美系・坊主・各特優遇 当日撮影可。ブシツパラダイス』頑張らなきゃなって思ったんだよ、でさ、ふと気づいたんだよ。撮影所の名前はなんだったかなって、あの新宿の、ええと、そうだ、総合H第二撮影所だ。それでさあ、とりあえず名前を思い出したのはいいんだけど、総合H第二撮影所の場所がわかないんだよ。「あんちゃんさ、新宿に詳しい?」「新宿ですか? 近いからよく行きますけど、詳しいかどうかはちょっと」「総合H第二撮影所って知ってる?」「え?」「総合H第二撮影所」「すいません、わかりません」「そう」「お客さん、坊主できました、どうでしょうか?」ってあんちゃんは言って、後ろにも鏡をかざしたんだな。あっぱれなぐらい坊主になってんだよ「おっ、ありがとな」「こちらこそ。こんどは一人前になったとき、また来てくださいね」「ははは。これ、ほんの気持ち」って言って俺はポケットからお金を取り出して、お兄ちゃんの手にねじこんだわけ。「いえ、見習いですから。もらえませんよ。明日も明後日も晴れですし」「そんなこと言わずにさ、まあ受け取ってくれや。タバコでも買いな」「じゃあ、ありがたく頂いておきます」あんちゃんは感動してたと思うよ、俺があげた金額も確認しないで、ずっと手をグーにして握ってんの。いやあ、われながらいいことしたね。いい話だろ? ただって言っときながら、去り際にお金あげたの。感動だろ? え? いくらあげたって? 決まってるじゃねえかよ、八円だよ。


 頭もサッパリして、肩で風を切って新宿まで歩いていったのよ。新宿ほど怪しい街はないね、怪しい奴ばっかだもん、そう、俺よりも、ってうるせえよ。いろんな奴が俺に話しかけてくるわけ、「ねえねえ、そこのキムタク、チョコ、安いよ」「チョコ? てめえ、何人だ?」「中国」「嘘つけ、お前は中東だろ?」「ノーノーノー。中国留学生。日本の第三次産業におけるサービス化のバリアフリーにおけるユニクロ戦略についての論文を書きに来ました」「アホ。俺がそんな手に引っかかると思うか? バリアフリーっていうのは、Vガンダムの超シールド防御無効装置のことだ」


 しょっちゅう見上げて、総合H第二撮影所を探してたんだけど、なかなか見つからなかったんだよ。今思えば、新宿とはいえ広いからさ、見つかるほうが凄いんだけどよ。歩いてたら週刊誌売ってるヒゲモジャのおじちゃんがいたから聞いてみたの。「すんまそん、総合H第二撮影所って何処にあるか知ってますかね?」「ああれ? あんた、朝、代々木で東スポ買わなかった?」「買いましたけど。おじちゃん、朝の?」「そうだよ。いやあ、こんな所で会えるなんて感激だよ。なんでこんな所にいるの?」「ええ、仕事です」「仕事? 新宿で? そりゃ、難儀だ」「難儀? どうしてですか?」「新宿の仕事なんて汚ない仕事ばっかよ。おじちゃん、これでも四十年間、新宿見てるからさ」「はあ。ところで総合H第二撮影所って何処にあるんすかね?」「え?」「総合H第二撮影所」「ああ。そこの角を右に曲がって、突き当たりを左に曲がって三十メートルぐらい行ったらあるよ。もしかして写真撮影が仕事?」「ええ、そうです。モデルのオファーが来ましたから」「オファー? そう、頑張ってね。難儀だね」


 おじちゃんの言う通りに進んだら総合H第二撮影所があったあった。えらくボロいんだな。撮影所っていうか、蔵だよ、ありゃ。懐中時計を見たら、相変わらず豚足夫婦は幸せそうなんだけど、時間はまだ三時なんだよ、早く五時になんねえかな、って思ってるとさ、後ろからデカ黒いカメラを肩に背負ってるサングラスかけた男が立っているの。「坊主の君、おたくだよ。何か用?」俺は一瞬面食らったんだけど、慌てて、「おはようございます。朝、あの、東スポの募集欄を見て、電話したものですが。ええ、早いですよね。あの、張りきり過ぎちゃって、こんなに早く来てしまいまして、すいません」「ああ、いいよ。俺もさ、さっき仕事終わってここに来たんだよ。じゃあパッパッと撮るか。俺、柏田っていうから、よろしく」


 『こうい室』って書いてる所に案内されたんだけどさ、臭くてたまんねえの。玉ねぎとコップに三日ぐらい入れっぱなし牛乳とカレーヌードルの容器を洗わずに捨てた時のゴミ箱をごちゃまぜにしたような匂い。たまんねえから早く着替えちゃおうってロッカーを開けると「MARINARS 51」って書いたユニフォームがあったから、なぜにマリナーズ、しかもつづりこれであってたっけ? とか思いながらユニフォーム着て、ちょっと柔軟体操したの。俺、これでも野球少年のはしくれだぜ。でさ、イチローみたいに素振りしてみたの。久しぶりに野球したいなあ、とか、これ終わったらバッティングセンター行こう、とか思いながらスタジオに行ったわけ。そしたら案の定、柏田さんがいたんだけど、仁王立ちして首かしげてるの。「どうしたんですか?」「あのさ、ロッカーにプロテクター入ってなかった?」「いや、ちょっと確かめてませんが」「確かさあ、入ってるはずだから、それ着てくんない?」


 再び『こうい室』に戻ってロッカーの奥見たらプロテクターあったから、プロテクター着けて、のっしのっしスタジオに行ったんだな。「さすがだね、似合うね」「そうですか、あんがとございます」「じゃあ早速、撮影しようか」「あの、他にスタッフとかはいないんですか?」「いないいない。そんなもんしたら採算取れないの。この世界、っちゅうか、こういう趣味の人のマーケットってやっぱ少ないわけ。まあそれでもさあ、年々、部数は増えてるらしいんだけどさ。こんなこと言うと、上の人に怒られると思うんだけど、おたく、いい人そうだから言うけど、俺、こういう趣味ないの。しょうがなくやってるわけ、大学入ったときは夢で溢れてたんだけどさ。おたくはやっぱこういう趣味なの?」俺はなんのことか全然わからず、ええまあ、とか言っておいたんだよ。


 「あの赤いテープ貼ってる所に座って、キャッチングスタイルしてくんない?」俺は久しぶりにキャッチングスタイルしたら、昔のこと思い出すのよ、八月のくそ暑い日、俺はキャッチャーしてたんだな。九回裏、相手の攻撃でツーアウト三塁、カウントはノースリー。ここまで零点に抑えてたわけ、俺の好リードで。まあ、こっちのチームも零点だったんだけどさ、いわゆる相手のサヨナラのチャンスよ。で、バッターは代打の一年生。俺はバッターの心理を読んだ、ノースリーで一球ボールになれば、ツーアウト一塁三塁になるんだけど、ただのファーボールじゃ、この一年生スタメン取れない。だから、バッター側からしたら、ここは打ってサヨナラして、監督にアピールしたい、ノースリーから俺はまずフォークを要求した、案の定バッターは空振り。これでワンスリー。また俺はフォークを要求した、空振り、これでツースリー。またまた俺はフォークを要求した、こういう時、フォークばっかり投げさせるのはなかなかできない、俺だから出来たわけ。俺は頭脳的リードだからね。ピッチャーはフォークを投げる、バッターは空振り、俺は内心、やったと叫んで、ミットを上げる、ミットは軽い、よくミットを見たら、ミットにボールが入ってない、ボールは後ろに転がってる、バッター一塁に走る、俺は慌ててボールを拾って、一塁に投げる、一塁はセーフ、そうしたら三塁にいたランナーは猛然と走ってきて、ホームベースを踏んだのよ、この瞬間、サヨナラね。つまり、振り逃げでサヨナラ。三振でサヨナラ。監督がのっぺらぼうに見えたね。それが俺の強制引退試合。


 パシャパシャパシャ。「いいよ、いいよ悦に入ってきてる。じゃあ、上脱いでくんない?」「は?」「服だよ、服」俺はプロテクターをまずはずして、脱いだの。「これでいいですか?」「いやいや、脱いでから、裸になってプロテクターつけてみようか」そうして俺は、上半身裸にプロテクターっていう奇妙な格好になったわけ。「いいね、いいね、素敵だよ。いい体型だ、きっとモテるよ」「はあ」「じゃあ次は、こう、ストレートを取ったときのバシッという感じをだしてみようか」上半身裸にプロテクターで腕を伸ばしてバシッとしたら、パシャ。ショートバウンドを取る設定で前かがみになったら、パシャ。そんなキャッチャーのポーズで三十分取り続けたら、「じゃあ次は下も脱いでみようか」恥ずかしいです、とは言えないから、もう意を決して脱いだわけ、そうして俺は全裸にプロテクター。「いちおう、ここの出版社は正当な出版社だから、あそこは見せちゃいけないのよ、だから、そこをどう隠すのが、エロチズムというか、腕の見せ所なわけ、まあ、言ってみりゃ、美学ね。美学。芸術って言ってもいいよ」「はあ」「じゃあまずは、そこにキャッチングスタイルして、ミットで隠してみようか」パシャ。「それじゃあ次はミットを前に突き出して、右手でサインを出しながら隠して」「どういう手の形がいいんですか?」「そうだね、フォークのサイン」「チームによって違うので、どういう手の形にすれば・・・」「じゃあ、佐々木のフォークのサイン」もうこの人は野球に関して何言ってもわかんないからさ、適当にチョキ出したの。「いいね、いいね、でもどこか真剣身が伝わってこないんだよ。一番印象に残った試合の時の気持ちに切り替えてさ、やってみてよ」俺はとことん沈んだ気持ちになったんだけど、まあ仕事だからしょうがねえ、と思って、あの時の暑い日を思い出しながら、チョキってやったの、全裸にプロテクターの姿で。「よし、伝わってくるよ。もう読者はおたくの虜だよ。じゃあ次はミットで玉をキャッチしてみようか」「球ですか? 球はどこにあるんですか?」「違う、違う。玉だよ」「玉?」「ほら、そこにぶらさがってるでしょ」「はあ。これでいいですか」パシャ。「いいね、いいね、名キャッチャーだよ。古田もびっくりだね。俺もびっくり。たぶん読者もびっくり。最高だよ、最高潮の絶頂。じゃあ、もう一枚取らせて」パシャ。「撮影終了。いやあ、良かったよ。おたくを選んで良かった。じゃあ、こうい室で着替えてきて」


 着替え終わって、スタジオに戻ったら柏田さんがカメラ片付けてたんだ。「今日はありがとうございました、また何か仕事あったらよろしくござんす」「いやあ、いい写真撮れたよ。お互い生活かかってる同士、必死だもんね。はっはっはっ。あっそう、これ、給料ね。坊主の分もプラスしといたから。いい坊主だったよ、きっと読者も気に入ると思うよ、ファンレターとか届いたりして、そしたらおたくに届けるから、また写真取ろうね。はっはっはっ」そういって柏田さんはポケットから封筒を取り出して、渡してくれたの。俺は封筒を後ろに回して、手で札の枚数、数えたら、八万円入ってたんだよ。八万円だよ、これで三ヶ月は食ってけるなあとか、思ってたら、「おたく、今、何時かわかる? 時計持ち歩かないからさ」俺はポケットから懐中時計を取り出したら、「懐中時計なんか持ってるの? しゃれてるね」「ええ、まあ。四時です、ちょうど四時」「まだそんな時間か」「これ見てくださいよ、傑作なんですよ、男は豚みたいな顔で、女は牛の足みたいな顔してて、豚足夫婦って呼んでるんですよ」俺は懐中時計を柏田さんに手渡したの。そうしたら柏田さんはじっと懐中時計見ながら、「これ、俺だよ」「え?」「俺、高志っていうの。柏田高志」と言って柏田さんはサングラスを取ったの。俺は、血の気が引いたよ。「ええ、その、つまり、豚足というのはですね、おいしいですよね、豚足。つまり、見た目は一見気持ち悪い、いやいや、食欲を誘う。それで食べてみたら、なおうまい。味の素人にはわからない、味の玄人しかわからない、豪華絢爛で風光明媚な味なわけでして、つまりは」必死のフォローもむなしく、柏田さんは懐中時計に見入ってたのよ。「懐かしいな、これさ、結婚式の引き出物で出してさ、まあ、皆からは好評だったんだけど」んなわけねえだろ、とは言えない黙って頷くと、「好評すぎて、自分の分残さず配っちゃたもんだから自分の分残ってないのよ」「はあ、残念ですね」「腹減ってない? どっか食いに行こうか」


 俺は助手席に乗ったんだよ。「どこがいい?」「どこでもいいですけど」「いい写真取れたからさ、好きなもん言いなよ」「じゃあ、肉で」「オーケー」もう気まずいよ、俺が普段、嘲笑してたやつが隣にいるわけだからさ、柏田さんも目がうつろなの、なんていうかな、思い出にひたってる感じ。


 「ここ、どう? トンカツうまいんだよ、豚々食堂っていうんだけど」「えっ、いやあ、俺、豚アレルギーなんです」「豚アレルギー?」「ええ、あの」「何?」「うちの実家は農家なんですよ。家で豚を飼っていましてね、俺は豚に運動させる役だったんです。やっぱ、ただ、黙々と太らせるだけじゃ豚ってうまくないんですよね。適度に運動させないと。そこで俺は町中に“豚が来るぞ”って触れ回りましてね、そしたら町中はパニックになって家に閉じこもるわけです。俺は意気揚々と豚を引き連れて町中を騒いでたんです。だけど、俺の友達の羊田っていう奴が“僕は豚なんて怖くない”っていう顔で外にいたんですよ。そしたら、俺の豚は、羊田を食いましてね」「豚って人を食うの?」「食います、彼らは凶暴なんです。ぶひぶひ言いながら頭から食うんです。その姿見たときは幼心にショックでしてね。それ以来、豚アレルギーになりました」「そう、そんな過去があったんだね。じゃあ豚はやめにするか」


 結局、焼肉屋行って、俺は羊と牛しか食べませんって言って、むしゃむしゃ焼肉食ってると、そのうち、柏田さんもお酒飲み始めるたのよ。「柏田さん、まずいでしょ。車の運転どうするんですか?」「ああ、俺? 俺は酔拳だから」「いやあ、やっぱりいけませんよ。ここは中国じゃないんですよ、日本の法律じゃ酔拳認められていませんから。俺が運転しましょうか?」「じゃあ、お願い。ねえねえ、そこのおねえちゃん、焼酎一つ」柏田さんが一杯一杯飲むたび、柏田さんが段々、涙もろくなっていくのわかるの。「ねえねえ、さっきの懐中時計見せてくれない?」「どうぞ」柏田さん、泣いてるの、そのうち、ヒトミさんほうにチュッチュッって接吻し始めたんだよ。「あの、お聞きづらいことですが、奥さんはどうしたんですか?」「逃げられたんだ」「そうですか」「会いたいな」「会いに行けばどうですか?」「だってさ、会ってくれるか分からないしよ、遠いんだよ」「俺、ついて行きましょうか?」「ほんとかい! おたく、いい人だね」「でも、俺、お金ないんで柏田さんが旅費とか出してくれれば嬉しいんですけど」「出すよ。死ぬ前にもう一度ヒトミの顔見てえな」「それで、奥さんは何処にいるんですか?」「稚内」「は?」「稚内。看護婦してるんだよね」俺は失敗したと思った。ただ飯にありつける上に旅行できると思ったのに、なんで最北端に行かなきゃならないんだよ、第一もう十月だよ。稚内で凍死するのだけはごめんだよ。柏田さんは焼酎に自分の顔を映しながら真剣に考えてるの、いい顔だなって思ったね、男だよ、一度愛した人を思ってる顔、だけどさ、突然突拍子もないこと言いやがった。「これから行こうか」「は?」「今から車飛ばして、羽田行こうぜ。おたく、どうせ予定ないだろう」「はあ」「おねえちゃん、ここ勘定して」


 久しぶりだったんだよ、ヴォンヴォンって。免停以来。横で柏田さんは寝てるからさ、「全国自動車道」っていう地図見ながら羽田までの道のり探してたの、柏田さんは懐中時計固く握りしめてるんだよ。俺はアクセルを踏んで、車道に出たんだな。やっぱね、車は気持ちいい、もう一回免許取ろうかな。


 その時だよ、交差点の向こう側にビザの斜塔ぐらい傾いてる信号があったんだよ、だから俺はビザの斜塔ぐらい首を捻って、その信号を見たら、赤なわけ。急いでブレーキをかけたけどもう遅かった。柏田さんの車は左側から来た車にぶつかっちゃったの。


 ところが運命っつうのは恐ろしいものでさ、意識取り戻して目覚ましたら、太った看護婦が俺の看病してくれたんだけど、よく見たらどっかで見たことある顔なわけ。誰かなあ、ってズキズキ痛む頭で考えたら、急に俺、笑いだしちゃったの。笑いが止まんねえの。「大丈夫ですか?」って言う声も朦朧としてくるぐらい腹痛くして笑ったんだよ、それでまた意識失ったの。
目覚ますと、また太ってる看護婦がいたんだけど、胸のネームプレート見たら「看護婦・柏田ヒトミ」って書いてあるんだよ。「看護婦さん、ヒトミさんですか?」「はあ」「あの、昔、結婚してませんですか?」「ええ、昔。今もまあ、離婚はしてませんが」「結婚してた人は高志って言いますよね」「ええ。それが何か?」「俺と一緒に運ばれてきた人見てませんか」「なんだか、いたわね。でも、傷の重さが違うから私の担当じゃありませんのよ。ここは軽症で済んだ人で、十階から重症の患者さんですの」「俺と一緒に事故った人、柏田高志っていうんです」「え?」「柏田高志、会ってきてはどうですか」看護婦さんは階段のほうに走っていったのよ。俺も走っていったの。


 「ヒトミ?」「ええ。大丈夫ですか?」「あの、痩せた看護婦さんが言うには、一週間ぐらい静養してれば大丈夫だって。なんでここにいるんだ?」「あれから稚内に帰りましたの、だけど、もう都会の生活に慣れましたら稚内いれませんでしたのだから、また出て来たの。親切な人がここの病院紹介してくれて。勝手に飛びだしちゃって、ごめんね。私が悪かったわ」「いやいや。ヒトミとの生活を犠牲にして、写真に夢中になった俺が悪いよ」
今では豚と足。夫婦っていう関係じゃないけどさ、仲良くやってるよ。また、やり直すんじゃないかな。わざわざお見舞いに来てくれて、お前にはわるいんだけどさ、車の修理費と入院費、払ってくれよな。理由はわかるよな?

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