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生きてるってすばらしい


こんにちは、あかんこです!

生きてるって素晴らしい

ありきたりな言葉かもしれないけれど
本当に生きてるって素晴らしいこと。

生きてるのは当たり前じゃないって思う出来事があったから、私はそう思うんです

このnoteでも何回か書いてるので
ご存知の方も多いかもしれないのですが、、

4ヶ月前に母さん
1ヶ月半前にばあちゃん
亡くなりました

母さんは55歳でした

ばあちゃんは
91歳の誕生日を迎えてお祝いした4日後に
眠りながら亡くなりました

母さんが亡くなったとき
眠っているような顔でした
でも、どこか寂しそうな顔でした
いつまでもその顔が忘れられません

白い箱に入れられた
母さんの顔を触ると冷たくて、
何度話しかけても返事をしてくれなかった

本当に人は死ぬんだってこと。

これを理解した出来事でした

あれからもう4ヶ月たったけど
あの日のことは毎日のように思い出します

たまに母さんが夢に出てきます
何の夢かは起きたらよく覚えてないけど
夢の中で会えてるだけで嬉しい

死んだら、会えなくなること
話せなくなること
ご飯を食べられなくなること
旅行にもドライブにもいけなくなること

すごく、つらいです。

目の前にいた人が突然いなくなる

こんなに辛いことはありません

会える希望があるとしたら
私が死んだときかなぁって。

長生きするとしてあと60年くらい
長いなぁ〜

おばあちゃんが亡くなったときも
泣きました

でもばあちゃんは生きてるときに
「いつ死んでも後悔はない」

この言葉をよく言っていました

「ばあちゃんが死んでも泣くんじゃないよ」
「ばあちゃんは、あ○○のことが大好きよ」

会うたびにたくさん言葉をかけてくれました

ばあちゃんに最後に会ったのは
91歳の誕生日💐

私と姉は、ばあちゃんのいる施設に
誕生日のお祝いのために行きました

もう介護レベルも上がってて
前まではほとんど寝たままの状態で
意識が朦朧としながら話していたのに、

私たちが行ったときは
車椅子に座ったばあちゃんがいました

意識もいつもよりちゃんとしてるし
前より元気に見えました

お花や手紙をあげると、
おばあちゃんは静かに泣いていました

コロナで面会がガラス越しにしかできず
ばあちゃんに触れることもできなかった

でも、声は届いてた。私の顔も見えてた。

最後にばあちゃんが言った言葉が

今でも忘れられない。

さようなら

私はこの言葉が最後になるとは思わなかった

前より元気そうに見えたし
私の会話にもスムーズに答えてた

だから、わたしは

ばーちゃん、また会いにくるね

と言った。

でももう、その「また」は、なかった

ばーちゃんが亡くなったと聞いたとき
1番にその言葉を思い出した

そして、あの言葉は

本当のさようならだった

ってこと。

私の憶測でしかないけど
きっとばあちゃんは、自分が死ぬってことを感じていたのかもしれない。もう命が尽きることを察していたのかもしれない。

だから、さようならと。


私は、母さんとばあちゃんの死で

生きてることは当たり前じゃない

ということに気づかされました

今日一緒にごはんを食べた家族
遊びに行った友だち
LINEしてる友だち

全部、全部あたりまえじゃない!

その出来事があった日から
「後悔しない人生」を生きることにした

母さんとばーちゃんの分まで
強く、生きると決めた

困っている人がいたら助けたいという
気持ちが強くなった

会いたくなった人には会いたいというし
大好きな人には大好きと言うようになった

言葉、行動、一つひとつ
大事に生きようと決めた

小さな当たり前にも感謝できるようになった。

人は失ってからきづく。

もう何を失っても後悔しないように
日々の行動や言葉には、気をつけたい

あの日から
生きてることはすばらしいと知った。

母さん、ばあちゃん、ありがとうね。

また会う日まで、精一杯いきるよ!
見守っていてね。


最後まで読んでくれて
ありがとうございます(
)


それではまたっ!


あかんこ

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