2020_鶴瓶師匠_芸文

鶴瓶師匠の落語を聞いて 頭の中に浮かんだ声は

1月25日(土)、西宮の兵庫芸術文化センター中ホールの『笑福亭鶴瓶落語会』に行ってまいりました。

鶴瓶師匠は毎年、お正月をハワイで過ごされます。番組収録はお休みされますが、落語家としてのスイッチは入ったまま。新たなネタに取り組んだり、いままでにかけたネタをブラッシュアップされたりと、お稽古に余念がありません。

そんなネタの中から、厳選した一本をまずかけてみるのが、この西宮の会なのです。落語家・笑福亭鶴瓶にとって、そのシーズンの開幕戦にあたる会でもあります。思えば2015年、わたしが書かせていただいた『山名屋浦里』が日の目を見たのも、この西宮の芸文の会でした。

今回、土日の2公演でともにトリを飾ったのが『子は鎹(かすがい)』。初演ではありません。10年ぶりの再演です。

『子は鎹』、またの名を『子別れ』といいます。普通に演じられるバージョンは、妻子と別れた飲んだくれの男が、酒を断ち大工として真面目に働く中、息子と再会。うなぎをご馳走しているところへ別れた嫁がやってきて、元のサヤにおさまるという、かなり省略していますが詳しくは実際の高座をご覧ください。

ところが。

鶴瓶師匠が演じるのは別名『女の子別れ』と言われるスタイルでして、亭主の悪行にがまんできなくなった女が家を飛び出し、後に息子と再会する…というもの。もともとは三遊亭圓朝師匠がこしらえ、六代目笑福亭松鶴師匠が演じておられた形です。

鶴瓶師匠も

「うちのおやっさん (松鶴師匠) のは絶品やったからね」

とおっしゃっていました。

ですが、松鶴師匠からは落語のお稽古をしてもらえなかった鶴瓶師匠。もちろん、この『子は鎹』も師匠仕込みではありません。

誰がお稽古をつけたのかというと、2005年、72歳で亡くなられた桂文紅師匠その人であります。上方落語四天王とほぼ同時代を生きた方で、細身で背が高く、渋いおじいさん、という印象がありました。

(余談ですが…むかし、大阪の厚生年金ホールで立川談志師匠の独演会があったとき、何十年かぶりで楽屋をふらりと訪れた文紅師匠に、談志御家元が「…ことによると文紅じゃねぇか?」と言うておられたのを覚えています)

文紅師匠については、うちの師匠の著書『上方らくごの舞台裏』(ちくま新書)の「鬼あざみ」の項でも描かれていますので、ご興味ある方はそちらもぜひご参照くだされかし。

鶴瓶師が文紅師匠を頼ったわけはいくつかありまして、まずひとつには、昔の高座をよくご存じだったこと。そしてもうひとつは、お弟子さんがいなかったこと。

「おれみたいなんが急に稽古つけてください、いうて行って、そこにお弟子さんがいてはったら、なんやその人に悪いやん」

という気づかいは、さすが鶴瓶師匠です。

文紅師匠ご自身は『子は鎹』を持ちネタにされていなかったのですが、六代目の高座を覚えておられたので、事細かくダメ出しをされたそうです。

文紅師匠のお稽古をクリアし、何度も演じられた後、しばらく熟成していた鶴瓶版の『子は鎹』。すばらしい出来でした。

ゆったりと、でもメリハリのあるリズム、ひとことひとこと丁寧に演じられる台詞。物語にじっくりとひたらせてもらいました。また、夫婦の仲立ちをする近所の女性が、情にあつくて世話焼きで、でも少しちゃっかりしていてチャーミングで、鶴瓶師匠のニンにぴったりなんですよね。

そしてこの『子は鎹』を聞きながら頭に浮かんできたのが…とここまで書いてタイトルの話に入ろうと思ったのですが、長くなりましたので続きはまた後日。






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