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「あれっ、避けられてる?」と思ったときに 『なめくじ長屋捕物さわぎ』都筑道夫

担当の方に許可をいただきまして、これまで雑誌などに書いた原稿をアップします。
今回は、PHP『くらしラク~る♪』2019年10月号 リレーエッセイ
「わたしのそばにある、暮らしの本」

リード文に
『今も手元に置き、生活に彩りを与えてくれる本について、リレー形式でつづっていただきます』
とあるように「暮らしの本」しばりなのですが、わたしが書く意味も考えて演芸の本もこっそり混ぜ込みました。

二回目は
『なめくじ長屋捕物さわぎ』 都筑道夫著 光文社時代小説文庫 



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あれっ、と思うポイントがまずありました。
しばらくすると「もしかして」ということが。
もしかして、わたしこの人から避けられてる? と思ったのです。

それまでとはちがう当たり障りのないメールの返事、挨拶以上に広がらない会話、話しかけると笑顔で応対されるもののやんわりと拒絶されるお誘いなどなど…はっきり「嫌い」と言われたわけではないのですが、それらしき空気は充満しています。


長く友人を続けていると、結婚や出産、病気のこと仕事のこと、お互いにいろんな環境の変化が訪れます。ずっと変わらないままではいられません。
友人ならば、良い変化に対して「おめでとう」「良かったね」と言えるかというと必ずしもそうではなく、友人だからこそ、なんだかモヤモヤした気持ちになってしまうことがあります。


恥ずかしい話ですがわたし自身、仕事がうまくいかなかった時期には活躍している友人・知人がまぶしくて、自分と比べるのが辛くて、お誘いがあっても「都合が悪くて…」と逃げたり、その人の活動から目をそむけたこともありました。

逆にいま、宣伝の一環として「こんな番組に出ました」「こんな台本を書きました」と自分の活動をSNSにアップすることがあるのですが、それを見て「自慢してるっぽい」とモヤモヤしている人だっているかもしれません。


ともあれ実際問題、友人から避けられていることは気になります。
わたしがなにか怒らせるようなことをしたのか。
それとも、わたしの存在自体にモヤモヤしているだけなのか。

グレーな膠着状態にこちらのほうがモヤモヤしてしまい
「なにか怒ってる?」
と書いたメールをすんでのところで送らずにいられたのは、この本のおかげなのです。

都筑道夫の『ちみどろ砂絵』。
「なめくじ長屋捕物さわぎ」のシリーズ第一作で、江戸時代を舞台にした連作の短編推理小説です。

都筑先生、実は江戸に住んでらしたことがあるんじゃなかろうか?と思わせるような豊富な知識と、本格的なミステリとが同居した奇跡のようなシリーズで、優れた読み手としても知られる作家の北村薫さんは同シリーズ『くらやみ砂絵』の解説で
「都筑道夫は(中略)ミステリを愛する多くの人にとって神様でした」
と激賞。

同じく作家の開高健さんは
「なぜ彼がこれ(なめくじ長屋シリーズ)で直木賞をもらえなかったのか、わたしにはわからんねぇ」
と憤慨したのだとか。


シリーズを通しての探偵役は、大道で砂絵を描いてその日を暮らす、風采のあがらない浪人のセンセー。同じく貧民窟のような長屋に暮らす大道芸人たちをアシスタントにして、本職の岡っ引きも音を上げるような怪事件をみごとな推理で解決してのけます。

ですが、センセーが事件を解決するのはお金のため。安っぽい義侠心や正義感、ましてや江戸の町の安全を守るため、なんて気持ちはさらさらありません。あくまでも生活のためなのです。

なので、親しい岡ッ引きから推理を頼まれると、アルバイト代をせしめて事件解決につとめます。
ですが、報告するのは同心・岡っ引きの顔が立つような表面的な解決で、その裏では、お上にも報告しなかったさらなる事件の真相を加害者側に告げ、口止め料を巻き上げるのです。正直、褒められたもんじゃありません。

なのになぜか後味は悪くない。痛快ですらあるのです。
加害者が罪を犯してでも知られたくなかったこと、たとえば当時ご法度の「隠れキリシタンであること」や「縁談にさしさわる家族の秘密」など、馬鹿正直に報告したらあっという間に世間に広まってしまうことを、なめくじ長屋のメンバーがうまく隠してくれているから。
このシリーズを読んでいると
「真実を暴いてなんになる。知らないほうが幸せなことだってあるんだぜ」と、センセーの声が聞こえてくるような気がするのです。


 友人にメールを送らなかったのも、結局真実は分からないんだろうなと思ったから。
白黒ハッキリつけようとしても「そんなことないよ~」と笑って誤魔化されるか、大ゲンカして二度と会わなくなるかの二択なら、グレーのまま、時を経てまた友人に戻れるかもしれない可能性に賭けようと、そう思ったのです。



あ、本文には『ちみどろ砂絵』と書いたのに、カバー写真が『くらやみ砂絵』になってました。すみません。
この光文社版『くらやみ砂絵』の解説が北村薫さん。
都筑先生のすごさを教えていただきました。

このシリーズも何度読み返したかわかりません。
なのですが、シリーズ最後の2話は未読のまま。
読んでしまったらすべてが終わってしまうのがこわくて、センセーと長屋のみんなの世界はずっと続いていてほしくて、読めないのです。



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