「沈没家族」家族の形とは??


今朝、面白い記事を見つけたので、シェアさせていただきます!

私と同い年の現在26歳の加納土さんが卒業制作で取られた映画が、

PFFアワード2017(第39回)審査員特別賞
第20回京都国際学生映画祭観客賞/実写部門グランプリ

を、取られているとのこと!!

シングルマザーの加納土さんのお母さんが、土さんを一人では育てられない、助けが欲しいとビラを配って、地元の若者たちと一緒に共同子育てをしたときの話を、映画化されたものです。

東京の中野で26年前にあった話ですが、東京でもこんなに暖かくほっこりする話があるんだなあと、日本は素敵だなあと思いました!


以下、あらすじです。

90年代半ば。様々な若者がひとつの“家”に寄り合い子育てに奮闘した実践的共同保育「沈没家族」
母はどうしてたったひとりでこの“家族”を始めたんだろう? 20年の時を経て、おぼろげだった僕の“家族のカタチ”が見え始めた

 
時はバブル経済崩壊後の1995年。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が起き、世相がドンドンと暗くなる中、東京は東中野の街の片隅で、とある試みが始まりました。シングルマザーの加納穂子が始めた共同保育「沈没家族」です。ここに集まった保育人たちが一緒に子どもたちの面倒を見ながら共同生活をしていました。そこで育ったボク(監督:加納土)が「ウチってちょっとヘンじゃないかな?」とようやく気づいたのは9歳の頃。やがて大学生になってあらためて思ったのです。
ボクが育った「沈没家族」とは何だったのか、“家族”とは何なのかと。当時の保育人たちや一緒に生活した人たちを辿りつつ、母の想い、そして不在だった父の姿を追いかけて、“家族のカタチ”を見つめなおしてゆきます。



ちょうど私が生まれた1995年は、母もよくいってますが、阪神淡路大震災もあって、地下鉄サリン事件もあって、大変だったと。

そんな中、赤の他人が協力し合って、子どもを育てるってすごいことですよね。


シングルマザーの貧困は日本でも社会問題になっていますが、解決するための国の支援がすぐに追いつくようにも見えず。。

当人が助けを求めることも大事かもしれないですね!

シングルマザーの方々にも支援ができるようなビジネスをしていきたいです!


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