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異性と付き合っているけどバイセクシャルだし、それを公言する権利もあるしヘテロセクシャルでもないのをわかって!

私はバイセクシャルだ。バイセクシャルとは恋愛対象が異性もしくは同性で、どちらにも魅力を感じ、愛したいと思うセクシャリティである。私にとってセクシャリティは誕生日みたいなもので、セクシャリティがこうだからこう問うようなことは特段に思っていない。女の子も男の子も変わらず愛情を持ちたくなるし、魅力的だと思った人とは距離を縮めたい。そういうのって、話の話題にはなるかもしれないけど、私は今の自分の生き方になんの疑問も感じていないのでカミングアウトは必要ないと思って、インスタのプロフィールに書いたりFBでだらだら書いたりしたことはなかった。

しかし、ここ何年かでセクシャリティを置き去りにして人と話すことに疑問を感じるようになった。女性と話していると、女としての生き方とか男性との関係性を聞かれることが多いし、逆に男性と話していると、「女性として見られているよな…女性代表としての意見を求められているよな…」ということが多い。大人になるとこういう機会が増えてきて、気になり始めたのかなあと客観的に思うが、実際のところ、生物的な見た目や理由で社会の女性像を押し付けられるのが心から嫌になった。

しかし、この前、あるミーティングでバイセクシャルを公言したあと、そのメンバーから「セクシャリティのことについて話してくれてありがとう」というお礼のメッセージが届いたのだ。驚いた。私はそこで確かに自分のセクシャリティのことを話したが、話したのはそれだけではなかったし、なぜセクシャリティの話だけに感謝されているのかわからない。何か気がつくことがあったのかな…?今度あった時にでも聞いてみることにしよう。

それから、私は今は異性のパートナーがいるのでヘテロセクシャルだと間違われやすい。確かに今はタイミングと相性がよく、愛している人がたまたま男性だったので男性付き合っているが、彼が仮に彼女であっても付き合っていたと思う。「異性と付き合っているのにバイセクシャルだっていう必要性あるの?」とか「異性と付き合っているのならヘテロセクシャルでしょ。」とかいう人もいるけど、私はバイセクシャルなので、公言する権利あるし、ヘテロセクシャルではない。

他のバイセクシャルの人の話を聞くことがないので、もっと聞いてみたいというのが率直な思いだ。でも、今の自分のバイセクシャルの感覚としては、自分の体は生理とかも含めて大好き。体を異性とも同性ともシェアしてもいいと思っている。Open Relationshipは自分には合わなかったな。1人の人に愛情を注ぐほうが私の人生にあっていると思う。すべてのバイセクシャルの人がこうじゃないと思う。どちらも好きだけど同性のほうが好き、異性のほうが好きという人もいるかもしれないし、Open Relationshipでも構わないみたいな人もいると思う。みんなそれぞれ違っていいと思う。違うからといって死なないし、それで参加できる社会が狭められるのだとしたら悲しい。自分たちを押し殺すのではなく、自分たちもいるのだよと声をあげて社会を内側から変えていかなければならない。

あと、最後に言いたいのは、価値観の押し付けはよくないよ、ということ。女性がもっと働ける社会に!という標語を掲げる企業団体個人は少なくないが、う〜ん?と思う。確かに、日本では女性の給与の方が男性よりも少なかったり、子育てや家庭の仕事は女性のものと思われているような節がある。だけど、その考え方自体を否定する気にはならない。女性の中にもそういう古き良き女性のあり方を目指している人もいるだろう。そういう価値観もあっていい。しかし、日本社会において問題なのは、古き良き女性である生き方と男性と同じように働いて地位を獲得していく生き方の選択肢の幅があまりにも違うということだ。社会全体で見て、古き良き女性を求める企業や団体が未だに多い。だから、世の中の流れが女性のエンパワーメントやフェミニズム的なムーブメントに引きずられてしまい、結局古い良き世界に生きている人も、女性も活躍する世界に生きていく人も生きづらい。やはり、フレキシビリティを持ってそれぞれの人々の生き方に寄り添っていく選択肢を提示できる社会がまだできがっていないのでいろいろな問題が表面化しているのだろう。どっちも素晴らしい考えだから先人たちはそれに習って社会を構築したのだと信じている。自分がどの考えに共感して、選んでいくか、ということだけだ。白と黒ではっきり分かれる世界なんて存在しない。だから、もっと「自由な選択ができる社会に!」に変わってほしい。

あ、私が変えるのかな。他力本願ではなく自力でやっていくのが私の道かもしれないな。


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