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ポケットモンスターと僕


僕が小学3年生の頃だ
ポケットモンスター赤・緑が発売した

初代だ

僕には3つ上の兄がいて
兄は緑、僕は赤を買った

いつも僕に選ぶ権利はなく
選ぶのは兄が先、僕が後だった

初めて博士にもらったポケモンは
ゼニガメだった

なんでゼニガメだったかは
もう忘れた

分厚いゲームボーイで
何時間も何日も遊んだ

初代の最強パーティーは
・カイリュー
・ギャラドス
・ミューツー
・サンダー
・カメックス
・フリーザー
何回やってもいつもこれだった

インターネットも使えない時代に
塾だったり習い事で
他の学校の友達と情報交換したりして
裏技を当たり前に共有していた
当時の情報伝達力もすごかった

裏技
レベル100にしたり
ミュウを出したり
けつばんを出したり

けつばんは捕まえると
絶対にバグって電源が落ちた

捕まえることはできなかった

小学4年生の頃に
ポケットモンスターのアニメが始まった

サトシは10歳で
僕も10歳になる年だった

毎週ビデオに録画して
繰り返し繰り返し見ていた

「ポリゴンショック」の回も
何度も見ちゃったけど大丈夫だった

ニュースになってから
その回のビデオは親に隠されたけど
僕はその場所を知っていた
見ることはなかったけど

その頃から
「テレビを見る時は部屋を明るくして見てね」
なんてテロップが冒頭につき始めた


初めて買ったCDは
「めざせポケモンマスター」

「ポケモン言えるかな?」
クラスの誰よりも早く覚えた

あの頃はポケモンに夢中だった
というか生活にポケモンがいた

高校の時まで
ルビーサファイアはやってたけど

いつからか大人になって
知らないポケモンが増えていた

ポケモンから離れていた

僕は絵描きになっていたし
上京していた

サトシはいつまでも10歳のまま
ピカチュウと旅をしていた

上京した時の初めての個展のタイトルを
「風呂なし、トイレ共同、四畳半、XY」にした

ちょうどポケモンの新作
「ポケットモンスターX・Y」
発売された時だったからだ

当時の僕は
風呂なし、トイレ共同、四畳半の
お湯も出ない、エアコンもない
糞ボロアパートに住んでいたから

次のポケモンが発売されるまでには
風呂もトイレもある、お湯も出る
エアコン付きの四畳半よりも広い家に
引っ越したいと思ってXYを付けた

当たり前かのようにポケモンは
発売されるものだと思っていたし

当たり前かのように僕も
活動を続けていたいと思っていた

3年後の「サン・ムーン」が発売した時
風呂もあるトイレもある8畳の家に
引っ越していた

\いぇい🤟/

それからもどんどん
知らないポケモンは増えていったが

久しぶりに
「ソード・シールド」を買ってやってみた

マジで知らないポケモンだらけだった
ポケモンが巨大化したり
知らない要素もたくさんあった

深夜にポケモンをしながら
友達と通話したりして時代を感じた


そんなこんなで2022年

サトシはもちろん10歳のまま

サトシは世界チャンピオンになっていた

サトシ、すげえよ
ピカチュウ、すげえよ

しっかりと結果を残していた

そして2023年
アニメのポケットモンスター
サトシとピカチュウの冒険は最終回を迎えた

サトシは世界チャンピオンになったけど
まだチャレンジャーだと言っていた

全てのポケモンと友達になるっつって
それがポケモンマスターなんだと

ポケモンマスターになった時
その時、そばにいてくれって
ピカチュウに言ってた

泣ける

そしてまた旅に出る

サトシ、かっこいいな

同い年だったサトシは10歳のまま
僕は35歳になっていた

今は36歳

今年で37歳だ

いつのまにかオジサンになっていた
(いつのまにかタイプワイルド!!)


僕は何をしてんだ

大丈夫か

大丈夫だ




ポケモンのアニメ(サトシ編)が終わってから
僕はポケモンGOにハマってる

日々、ポケモンをゲットしている

知らないポケモンたちが
知ってるポケモンになってきた

僕もポケモンマスターになりたい


そして

今もどこかで旅をしている
サトシに負けないように


頑張りたい
続けていきたい

絵を描いていきたい

歳をとっても

いつまでもチャレンジャーでいたい


月に1体ずつ買っているポケモンfitたち


おわり

LOVA🐴♡







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