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神様、私の前世は生贄でしたか?

この記事では、特に宗教の話とか神様の話を
するつもりはありません。


今の私の心の状況が、

どうも、「生贄」になりたいと思っているようなんです。

なので、自分の心の状況の整理のために、

この場をお借りして思いを綴っています。


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「どうかこれ以上悪いことが起こりませんように」


2024年元旦から、そんな願いを込めながら、
首を切っています。

(ネックカットというらしい。最近知りました。)


最初は昨年12月中旬頃、脳から聞こえてきました。

🧠「首を切れ」「首から血を出せ」と。


怖くて怖くて、なんで首なのか?と
自分に問いかけても、理由はわかりませんでした。


でもなかなか難しく、包丁でやっても
カミソリでやっても、血は出ませんでした。


そして、年を越した後に、

連続で災害、事故と続きました。


このことを機に、私は自分が血を出せなかったから災いが起きたんだと思うようになりました。


それからは、強く首に押し当てるようになり、
今は、毎日の量は違えど、
血が出せるようになりました。↓↓


なんだかよくわからないけど、

昔の人がやっていた「生贄」「人柱」のように、

災害や穢れといった自然の現象に対して

「私を犠牲にして、災いよ、静まってください」
「おねがいします」

という思考になるみたいなのです。


とても他人事な言い方ですが、

自分自身でも分かっていないのでこんな文章に
なってしまっています。


読みにくかったらすみません。


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世界各地、そして日本でも起こり得る
災害や戦争、犯罪など・・・


私は昔から、それらの社会情勢に敏感でした。


どうしてこんなことが起こってしまうのか

人間はなんて醜いのか


そうした人間、私自身も人間であることに

強く拒否的な思いと違和感を持っていました。


小学生の頃から、女子達のいざこざに巻き込まれ

喧嘩が起きれば聞き役、仲裁役に徹し、

さらには、友達が先輩から受けた性犯罪についても
相談に乗っていたりした。


人間への不信感を強くしていった。


人間社会は、加害と被害にまみれている。
加害と被害で回っている。


そんな考えでした。



大学の頃は刑法、少年法、刑事政策の分野を中心に
学びました。

少しでも加害者が減るように、
少しでも被害者が減るようにと、

加害者にも被害者にも関われる仕事、

詳しくは述べませんが、平たく言うと
国家公務員の中でも対人援助の仕事に就きました。


自分にとっては天職だと思いました。



しかし、そこでは自分の無力さに打ちひしがれる
毎日が待っていました。



私なんかがこんなクソみたいな社会や環境を
変えられるわけがないことは分かっている。


それでも、私と関わった人には、良い方向に向かって欲しいと願い、仕事に打ち込んだ。



でも、その仕事ができなくなった。


たぶん、燃え尽き症候群。
診断は、適応障害。



火が燃え尽きたあとに残る、
パサパサの炭のような状態。

今にも消え去るような。


仕事がしたいのに、できない。


会社に入りたいのに、入れない。


この仕事ができないなら、私はもうこの世界に
いたくない。いてはいけない。


だから、せめてもの願いで、「生贄」になりたい。


そんな感覚なのかなと、考えてみました。


ぐちゃぐちゃだけどね。

自分でも頭が回らなくなってきてるのが分かる。


おかしくなってるんだろうね。


でも、私にとっては
それが今必要なことなんだと思う。


そろそろ、家族にバレそう。

傷跡を絆創膏で隠して「火傷」と言い訳するには

あまりにも期間が長すぎるし、範囲が広すぎる。



まぁ、バレても、「やめろ」って言われるだけだろうね。



私は、生贄になりたいよ。

どうせ死ぬなら、人のために、社会のために

死にたいのだ。

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