私にとっての自傷行為の意味。
初期の、「やらされている」という感覚から
「やらなくてはいけない」という感覚に変わり、
今はその義務感から自傷を続けている。
主治医に切羽詰まったように伝えても
あまり取り扱ってくれなかった。だから
もう自傷をする自分を受け入れることにしている。
脳の指令だとしても、それを受け入れる。
私にとって、罰を受けている感覚だから、
やめてはいけないんだろう。
…
ただ、変わったことが一つある。
自傷しなくてはいけない場所が、首だけになった。
数日前まで感じていた自傷すべき箇所、
〈自傷リスト〉
①首を切る
②左手首を切り落とす
③首の後ろ(頸椎)をトンカチで打つ
これらから、②と③の義務感が薄まった。
理由はよくわからないが、
「さすがに自分1人の力ではできない」
という思いが強まったからだと思う。
左手首は、毎日のようにカミソリを当てていたので
切り取り線のように痕が残っている。
しかし、以前よりも、
「早く切り落とさなきゃ!!」という感覚はなく、
「さすがに切り落とせないな」という諦めの感情が
芽生えた。
うまく表現ができないが、左手首に関しては
自傷の義務感が薄まり、今は痕が残ってはいるものの、さらなる自傷はしていない。
また、首の後ろをトンカチで打つことに関しては、
流石に怖くなったので早めに心理師に相談した。
そのことにより、やらないで済んでいる、
という感覚に近いかもしれない。
とりあえず、これ以上増えるのはごめんだったので
減ったことは喜ばしいと思うことにする。
しかし、首だけは当初から変わらない。
12月中旬ごろに左首の自傷を始め
1月初めに血を出せるようになり
最近になって右首にも自傷をし始めた。
右首に関しては、
思ったより力を入れてしまったためか、
痕が深く痛みの継続が強い。
補足するが、自傷をしてもきちんと痛みはある。
毎度毎度、痛いのだ。
それでも、やらなきゃいけない。
なんで首なんだろう?
なんで手首(リストカット)じゃないんだろう?
リスカなら、まだ自分のことを客観的に理解できたかもしれないのに。
↑自傷の始まり。この頃は怖かった。
最初からずっと疑問に思っていたことだ。
どうして、首なの? 自分でもわからない。
心理師さんによれば、
○リストカット⇨不快感情の解消、リセットが目的
が一般的だが、
首に関しては、自傷の意味・レベルがそれよりも
強くなるらしく
○首を切る⇨自分の存在を消したい
が根本的にあるのではないかということだった。
自傷行為は一般的に、
「生きるため」にやるもの、
との理解が、最近では強まっている。
私も、それは間違っていないと思う。
ただ、私に関しては、
死への練習、自分への罰、という感覚が近い。
「首を切ることで、罪悪感から一時的に逃れられる
だから生きるためにやっている」
そんな解釈ももちろんできると思うが
根本的には、自分を消し去りたい思いが
強いんだと思う。
だから、死に直結しなさそうな
無意味で無理そうな行為(=左手首切断、頸椎損傷)
は、自傷リストから除外されたのではないか。
今は自分の中で勝手にそう分析している。
ぐちゃぐちゃだが、とりあえず今は
首の自傷だけは継続していくことにする。
もはやもう依存に近いんじゃないかと思っているが
止めたい感情も薄まっているので
そのままでいい。
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