首を◯ってから1日が経った。
朝、突然「首を切らなくてはいけない」という思考に囚われた、という体験を、記憶が鮮明なうちに残しておこうと、昨日記事にしました。
↓こちら
自分でもすごく怖くて、やりたくないのにやらなきゃいけない気がして、狂いそうでした。
また、忘れないうちに、記録しておこうと思う。
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初めて、「脳にやらされている感」を感じました。
今までは、自分の意思で、死にたいとか消えたいとか考えていると思っていました。が、もしかしたら自分の意思ではなく、脳の異常又は誤作動により、「そう思わされている、操られている」のではないかと考えました。
首を切ってから1日が経ちました。
今もあの思考が浮かび、「やらなくてはいけない」と感じます。今日も何度か刃を当てて皮膚を削りました。自分でもバカだなって思います。
意味がわかりません。リスカならまだ理解できたかもしれない。なんで首なんだろう。
しかも、首、といっても広範囲を指定されているのではなく、「ここ!」「ここを切れ!」という明確な場所があるのです。
それは、首の左側、頬骨の下のあたり。顎の付け根って言えばいいのかな。
不思議です。ここの上でも下でも横でもダメなんです。ここじゃないといけない気がするんです。
だから、何度も何度も同じ箇所に刃を当てています。
今日も何度かやったので、少し深くなりました。血は出てるんだか出てないんだか、程度。でも、昨日よりは「早くやれ!」という感覚にならず、強迫観念は薄い気がします。
これ以上やって、ほんとに血が出たらどうなるんだろう、と思い、首の中の構造をネットで調べました。
医学的知識は無いので、正確には分かりませんが、
もしかしたら脳から指定されている場所は頸動脈付近かもしれません。
(え?これほんとに『ガッ』っていったら死ぬんじゃない?頸動脈ってなんか大事な血管じゃないっけ?)
という、少しアホっぽいことを考えていたら
やっぱり大事な血管のようです。
切れたら脳に血液がいかなくなったりして後遺症が残ったり、最悪生死に関わるものだと。
わぁ。
ってことは、脳はやっぱり死にたがっているんじゃないかって思いました。
私が死にたいのか、私の脳が死にたいのか、はたまた私と脳は分けられるものではなく、私=脳で、やっぱり私が死のうとしているだけなのか。
そんなことをぐるぐる考えて混乱して訳がわからなくなりました。
とりあえずまだ生きている。
今日の夜、また不安感が強くなったので頓服を入れて、ちょっと落ち着いた後、何かの役に立つかもしれないと思って、またここに記録しようと思いました。
読み返すことあるかな。
私はちゃんと生きているかな。
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