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雨の夜は、ケーキと紅茶を

2022年7月12日(火)

振り返り

昨日今日と休みだったが、昨日はまったくもってなにも手につかなかった。
たまにそういう日があるけど、それでも嫌になる。

やはり、案外ふつうに身体を休めることは難しいものだと思う。

「今日一日何もできなかったよ」と話したら、「休みの日なんだからそれでいいじゃないの」と夫。
あいかわらず、ありがたいお言葉をくれる。
許されたいからこそ他人に「できなかったこと」を話すのだけれど、それでも思ってもみない角度のやさしい言葉が返ってくると、ほっとするのである。

許されたくて、「こう言ったら相手はこう返してくれて私は満足できるだろう」と、予測をつい立ててしまう。でもそれに反して想定外の言葉が返ってきたとき「わたしの許されたいという浅はかな気持ちはバレていないんじゃないか…?」と満足するのだ。

みっともない会話の仕方をしているなぁ、とつくづく思う。

今日はなんでもできそう

昨日に打って変わって、今日は朝からなんでもできそうだった。

朝の予想通り、今日は充実していた。家事、買い物、通院などやるべきことを確実にこなせた。

夜ごはんの予定もばっちり。そう、なんたって今日はアレを食べるのだ。

ケーキを食べる日

結婚祝いでカタログギフトをもらった。モノも食べ物も気になるものがたくさんあって、選ぶのにだいぶ時間がかかった。

カタログギフトって正直、選ぶ体力がないときは苦痛にもなりうる

ともかく、何周も見返して「気になってるならこれがいいじゃない」といわれるがまま選んだ。

デメルの「ザッハトルテ」だ。

じつは食べたことがあるのだが、これを選んだ。それには理由がある。デメルの「ザッハトルテ」は(ご存じの方も多いと思うが)木箱に入っているのだ。お菓子というものはお菓子そのものだけでなく、それにあつらえられたケースも大切。(自論)
ケースがかわいければかわいいほどいい。(自論)

ご立派な木箱

わざわざ木箱なんかに入っているザッハトルテは憧れそのものだった。

”わざわざ”が詰まったケーキ

こんな一庶民が、木箱に入ったケーキを食べれるのか…、そう思わせる品のあるたたずまい。随所に刻印も入っていて、気合が感じられる。(何様)

いざ、、開封。

美しいケーキだ…

至福のひとときだ。このケーキと自分が向き合えるなんて。このケーキに、わたしが、包丁を入れる。ケーキの主導権はいま、わたしにあるのだ。

自分で作ったものも買ったものも、自分が包丁を入れて取り分けるのがいちばんうれしい時間だな、とふと気がついた。

わたしは率先してなにかをするタイプではないが、主導権は握りたいというめんどくさいタイプだ。
だから、ケーキについても、自分が主導権を持って向き合えるのにたいして「うれしい」と感じるのかもしれない。

ケーキといっしょにお茶も淹れる。夜だから、カフェインレスのアールグレイを。ハーブティーもあったが、このトラディショナルなケーキにはぜひ、紅茶を合わせたかった。

エンブレム(チョコプレート)の乗ってる方食べなよ、と言われた

また夫と、あたらしい「おいしい」を共有できたのもうれしいひと時だ。わたしはおいしいものが好きで、それを好きな人に紹介するのがもっと好き。

紹介する相手は誰でもいいわけじゃない。「好きな人」でなければダメ。だからSNSに大好きなお店を載せるのはぜったいいや。わたしが教えたいと思う「好きな人」にしか教えたくないのだ。

つくづくめんどうな性格をしているなぁ、雨音を聞きながら思う。雨音はあまり好きじゃないけれど、きょうはいい。

こんなめんどくさいわたしのことも水に流して、「気にするな」とどうでもいいことにしてくれるような。
雨音でわたしのめんどくさい部分をこっそりみんなに見えないように隠してもらっているような、そんな気分。

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