見出し画像

池袋桃色SM娼婦~特性持ちの田中くん②~

田中くんは3日と開けずに裏を返して───つまり本指名で再来してくれた。
前回同様、最短コースの50分、界隈で一番リーズナブルなホテルに入ってくれたけど、そうは言っても僕と遊ぶのって決して安いお金では無い。
申し訳ないけれど田中くんが高級取りだとは考え難い。金の出どころが気になる。
相変わらず視線は全くと言っていいほど合わないけれど前回よりもこちらに慣れてくれたのか、会話が弾むようになった。
と言っても彼が好きなミニクーパーの話しを一方的にまくし立てているだけで、全く詳しくない僕は適当なタイミングで相槌を打つことしかしていないのだけど。
パワー系の田中くんから主導権の攻防戦を繰り返す50分は気力も体力も使わないと言ったら嘘になるけれど、こうして喜んで再来してくれる気持ちは嬉しいじゃないか。
今回もどうにか誰も怪我することなくプレイが終了して、シャワーを浴び服を着せると田中くんは前回背負っていたものと同じMINIのリュックを漁り、中から紙袋に入ったキーホルダーを手渡してくれた。
『それあげる。買ってきたから!』
田中くんとお揃いのMINIのロゴ入りのキーホルダーをプレゼントされ、正直好みでは無かったけれど、僕の為にわざわざ買ってきてくれた田中くんを思うと、ここは素直に受け取るという選択肢しかない。丁重にお礼を伝えてキーホルダーを受け取ると、射精した時よりももっと満足そうに田中くんは頷いてくれた。

そしてまた1週間と空けずに田中くんはやってきた。
運転免許証を持たない田中くんは、電車に乗って埼玉からやってきている。電車に乗る時はこれを使います忘れずに、と田中くんが取り出してくれた手帳には表面に【療育手帳】と記載がされていた。
後から知ったことだが、障害者自立支援法(現、障害者総合支援法)が施行されたのは2006年4月、同時期から各種障害者手帳に顔写真の添付欄が設けられることになった。これは不正利用防止の為であって、田中くん手帳にも比較的最近のものと思しき写真が貼られてあった。
僕の出勤状況をネットで確認し、店に電話を掛け予約を取って、埼玉の自宅から池袋まで1人で電車に乗り、風俗店の受付でコース料金を支払い、自ら近隣のホテルを選んで入室し、嬢にプレゼントまで用意することが出来る田中くんではあるけれど、対話をして解るように、手帳を所持する程度には日常生活に困難も抱えてもいる訳で。
そんな田中くんが10日のうちに3度も来店する事を僕は手放しでは喜べなかった。ホテル代を併せたらどうしたって¥20,000を超えてしまう。
その事実を田中くんが何処まで理解出来ているのか分かり兼ねていたけれど、計画的に僕をご利用頂けているとは、到底思えない。

『ねえ田中くん、頻繁に逢えるのは嬉しいけど、なぎは田中くんに無理してほしくないな』
『なぎさちゃんは僕と逢えるとうれしい!』
『そうじゃなくて。田中くんに逢えるなら、2ヶ月先でも半年先でも嬉しいから、無理してたくさん来なくて大丈夫。お金、かかるでしょ?』
『たくさん逢えるとうれしいですか!』
『たくさんじゃなくて、少なくても嬉しいです』
なるべく比喩や婉曲言葉を避けて田中くんに解りやすく伝えたいけれど、怒らせたい訳でも悲しませたい訳でもないだけに、どうしたってオブラートに包みたくもなり、伝え方に難航してしまう。結果全く伝わっている様子がない。
『これあげます!』
その日田中くんはMINIのロゴが入った携帯のストラップとステッカーとクリアファイルを寄越してきた。
『プレゼントは無くていいんだよ。気持ちだけで十分嬉しいからね。』
『なぎちゃんプレゼント嬉しいですか!』
嬉しくないです、困りますとは言えない僕が居た。

それからまたキッカリ1週間後、田中くんはいつものコースでいつものホテルに僕を呼びつけた。
『なぎちゃんは僕と逢えて嬉しいですか!』
『ねぇ田中くん。この前もお話ししたよね?こんなに頻繁に来なくてもいいの。時々逢えるだけで十分に嬉しいよ。お金、大事でしょ?私に逢うお金やプレゼントするお金で、自分のMINIのグッズもっとたくさん買ったり出来るよね?』
『お金は大丈夫です!』
大丈夫な訳なかろう。
田中くんは現在休職中だと聞いている。そもそも離職前も田中くんは何処で働いていたのだろうか。
給与の面から障害を隠して一般雇用枠で働かざるを得ない軽度知的障害の方も居るとは言え、田中くんがそれに当てはまるのは少し難しい気がする。
尤も、難しかったから休職中という場合もあるのだけれど。とは言え彼の日常から現在勢力的に求職中だとも思えない。
『お金をもっと渡したらなぎちゃんに逢えますか!』
田中くんがとんでもない事を言い出したので、僕は全面否定した。
『絶対ダメです。そんな事をされたらとっても困るよ。もう田中くんとも逢えなくなっちゃう』
『じゃあ今日はこれをあげます』
田中くんと揃いのキャップとTシャツを押し付けられた。
『あのね田中くん。プレゼントは無くていいの。この前も今日も私のお誕生日でも記念日も無いよね?何でもない日にプレゼントは貰えない。』
恐らくこの店のプレイ料金もホテル代も僕への貢ぎものも、田中くん本人の持ち金ではない。
田中くんの両親が工面しているのだろうか。田中くんの歳を考えればどう考えても70歳に近いはずの親御さんは何を思って息子に風俗へ行く軍資金を託しているのだろうか。軽率に引っ張れるだけ金を引っ張ってやろうとは、流石の僕も思えなかった。
『でもこれはなぎちゃんのプレゼントです!プレゼントです!』
そう言って押し付ける田中くんに根負けして、今後のプレゼントは不要なこと、次に逢うのは来月にしようと約束させ、その日はどうにか田中くんと別れた。

そしてまたそれから数日後、僕との約束を完全に無視した田中くんはニコニコ顔で来店してきてしまった。
僕はこの日初めて田中くんとプレイに及ばなかった。約束を守って貰えないなら、田中くんと裸になってプレイをする事も会う事も出来ないと伝えた。
『どうして逢えないんですか!』
田中くんは憤慨した。
『この前も何度もお話ししたよね?ここはそんなに頻繁に来る場所じゃないです。それに田中くん、今はお仕事お休みしているんだよね?ここに来るお金はどうしているの?』
『お母さんに貰います』
ああやはりか。
この世の地獄のような回答は想定内のものだったけれど、直接言葉にされて耳で聞いてしまうとこちらのダメージも大きい。
知的障害と性問題は何かとクローズドされ易い。家庭内で過ちが起きたり、同じ障害者同士での望まない妊娠は僕の知る限りでも度々報道されていた。
年老いて衰えていく両親と、性欲も体力もまだまだ存分にある田中くんとで、家庭内のパワーバランスが崩壊していることが伺えた。
『ここは自分のお金で遊びに来るところです。それに約束を守れない田中くんとはもう会えません!』
『どうしてどうしてどうして』
田中くんは力任せに僕を突き飛ばした。彼はきっと家庭内でもこんな感じなのかと思ったら、何だか泣けてきてしまった。
でもそれは田中くんだけが悪い訳でもない。
彼が生きていくには、この世の中はちょっとあまりに不便すぎやしないか?
『痛かったですか。ごめんなさい』
僕の涙を見て田中くんがオロオロと詫びた。聞く限り初めての謝罪だった。
『大丈夫。でも今日は帰ってください』
『解りました。じゃあこれプレゼントです』
何も解っちゃいないじゃないか。抱えきれない程の大きな紙袋の中身は、ミニクーパーの大型模型車だった。素人目にも高級品という事だけは解る。
『受け取れません!持って帰って!』
『嫌です嫌です嫌です!!』
結局田中くんは、プレゼントと僕を置いてホテルから出ていってしまった。池袋一リーズナブルなこのホテルは男性客が先に退出しようとも気にも止めない。田中くんにとっては都合が良かっただろう。
結局ホテルに残されたプレゼントを僕は置いて行くことも出来ずに、紙袋ごと模型車を抱えてホテルを出た。
『もしもし。おつかれ、なぎです。…ごめん。田中くんNGで。』

『まぁ怪我無くて良かったけどさ。で、どうすんのそれ?』
僕の自宅に積まれたMINIグッズをナガセも心配そうに眺める。
『こういう場合、本人だったり親御さんが突然返してくれ、なんて言ってくるケースがあるから、暫くはキレイに保管するしかないよ』
『いやまあ、グッズもだけどさ。本人は?大丈夫そうなの?』
『とりあえずNG指定にしたから、今後は何度問い合わせしても予約は取れない。田中くんの執着がそうそう長く続くとも限らないし。もしかしたら来月の今頃にはあたしの事なんてコロッと忘れちゃってるかも知れないからさぁ。』
僕は努めて明るく答えた。
『まあな』
何処か腑に落ちない顔をしつつもナガセも同意してくれた。
僕だって正直、精神的に田中くんを受け入れることは割には合わなかったが、自分なりに田中くんとは向き合っていたつもりだ。それに一度関わってしまった以上、今更無下にも扱いたくはない。僕はあの時、ラムネちゃんの事を思い出していた。

『嘘でしょ…』
それから数日後、スタッフからの報告に僕は頭を抱えた。
田中くんは何事も無かったように予約の問い合わせをしてきた。そこまではもはや想定内だ。
田中くんには『渚ちゃんはご予約いっぱいです』と都度伝えられた。
しかし、一度は了承してくれたものの翌日『この日は無理ですか?』『いつなら逢えますか?』『予約の人、キャンセルしてませんか?』と日に何度も問い合わせをしてくるようになり、仕舞いには『なぎちゃんの好きな色は何色ですか』と予約に関係のない電話をしてきた為、田中くんを厳重注意をした上で彼の携帯番号を着信拒否にしたと。
当然の結果だ。筋違いと思いながらも、田中くんに業務を妨害させてしまった事を僕は詫びた。
しかし、 着信拒否された田中くんは、家族のものなのか別の携帯電話から、自宅の電話からなのか048から始まるナンバーから、公衆電話から、あらゆる方法を使って、数分毎に店に電話を掛け続けるようになってしまった。完全に営業に影響が出てしまう頻度だった。
『暫くはイタチごっこになるだろうけど、田中って解ったナンバーは都度着拒するようにしよう。公衆電話は田中だと解ったら無言で切ろう』
スタッフ間でそう取り決められた。当時はまだ公衆電話から予約する人も多く、公衆電話からの発信そのものを拒否は出来なかったのだ。

やがて、あの手この手を尽くしても僕に会う術が無くなったとようやく理解した田中くんは、フロントのビルの前で待ち伏せするようになってしまった。
気がついたスタッフが強めに注意をすると、一度はその場を離れるものの、再びビルのエントランス付近に近付いて彷徨きはじめる。何度注意しても田中くんは連日池袋にやってきた。
警察には相談はしたものの『事件性がない』『民事不介入』と言って門前払いにされた。
ストーカー規制法は2000年に施行されていたものの、少なくとも風俗嬢を相手には全く機能していなかった。
『本番やらしてあげちゃうからそんな事になるんじゃないの?』
と嘲笑さえされた。
『事件性って何なんですか。事件があってからじゃ遅いから相談してるんです』
同席してくれたナガセはそう言ってくれたけど、彼らは全く意に介さない様子だ。
『まぁお嬢さんもいつまでも続けられる仕事じゃないんだから、これを期にいい加減足を洗って真っ当な仕事で働いてくださいよ。それかね、お兄さんが嫁に貰ってあげたら万事解決じゃあないですか』
そう笑う警察官をブン殴らなかっただけ、僕は大人だったと思う。警察は本当に役に立たない。

ただし、連日池袋にやってきて、いつものように待ち伏せをする田中くんにスタッフが伝えた言葉は功を奏した。
『田中さんの行動は全て警察に全て伝えてあるんで、今もあの防犯カメラに映ってしまっているはずです。このままだと逮捕されるのは時間の問題ですよ』
警察に伝えてある事、防犯カメラに映っている事は事実だった。肝心の警察が何も動かないというだけで。
しかし警察、逮捕というワードは田中くんを怯えさせるにことには貢献して、以来田中くんを見かける事はなくなった。

とは言え、いつ田中くんが再来するか解らない以上、身の安全を考慮して暫く仕事を休んでみたり、出勤を再開させた際も自宅からタクシーで出勤し、仕事中のホテル移動は全てスタッフ同伴、帰りの精算もフロントには寄らず待機室で給料を受け取り、スタッフに田中くんが近くに潜んで居ないか確認させた後、タクシーを止めて貰って帰宅をした。そんな日が連日続くのはたまらなく窮屈だ。待機室の主が、そんな僕を『VIP様』と揶揄するのも腹が立った。
そんなある日、店に公衆電話から一本の電話がかかってきた。
『お宅の店の渚ちゃんに振られた事がショックで息子は自殺してしまいました!店長さんと渚ちゃんはお仏壇に土下座してください』
田中くんの母と名乗るその声は、文法が少しおかしく、女性の声色を真似ようとした男性そのもの、というか田中くんボイスそのものだったらしい。
これで大人を騙せると思ってしまうのが田中くんの知恵なのだ。
『そうでしたか。息子さんはストーカー行為をしておりまして、全て警察にも相談していました。お亡くなりなったという事は、もう池袋に現れる事はないのですね。警察にもそう伝えます。それでは渚ちゃんと早急に伺いますのでご住所を伺えますか』
スタッフが出来る限り田中くんにも解る言葉でそう伝えると、電話はプツリと切れてしまった。

それから田中くんを見掛けることは勿論、見掛けたとういう報告も聞かなくなった。
とは言え当初は抱いていたはずの警戒心も2週間、1ヶ月と時間の経過と共に薄らいだ。
いやしかし、この大量のミニクーパーのグッズをどうしたものか。いい加減処分してもよいものなのかどうなのか。
そう思い悩んでいたある日。
仕事終わりにナガセと待ち合わせをしていた僕は、池袋で一番広大な路面の駐車場を突っ切って待ち合わせ場所に向かおうとした。ちょうど現在ドンキホーテが建って居る辺りだったと思う。
既に待っていてくれたナガセの姿が見えて嬉しくて声を掛け、ナガセが振り向いたその時だった。
『なぎちゃんその人誰ですか店の人ですか違いますか!!』
停車している車と車の影から田中くんが現れた。

『彼氏です。田中さん…ですよね?怖がっているんでやめてあげてください。警察呼びますよ?』
ナガセは一瞬驚いた顔をしたけれど、冷静に田中くんに一歩一歩近付いた。
辞めてくれ、と思ったけれど僕は声が出なかった。何なら動くことも出来なくて、その場に立ち竦んでいた。
『なぎちゃんは未来のお嫁さんですけど!お嫁さんですけど!』
田中くんは泣きながらそう言った。そう言ってその場で失禁してしまった。
ナガセはしっかりと田中くんの腕を掴んでから僕に言った。
『警察呼んで。これポケットに入ってたわ』
カバー付きの果物ナイフだった。
頷いたものの、僕はビックリして指先が震えてしまった。震えたまま強く痺れて意図しない力加わって指が全く動かせなくなった。痺れはそのまま腕を登って頭を痺れさせ、僕は呼吸が出来なくなってその場にしゃがみこんでしまった。
過呼吸だった。
方や失禁、方や過呼吸。地獄のような状況下の中、ナガセはまずは僕の方にカバー付きのナイフをそっと投げて田中くんからナイフを遠ざけた。『それ大丈夫だから。ゆーっくり呼吸しろ、すぐ治るから』
僕にそう言ってから携帯を取り出すと、無能な僕の為にナガセは警察を呼んでくれた。
そのうち人だかりが出来て、親切な誰かが何処からか紙袋を持ってきてくれて、紙袋に口をつけて深呼吸するように促してくれた。

その後を事を僕は途切れ途切れにしか覚えていない。パトカーによって連行された田中くん。僕らも事情聴取の為にパトカーに乗った。
僕のことは女性警官が対応してくれた。ストーカー被害を最初に相談した時の男性警察官と打って変わって丁寧に話しを聞いてくれた。

『やー超怖かったなー。まあ何もなくて良かった良かった。───もビックリしちゃって可哀想だったな。過呼吸はもう大丈夫そうか?』
帰り道ナガセは笑いながら僕の頭に手を置いた。
『ごめんね』
届いたかどうかも解らない声で僕は呟いた。
『ちょっとビビったけど守ってやったじゃん。もう大丈夫だよ』
自分は何があろうと自己責任だと納得してこの仕事をしてきたつもりだった。だけど今回ナガセを巻き込んでしまった。一歩間違えたらナガセは刺されていたのかもしれない。
『…暫く仕事休む』
『じゃあ今日は流石に無理だけど、ちょっと仕事調整するから、どっか旅行行くか。』
ナガセは常に誰よりも優しかった。

後日、田中くんの高齢のお母さんが菓子折りをもって泣きながら謝罪にきた。
このお母さんは一体今までどれだけ頭を下げて来たのだろうか。お母さんが悪い訳ではない。
だからといって生きづらい世の中に生まれてきてしまった田中くんが全て悪いとも思えなかった。
その後、それが正解だったかどうか解らないけれど、僕は被害届けを取り下げた。銃刀法違反についても不起訴処分となったと後から聞いた。
それから暫くして、店に一通の手紙が届いた。小学生が書いたような文字の送り主は田中くんだった。
『たくさんめいわくをかけてごめんなさい。ぼくは、もうわるいことをしません。なぎちゃんはやさしくしてくれて大すきでした。だから、やくそくを守ります。プレゼントはすててください。でも、もしいやじゃなかったらつかってくれたらうれしいです。』
平仮名だらけのその手紙を呼んで、僕は瞼がふやけるくらい泣いた。
僕たち健常者もいつも間違えてばかりです。未だに解らない事だらけです。
僕は君にあの時どう接すれば良かったのかな。
16.7年近く経つのに、未だに解らないんだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?